今期の「図解塾」。図解「JAPAN」プロジェクト、順調に進行中。
前半:寺島実郎。村上春樹。カマラ・ハリス。無着成恭。益川敏英。
以下、塾生の学びから。
- 本日もありがとうございました。本題に入る前の様々な話題もたいへん役に立ちます。寺島実郎の「世界を知る力」を見られなかったので図メモが非常に参考になりました。日本のところでは子供の貧困率の上昇が非常に気にかかります。アクティブ・シニアとしてやれることがあるのではないかと感じました。また、タイトルを付けると全体が見えることもよく分かりました。「まとめた人の勝ち」「まとめた人がリーダーとなる」は至言です。カマラ・ハリスの「カマラ」は「蓮」のことだったとは初めて知りました。村上春樹ミュージアムや村上春樹氏のエピソード。無着成恭の「山びこ学校」の話には、日本のすぐれた教育者を再度ひもといてみたい気持ちも起きました。 本題の「琉球」「陶器(改訂版)」「日光東照宮」「床の間」については、本当に知らなかったことだらけでした。沖縄については複雑な思いです。廃藩置県に寄る琉球処分以前は中国と日本の両方に属していたような琉球王朝。海流のために沖縄と東北日本の共通性がみられることや仏教の伝来から空白地帯だったこと。私たち本土にいる人間には気づかないけど、沖縄はスコットランド、カタルーニャと並ぶ三大紛争地の一つだったということ。第二次世界大戦末期に戦場となった沖縄、戦後25年たってようやく復帰がなされてからも米軍基地の大部分の下にある沖縄。台湾有事の時には最前線になってしまう沖縄。日光東照宮」に関しては伊勢神宮を頂点とする神道との対立構図が非常に分かりやすく感じました。しかし日光東照宮が批判的に見られていたのは、戦前の国家神道のせいもあるのではないかと思いました。いずれにせよ、日本および日本人を理解するのに神道(国家神道ではない)、仏教、儒教の3つが共存しているという見方は納得できました。今後も楽しみにしています。
- 久恒先生、みなさま、本日は図解塾ありがとうございました。今日は『日本を知る105章』の中から「琉球」「日光東照宮」「床の間」の3つテーマと「陶器」の図解のバージョンアップ版を読みました。「琉球」ではその歴史と文化について、初めて知ったことがいくつかあり、興味深く聞きました。中でも、琉球には仏教伝来の影響を受けていない強烈な古代性が温存されている、という点については、とても印象深く、なぜ仏教が伝わっていかなかったのか、とても不思議に思いました。また「日光東照宮」では、その建築物の評価に関して、建築家ブルーノ・タウトの考えが大きく影響していることが分かりました。また伊勢神宮との対比で、徳川幕府と明治政府の対立の構図が浮き彫りになっているところも面白いと思いました(伊勢神宮はすがすがしい、日光東照宮はけばけばしい)。 「床の間」では、床の間・違い棚・附書院の3つを配することが和室の基本的な作りであることを知りました。また、茶の湯の世界と密接に繋がっていること、さらには神道との結びつきも感じられというところに興味を引かれました。確かに床の間のある部屋は心が落ち着く場所だと感じます。精神性の高い空間だと改めて思いました。『日本を知る105章』、次回もまた楽しみです。よろしくお願いします。
- 図解塾に参加しました。久恒先生、みなさま、ありがとうございました。今回は『日本を知る105章』の中から「琉球」「日光東照宮」「床の間」「陶器」にて学びました。今回もとても興味深い内容ばかりでした。特に印象に残った内容は「琉球」でした。琉球王国の歴史について特に興味深いと思いました。 琉球王国は、中山・北山・南山の三山に分かれていた時代がありました。最終的に中山王が他の二山を統一し、琉球王国が成立した事は全く知りませんでした。琉球王国は仏教の伝来の影響をほとんど受けなかったことも知りませんでした。そのため古代からの伝統や習慣を強く保ち続け、琉球の文化が他の日本の地域と異なる特徴を持つ要因の一つになったことに納得しました。廃藩置県により、琉球王国は沖縄県となりましたが、私の知人も琉球王国出身であると誇りを持って行っている方がおられます。琉球の人々は独自の文化と歴史を誇りに今も思い続けていることが、今回の説明により、よくわかりました。「床の間」の説明では、床の間の重要性と価値について改めて認識でき、今まで意識していなかったので、床の間に日用品を置いていることに反省し、これからは床の間と言う神聖な空間を大切にしていきたいと思いました。次回もまた楽しみにしております。ありがとうございました。
