妻・恭子が続けて二冊の歌集を上梓した。2008からの始めて、十数年に詠んだ短歌が歌集という形になった。
「これからも一瞬一瞬に錨を下ろし、青き空を信じて生きていこうと思います」(『第一歌集のまえがき、から』
「悲しみも小さな喜びも丁寧にすくい上げ、難しい事は考えず、朗らかに生きようと決めました。雨の日も曇りの日も、その上には必ず青い空があります。今日もその青き空を心がけて生きていくつもりです」(第二歌集のまえがき、」から)
第二歌集の以下の「あとがき」は私が書いた。
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歌人の私の母から、夫婦で短歌の手ほどきを受けてからの十五年、私はすぐに脱落しましたが、恭子はずっと作り続けているのを日々眺めて参りました。
彼女の歌は性格の通り、素直でユーモアのある目線が特徴です。同じことに遭遇しても朴念仁の私とは違い微妙な心の動きを感じていることがわかります。
また昭和男の残滓を引きずった自分の姿も詠まれており、反省することしきりです。
短歌は日々の生活の彩を与え、恭子本人の自分史へとつながっていきます。それが私たち夫婦だけでなく、子どもたちへ、そして孫たちの命へとつながっていく。
これからも短歌は妻恭子のライフワークとなっていくでしょう。連れ合いとしてその過程を一緒に歩き、その成長する姿を見守っていきたい。第二歌集の発刊にあたり、私は最初のファンとして心から喜んでおります。
以下、夫である私が出てくる歌を拾った。
- 第一歌集『空晴れし日』
面倒は吾に渡せば安心と自分磨きに忙しき夫
「うん、うん」と条件反射の生返事夫は手元の活字を追いて
経済を案じる夫の日経を破るは怪獣あおい一歳
痛み耐へ夫待つ夜はただじっと耳をすませて足音を待つ
そんな目で我を見るなと夫が言ふ病みて心もとなき吾の目に
隣から聞こゆる夫のしはぶきに編む手をとめて耳をすましぬ
眠られぬ夜などなしと言ふ夫のつやつやの顔うらやみて見つ
かに鍋に祝ふ夫の誕生日まだ若いぞと猪口を差し出す
悔いなしと勤め上げたる夫の顔眩しみて見つ春浅き日に
- 第二歌集『見上げれば青き空』
明け方に夫の部屋よりパソコンのキー打つ音に再び眠る
車内にて並びて座り本を読む夫のぬくもり吾につたはる
待ち合はす駅の向かふに息子が嫁と手をつなぎ来るを夫と笑み見る
コロナ禍に義母は電話に繰り返す手洗ひせよと古稀の夫に
夫と吾にセッションなる言葉用いてジャズを語りき帰省せし子は
意識なき義母の手を握る夫の目に涙あふれやがてこぼれぬ
歌を詠む義母の戒名に歌の字を入れたしと夫は僧侶に告げり
荼毘に付す義母の柩を見つめつつ夫は息つきゆるり点火す
夫の待つ珈琲店に向かふ道裸木の末に澄める青空
向かひあふ夫はスマホの画面見て目の前の吾とかかはり持たず
川柳を始めし夫と並びゐて珈琲を飲む指を折りつつ
夫の言ふ「目」の一言の解読に脳トレのごと頭をめぐらす
退職しネットの世界にどっぷりの夫を留守居に図書館に行く
肩書を手放しし夫ZOOMでは若き人らにツネちゃんと呼ばるる
隣室よりZOOMの夫の声高く「これからですよ。人生100年」
夫の本一冊ごとに触らせてこんまり断捨離娘は指導す
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「名言との対話」江田五月「政権の取れる野党の連合を目指して、少々のアバタもエクボと見る訓練を開始すべきだ」
江田五月(江田さつき 1941年5月22日ー2021年7月28日)は、政治家。享年80。
岡山県出身。社会党委員長の江田三郎の長男。東大時代は教養学部自治会委員長として「60年安保」「大学管理法」闘争を指揮し、ストライキを敢行し退学処分となる。後に復学し、法学部を卒業。
東京、千葉、横浜の地裁判事補をへて、1977年社会市民連合代表として参議院議員に当選。1983年には岡山一区から衆議院議員にトップ当選。1990年に社会民主連合代表となる。1993年の細川連立内閣の科学技術庁長官。新進党をへて民主党にうつり、1998年参議院議員に復帰。2007年、参議院議長。2011年に菅直人第2次改造内閣で法務大臣、のち環境大臣を兼務した。
江田五月『国会議員』(講談社現代新書)を読んだ。今から30数年前の1990年の刊行である。
江田五月は、世襲議員を、「お世継ぎ」と呼んでいる。この方がわかりやすい。お世継ぎ議員だ。江田三郎は永年勤続表彰を受けたときに「国会議員二十五年、政権もとれず、恥ずかしや」の一句を揮毫した。
五月の父は岡山一区から出馬したのだが、五月は岡山二区にした。父の地盤を継ぐのではなく、父の政治の志を継いだのである。
以下、江田五月の考え方を拾った。
国家観
政治とカネ
- 「非課税の特典」を与えられた政治資金の収入と使途を、もっと具体的かつ詳細に報告するのが、国会議員の義務だと思う。
- 「政治資金規正法」改正後、パーティは金集めの主流となってしまった。
- 工事の発注に尽力することの見返りとして百枚単位でパーティ券を押しける。
- 利権の構造も人のつながりであるから、後釜に先代と縁もゆかりもない者を据えれば、そのまま維持することはできない。
教育
- 家庭科、音楽、体育などは点数をつけることに意味はない。好きになってもらえばいい」
こうやって江田五月の考えを眺めてみると、特に「政治とカネ」については、この本が刊行された1990年以降の30数年、日本は全く変わっていないことに愕然とする。改革を怠った結果が、現在の政権与党の体たらくである。
そして政権のあり方については、「政権の取れる野党の連合を目指して、少々のアバタもエクボと見る訓練を開始すべきだ」。そして「野党はお互いのケンカをやめなさい。腕を組んで自民党のライバルとしての能力を磨きなさい」と野党へ提言している。現在の2024年夏にもあてはまる。これも同じテーマである。経済面での日本の凋落は、政治面からから眺めると同じ景色が見えてくる。さて、日本よ、どうする。