今村翔吾『海を破る者』(文芸春秋)を読了。テーマは「なぜ人は争わねばならないのか?」だ。
「元寇」という日本市場最大の危機である元寇の時代を借りて、「戦争と平和」についての答えに近づこうとする。登場する女性は、蒙古に襲われた「るうし」という国の、「どにぷろ」という川が真ん中に流れる「きいえふ」という名の街から流れてきたとの設定である。それは、今、ロシアから攻撃を受けているウクライナのドニエプル川のほとりのキーウ(キエフ)のことである。
この本の初出は「別冊文藝春秋」に2020年3月号から2024年1月号までの連載である。2014年にロシアがウクライナを編入、2021年、ゼレンスキー大統領がウクライナ再統合方針を表明、2022年2月14日、プーチンのロシアがウクライナへの攻撃を開始、今日に至るまで戦争は続いている。この戦争のさなかに書き続けた物語である。
以下、登場人物たちの「問い」と「答え」を探る言葉で構成してみたい。
一遍(主人公の叔父)
- 「元は何のために戦っているのだろうな」、、「それが明らかにすれば、元を止める手掛かりになるような気がするのだがな」
- (蒙古帝国がそのすべてを併呑すれば、以降は戦が絶えるのかもしれない)。一括りの国となったところで、人はそう容易くはまとまらぬものよ。目に見えぬ軋轢が生まれ、また内輪で戦を始めることになろう。
- それでも終わりはない。次は謀反を恐れるだろうな。
- 共に生きることも出来るが、殺し合うことも出きる。人とはおかしな生き物よ。
- 悲しみ差し出すのと同じ手で、憎しみ人を傷つける。どちらも人の姿なのだ。
- この世にいながらにして楽土を感じさせる術はないか。
- 一人が変われば、それがやがてうねりとなって周囲に伝播することがある。
- 末端の兵どうしは、何故己たちが戦っているのかわからないままに殺し合うのが戦というものである。
- そもそもこの戦は誰のためのものか。高麗人は会ったこともない万里先の一人の皇帝のため、一里先の見知らぬ万の人々と命を賭けて戦おうとしている。その奇妙さ、滑稽さ、無常さに、高麗人も気付いていないはずがない。
- 戦わずに止められぬかと。
- 他人のための戦をするな。我等は高麗人と争うつもりはない。
- 幕府のため、、、、いや日ノ本のためか。元に抗う全ての者のためだ。
- 島国である日ノ本は、大陸と比べれば、異国との往来は極端に少ない。それは相手を知らぬとういことを意味する。知らぬことは絶大な恐怖を生むのである。、、、日ノ本は、決して降ることをせず、最後の一人になるまで戦い抜くのではないか。
- 何のために命を懸けるのか。それは即ち、何の為に生きるのか。お主はどう生きるのか。
- 蒙古の勢いを挫くことで、名も知らぬ国の人々が救われることを信じて、戦うほかはない。
「海を破る者」とは、何か、誰のことか。
- 戦いの前に、るうしから来た女と半島のからきた若者に「この国を出ろ」「海を破っていけ。それが我らの戦いだ」と言って、再会を誓って呂宋(ルソン)に去らせている。
- 河野六郎とその一族は、敗戦の蒙古軍の残兵たちを救うという挙に出る。残兵を救い上げ、無傷の船で大陸に戻すという挙に出る時、六郎は「海を割って行くぞ」「一人でも多く救え! それが河野の戦だ!」と下知する。
このことで河野六郎は幕府に弓を引いたとして罪人となる。後に、一遍は執権の北条時宗と相対する。一遍は「御仏はいつも希みを下さっている。、、六郎はそれを最後まで信じ抜いたのです」「あれが奇人と呼ばれぬ世こそ、真の泰平と言えるのではないでしょうか。そして貴殿もまtら、そのような世を創らんと政を執っておられるはず」と言う。後は、天命に、時宗に任せるのみ。これもまた人を信じるということではないか。、、、
今村翔吾の作品群のテーマは、一貫して「戦争と平和」である。なぜ戦争が起こるのか、どうしたら平和をもたらすことができるのか。そういう問いと答えをさぐる物語が時代を借りて展開されていく。
現代の課題に対して答えを探そうというのが、今村翔吾という作家の「志」なのだ。今村の作品には、常に「希望」がある。それがファンの心を打つのだろう。
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「名言との対話」7月30日。外山滋比古「面白いことに夢中になって年を忘れているうちに死ぬ。これが一番」
外山 滋比古(とやま しげひこ、1923年11月3日 - 2020年7月30日[1])は、日本の英文学者、言語学者、評論家、エッセイスト。
愛知県西尾市出身。東京文理科大学(現筑波大学)文学部英文学科卒業。お茶の水女子大学教授。専門分野以外にも、多くのベストセラーを書き、ファンが多い。私もその一人だ外山先生には私が宮城大学に奉職し始めた頃、全国市町村職員研修所のパーティで言葉を交わしたことがある。私は「知研」のことを話題にすると、「八木さんとおっしゃいましたかなあ」と代表のことを懐かしそうに語っていただいた。
2018年に『効く「ビジネス書」徹底ガイド』(宝島社)で、毎日の習慣に影響を与えたビジネス書の8冊の本の1冊として紹介したことがある。 外山滋比古「知的生活習慣」だ。90歳を超えた外山節がさく裂。知的生活習慣を身につけてよりすぐれた人間になることを志すことが新しい生き方だという考え方である。日記を毎日つけて、日々のゴミを出して壮快な毎日を送ろう。図書館は本を読む場所というより、ものを書く場所として活用しよう。