- 図解塾本日もありがとうございました。最初の寺島さんのMXテレビの図メモからの内容のお話。今は鎖国状態だというのが印象に残りました。また、図解コミュニケーションするときには、タイトルのつけ方が大事。タイトルを眺めると世界が見えるとのことでしたが、良いわかりやすいタイトルをつけるには、内容を理解していることが必要となりますね。あと、蓮の花と、カマラ・ハリスのお話はとても印象的でした。日本文化は、「琉球」「日光東照宮」「床の間」の3つでした。「琉球」は、沖縄と日本を、異父兄弟と例えてのお話でした。言語・民族が母で、父が歴史。琉球王国は薩摩が入るまでは貿易国家で平和だった。独立王国としての文化があり、独自性を持っていた。というのは、何となく知ってましたが、仏教の影響がなかったというのは知らないことでした。新鮮な内容でした。
- 「日光東照宮」は、修学旅行などで何度か訪れたことがありますが、けばけばしい、という表現にはびっくりでした。でも言われてみればとても精巧な飾りできらきらしたものが多い気がします。徳川家康をまつっていて仏教的要素が混じっている日光東照宮と、明治新政府の王政復古、神仏分離、神道国教化という思いの伊勢神宮との対比の図解が分かりやすかったです。「けばけばしい」と「すがすがしい」この対比が面白い。両方ともまた訪れてみたいと思いました。「床の間」はそんな大切な場所だったんだと思いました。床の間に飾るものは、この図解塾で学んでいるものが並んでいるなぁと思って聞いてました。聖なるものの象徴的な空間。聖なる生命との交流の空間。なんて神聖な場所なのでしょう。我が家には畳の部屋はあるけれど床の間ありません。床の間っぽい空間でも作ろうかと思いました。毎回、楽しませてもらっています。次回はお休みいたしますがそれ以降、またよろしくお願いいたします。
-
久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。久しぶりに参加できたのですが、大遅刻したため、残念ながら他の方の発表を見ることができませんでした。そのため、自分が発表した2つのテーマについて感想等をまとめさせていただきます。私が担当したのは、規定科目の『日本を知る105章』の「10_日光東照宮」と「16_床の間」の図解でした。いずれも課題文の言葉を引用するだけで、その他外部からの情報はあまり追加していません。例えば「10_日光東照宮」では、伊勢神宮との評価の違いについて書かれていたため、図解の定番である「見比べやすい形」を意識して作成しました。おかげで参加者のみなさんから、シンプルだからわかりやすいとか、矢印の使い方などについて感想をいただくことができました。また、「16_床の間」では、床の間の建築物としての説明が細かく書かれていましたが、文字で表記せず、イラスト(無料素材)を貼付することで省略する一方、言葉は簡略化できなかったため、掲載文をそのまま抜粋する形で作成しました。 今回の2つのテーマについて、久恒先生から、人物記念館を訪れている中であったのは、「日本人の宗教について語る時、神道と仏教と儒教、または神道と仏教で説明している場合があった」とのお話がありました。また、参加者のみなさんからは、自分が持っているイメージと違うとか、身近にあるのに知らなかったとか、気づかなかったといったいろいろな感想をいただけました。たまたま2つ同時に発表させていただいたおかげですが、自分も発表しながら、2つの共通点などに気づくことができ楽しかったです。次回の図解も楽しみにしていますので、引き続きよろしくお願いいたします。
ーーーーーーーーーーー
第5章、完成。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「名言との対話」7月24日。森村誠一「行き着きて なおも途上や 鰯雲」
(もりむら せいいち、1933年〈昭和8年〉1月2日- 2023年〈令和5年〉7月24日)は、日本の小説家・作家。享年90。
埼玉県熊谷市出身。青山学院文学部卒。新大阪ホテル(リーがロワイヤルホテル)を皮切りに、ニューオータニなど、ホテル勤務は9年の及んだ。
1965年、32歳で『サラリーマン悪徳セミナー』デデビュー。1969年、ホテルを舞台にした本格ミステリー『高層の視覚』で江戸川乱歩賞。
東京地検検事、辣腕の弁護士、ベストセラー作家、人気テレビタレントとして活躍した佐賀潜に、乱歩賞を受賞して挨拶にいったところ、「それで次の作品はできているのか」と問われ、「受賞作が出るころには、第2作、第3作ができ上がっているようでないと、この世界では生きていけないぞ」とはっぱをかけられたとウェブサイトで語っている。
