「アクティブ・シニア倶楽部」に参加しませんか。

「アクティブ・シニア倶楽部」というフェイスブックグループを立ち上げた。アクティブ・シニアと未来のアクティブ・シニア(active senior and active senior in future)のグループだ。

(1) アクティブ・シニア倶楽部 | Facebook

人生100年時代は、アクティブ・シニアが活躍する時代だ。アクティブに人生を送るという生き方をみんなで共有していきたい。

実年期のアクティブ・シニアを中心に、それ以降の熟年期、大人期、仙人期にある人、そして未来のアクティブ・シナで候補である壮年期、青年期の人々もこのグループに入って欲しい。旧友も誘いたい。

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雑誌「イコール」の書評を書いた。竹村健一『先見力』を題材に、幅広く竹村健一論を語ってみた。書評というより人物論になった。それも「書評」欄ではあり得るのではないだろうか。

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「名言との対話」7月11日。岩田聡「人間は何を面白がるのか、何に驚くのか」

岩田 聡(いわた さとる、1959年12月6日 - 2015年7月11日は、日本プログラマHAL研究所代表取締役社長を経て、任天堂代表取締役社長。享年55。

北海道出身。東京工業大学卒業後、ゲーム開発会社ハル研究所に入社。ファミコン時代からゲーム開発に携わり、プログラミングを手掛け、社長を務めた後、40歳で任天堂に転職。2002年、入社2年目の42歳で任天堂中興の祖・山内社長から指名を受けて社長に就任。ゲーム人口の拡大を目指す方針のもと、5歳から95歳まで遊べるゲームをつくるという路線で集団指導で経営を行っていく。2004年、ニンテンドーDSを開発。ソフト『脳を鍛える大人のDSトレーニング』は「脳トレ」として流行語になり、社会現象にまでなる。2006年、1億台以上が売れた2006年のWiiを開発。これまでのゲーム愛好者とはまったく異なる層をつかみ任天堂を世界企業に押し上げる。

岩田は「プログラマーはノーと言っちゃいけない」と言い、未知の驚きや喜びを感じて喜んでくれるまで精進するのがプログラマーであるとし、人間を観察し続けて、試行錯誤を繰り返す。ゲームは景気変動の影響を受けない業界であり、驚きがない商品は、景気がいくら良くても売れない。やはり商品開発が命なのである。

ゲーム開発では、チーム内での数えきれないほどのやり取りの中でコンセプトが浸透し、共有され、商品に結実する。異なる部門が素早いキャッチボールを繰り返しながら、同じ目標、目標に突き進むことで、開発が成功するのである。優れた商品開発にはチームマネジメント、プロジェクトマネジメントが欠かせない。

岩田はゲーム開発者であることが天職だと信じていたが、会社の経営を任され、開発チームのマネジメントと会社の経営には多くの共通点があることがわかり、経営も天職だと思うようになった。「私の名刺には社長と書いてありますが、頭の中はゲーム開発者です。心はゲーマーです」と語っている岩田社長は、驚きを提供するのだから、お客様の要望を聞くことは無駄になるとの考えだった。いわゆるマーケティングは不要であるということになる。

岩田聡の原点』という本を手にしてみた。副題は「高校同期生26人の証言である」。この本には「付録」がついている、同期生の上月正博が任天堂の社長となった岩田にインタビューした内容である。テーマは「イノベーション・コミュニケーション・マネジメント」だ。

  • イノベーションとは「多くの人が常識で考えて不可能と思うことを可能にすること」と定義している。
  • 面白い事を考えることと、面白さのぶつかり合いを調整するファシリテーション能力とリーダーシップが大切だ。
  • 独創性は、ゼロから出発するのではなく、さまざまな要素の組み合わせから生まれる。多様な要素の組み合わせを考え抜くこと。
  • 自分が関心のあることについて、質と量の両面で無制限に継続できる力が備わっている天才や創造力の高い人は、自分の中に「ご褒美回路」ができている。自分も持っている。
  • 1、2割の人は興味を持つ。3.5割を超えるとムードが一変。そのためには成功した実例を見せることが大事だ。

2022年現在の調査では、日本のゲーム人口は全体の人数は5400万人、家庭用ゲーム機所有者は5,274万人、家庭用ゲームアクティブユーザーは3133万人、家庭用ゲーム継続プレイヤーは1858万人。大学生たちが熱中する姿を見ていると、途方もなく、未来がある業界だとの感を深くする。

ゲーム、広く娯楽産業は、人種や文化の違いといった壁を越えて、人間は何を面白がるのか、人間は何に驚くのか、という本質の探究を行っている業界でもある。岩田を頂点とするプログラマーたちの「人間とは何か」を探る中で得られた深い人間観察が数々のヒット商品を生み出したのである。1959年生まれの岩田聡の社長在籍のままでの55歳というあまりにも若すぎる死は日本と世界のファンに大きな衝撃を与えた。50歳までの青年期を終えて、壮年期に入ったばかりだったのは惜しまれる。