以下、読んだ本を中心に外山滋比古の考えを改めて知ろう。
- 2008年4月15日:「中央公論」5月号は「特集 知的整理法革命」で、6人の発言を紹介している。外山滋比古「何歳になっても思考力は鍛えられる」。外山滋比古は、知ること(知識)と考えること(思考)の違いを強調した上で、思考力を磨くには外国語の読解と本をあまり読まないことをすすめている。知識が増えるのはよくないことであり、人間としての勉強をすべきだと語っている。
- 2015年、外山滋比古「知的生活習慣」(ちくま新書)を読了。
90歳を超えているが相変わらずの外山節を久しぶりに楽しんだ。15年ほど前に幕張の市町村アカデミーのパーティでお会いしたことがある。その時は知研の講師で来ていただいたことが話題になった。この本のポイントは、知的生活習慣を身につけてよりすぐれた人間になることを志すことが新しい生き方だという考え方である。そして生活を失った教育に問題があると述べている。日記を毎日つけて、日々のゴミを出して壮快な毎日を送ろう。図書館は本を読む場所というより、ものを書く場所として活用しよう。メモ魔。ランチョンパーティ。夕方の食前の時間。共同生活が重要。俳句は農村の詩であり川柳は都会の詩である。川柳には知性が必要。高齢者に向いている。 - 2015年。超老人・外山滋比古先生91歳の生活リズム。91歳の誕生日を迎えた外山滋比古先生の文庫本を軽く読んだが、凄いことが書いてある。新しいライフワークが浮かんできたというのだ。
- 2016年。文藝春秋12月号。「大逆転の人生劇場」を興味深く読んだ。「私は入学試験に二度落ちた」(外山滋比古)
- 『50代から始める知的生産術』(だいわ文庫)。最後の「残照夢志」のページには以下の叙述がある。誕生日には「うかうかしてはいられない。もっと大きな仕事をしなくてはいけない」と思った。「本当に考えるとはどういうことか」「忘却の効用」をより深く新しく考究しよう。それらをライフワークにしよう。「超老人の志」として、「新しい勉強」をしようと決心した。91歳で志を立てたたのだ。 この超老人の一日の生活リズム(日課)は以下のようになっている。4時半起床。5時46分の始発で茗荷谷駅から丸ノ内線で大手町に5時56分着。半蔵門線で九段下駅に6時5分到着。定期を買っている。北の丸公園に向かい、6時半からのラジオ体操を顔見知りと一緒に行う。皇居の周りを回る。半蔵門、三宅坂、桜田門、二重橋、大手町駅へ。地下道の喫茶で一服しカプチーノを飲む。地下鉄で座って帰宅。自宅到着は8時過ぎ。歩数は1万歩。朝食のしたくをし、食べ終わると8時40分。後片付けをしてひと寝入り(また寝)。長くて1時間。あるいは新聞。全ページの見出しを見て、一つ本文を読む。11時にまた寝から覚めて郵便物を処理し、自宅近くの図書館に向かう。図書館は書斎代わりで原稿書きを2時間。場所を変えるのがいい。午後1時には家に戻る。昼食をつくって食べ終わると午後2時。再び図書館に戻る。午後5時に帰宅。雑事を済ます。午後7時から夕食のしたく。午後8時に食べ始め、8時半に片付け。午後9時には床につく。テレビは見ない。
- 外山滋比古「知的生活習慣」(ちくま新書)。外山滋比古『知的生活習慣』(ちくま新書)に俳句と川柳の比較論があった。今川乱魚との面談で触発されたそうで、どちらも「頭の体操であり、俳句は田園の詩であり、川柳は都会の詩だという。日本人の知性を示すのにいいから国際的な文芸になる可能性があると喝破している。短歌は1000年の伝統の上に成り立っており、明治には俳句も含めて、正岡子規という天才があらわれて、両方とも近代化に成功している。川柳には近代には巨人がいないのが不幸だと外山は語っている。私は心情を詠む短歌、風景を詠む俳句、人世を読む川柳という分け方をして、2022年10月から川柳に手を染めている。この岸本水府の川柳そのものと考え方を読むと、その可能性のある一人ではないかと思った。本というものは、最初に読んだ時と、何年か時間が経って読むと違ったところに関心が湧くことがある。外山滋比古『知的生活習慣』を風呂で「浴読」したら、2015年の刊行時以外のところに赤線を引くことになった。
- ラジオ深夜便「100歳人生はこう歩く」95歳時のインタビューからを聴いた。「少食。レム睡眠。男子厨房に入れ。耳を使う知的生活。口を大事に。目で読む文字は過去のもの。AIができないものをやれ。3人寄れば文殊の知恵。70過ぎて3人会を再開。失敗が大事。実験的に生きる」
外山滋比古は20代からものを書き始めて、90代まで日記は一日も休んでいないそうだ。「黙々と走るマラソン」。「並べると後光がさすようで壮観」。「わが人生全集、こにあり」。「一日の決算」。「日記をつけ終わったとき、一種の快感を覚えるのは、忘却、ゴミ出しがすんで、気分が爽快になる、、」。「はつらつたる明日をむかえることができる」。「休んではいけない」。、、、、
外山滋比古には名言が多いので選ぶのに苦労するが、「面白いことに夢中になって年を忘れているうちに死ぬ。これが一番」を採ることにしたい。人生100年時代を生きる我々への応援歌である。