1970年の『新幹線殺人事件』がヒットする。1973年、『腐食の構造』で日本推理作家協会賞。代表作は、『人間の証明』シリーズ。『野生の証明』。赤旗に連載した『悪魔の飽食』は日本軍731部隊の実情を明らかにした。この本を私も読んだが、人体実験など衝撃的な内容だった。
推理小説にとどまらず、歴史小説、時代小説、ノンフィクションなど、精力的に作品の幅を広げていった。
2015年には『祈りの証明ーー3・11の軌跡』を書いている。社会派推理小説の大家となった森村誠一が東日本大震災の1年後から描き始めた渾身の作品だった。戦場カメラマンの中年男性を主人公に、その青春と3・11以降の日々をだぶらせながら描いている。大震災、被災地の人々、原発という凶敵、電力企業を中心とする体制、被災地巡礼、新興宗教の跋扈、権力と宗教の癒着、などの道具立てで日本の今を描く鎮魂の力作。森村が手掛けている、写真と俳句を合わせた「写俳」を効果的に使って、現代の問題を描く手法はさすがである。
非情、鬼、生存と生活、救済、原爆と同根の原発、飼いならせない猛獣、制御不能の化けもの、原発ジプシー、悲話と美談、改易流行が実態のマスメディア、人間性が濃縮する天災と希薄になる戦場、避難所巡礼、尊い臭気、行脚僧、ヘドロの海に向かっての読経、号泣作戦。指導力と復興に向ける姿勢。祈りは他人そして自分に捧げる、孤独死より自殺力、グリーフケア、人生の縮図、災害文化、、、。「社会への始発駅には人生の全方位に向かう列車が勢揃いして、新卒の乗客たちを待っている。終着駅は楽園か、極地か、永久凍土か、不明である。全方位に向かい分かれる人生列車には同時に無限の可能性がつまっている。青春とは未知数の多いことである」。この作品の中で、森村は震災俳句を詠んでいる。「夫焼く荼毘の炎で暖をとる」は衝撃の傑作だ。
救出の順位選びて我は鬼 寒昴たれも誰かのただひとり 火の海に漂流しつつ生きており 敗れざる鉄の遺骨や供花まみれ 生き残り松の命に雪が舞う 炎天下原発無用の座禅僧 被災地をまっすぐ照らす月明かり 七夕やママが欲しいと被災孤児
森村さんは「写真俳句」を提唱していて、写真と俳句を結合させた試みを展開している。「森村誠一の写真俳句館」http://shashin-haiku.net/.ブログは「写真俳句歳時記」で「人生の証明日記」http://blog.livedoor.jp/morimuraseiichi/という森村さんらしいタイトルだ。
私は『写真俳句のすすめ』。『写真俳句の愉しみ 四季の彩り』。この2つの入門書に大いに触発された。森村の写真も素晴らしい。「俳人にとって俳句に勝る人生の記録はない。人生の記録であるから凡句でも構わない。」「写真俳句の特徴は、抽象化の極致である世界最短詩型の俳句と、具象的な写真をジョイントしたものである」。私が最近始めた「川柳」も、人生の記録として凡句を重ねればいいのだと思う。
・写真を撮り、あとでじっくり観察して俳句をつくる。・俳写同格・時間と空間・悠久の歴史。深遠な心理描写。・句会にはでない。他人の句を批評しない。名句をたくさん読む。歳時記に親しむ。俳句は足でつくる。・句境は持続性がある。句材は至るところに。・俳人にとって俳句に勝る人生の記録はない。人生の記録であるから凡句でも構わない。・写真俳句の特徴は、抽象化の極致である世界最短詩型の俳句と、具象的な写真をジョイントしたものである。・350年近い歴史の俳句と最先端の機器を合体して写真俳句をつくる。・人事。日常。旅。アウトドア。1万歩。
2022年、「町田市民文学館 ことばランド」で、町田市名誉市民表彰記念 森村誠一展」をみた。1965年のデビュー作以来、2011年までの46年間で、315冊を刊行している。それ以降も、2022年の『老いる意味』も私は読んでいるから、総計では何冊になるのだろうか。
2022年に『老いる意味』(中公新書ラクレ)を読了。「最先端にいるというのは、未来に接続していながら、自分が耕した過去にもつながっていることだ」「作家という仕事には定年がない」。「私は100歳まで現役を続けるつもりである」と語っていた。享年は90だ。
。2011年にNHK「俳句王国」に出演していた。「行き着きて なおも途上や 鰯雲」という自句を森村さんは紹介して、創作者はもうこのへんでいいかなと自分に妥協したら終わりであり、こういう心境で仕事をしている。芭蕉の「旅に病んで 夢は枯野をかけ巡る」と同じ心境だ。芭蕉は俳句と文章の両方を持っていたから今日まで残っている。自分は芭蕉を超えるつもりで仕事をしている、と語っていて感銘を受けた。 新田次郎も「春風や 次郎の夢の まだ続く」も同じ心境だ。かくありたいものだ。