スーパーフラットミュージアム構想ーー「スーパーフラットはいまーー現代美術家 村上隆の挑戦」

ラジオ深夜便で「明日への言葉」で村上隆が2日連続で語っていた。

スーパーフラットはいまーー現代美術家 村上隆の挑戦」というテーマだった。村上隆の絵画展をみて、また弟の日本画家・村上裕二との対談を読んで、その思想に感銘を受けているので、この放送を興味深く聴いた。

村上隆(Takashi Murakami)被譽作「平成時代最偉大藝術家」,為何你還只懂笑臉花? - HEAVEN RAVEN - HEAVEN ...

以下、まとめ。PLAUD NOTEを使ってみた。

  • 絵画というものはチームワークでつくるものではないか。個人で描くだけが尊いのではない。工房で一緒につくるというやり方は昔からあった。浮世絵も刷り師などとのチームの作品であった。今でもジョージ・ルーカス工房、スタジオジブリ虫プロなど。
  • バブル経済時の箱もの行政で全国に多くの美術館ができた。そしてふるさと納税で資金調達をすれば、行政の予算を補填できる。今回京都で開催中のイベントでは4億円が集まって何とか開催できた。
  • AIの登場で絵画の可能性がさらに広がった。修行して手で描けるようになるのではなく、自分の考える言葉をプロンプトにして映像を生み出すようになっていく。いずれモニターで見るようになるかもしれない。今、日本で外国人がもっとも多く訪ずれるのはチーム・ラボの美術館だ。
  • 将来にわたって手、目、脳が接続した芸術は珍重されることは間違いないが、それがすべてではない。写真の登場と同じレベルの大ショックが芸術の世界で起こっている。
  • 日本の芸術の心棒をスーパーフラットと言い直した。日本画岡倉天心の意志を直系で継いでいるのは自分だという自負はある。
  • 紙芝居、貸本屋、漫画という流れは、映画を紙に焼き直したということだった。一回ペターッとゼロになって新しものが生まれてきた。これは日本のありようだった。それが、アニメも含めワールドワイドになった。
  • アメリカの占領政策で上流階級がいなくなって、日本は社会構造がフラットなった。大衆が愛する芸術として漫画が広く、薄く広がってスーパーフラットになったという社会背景がある。
  • 世界で人気の浮世絵、漫画、アニメなどは、平面的な表現で、スーパフラットと自分は再定義した。ただ外国人が日本にきても、アニメや漫画そのものに出会わないし、原画に触れることもできない。学術的な研究成果があるわけでもない。深く学ぼうと思っても、学習する場が全くないから欲求不満で帰っていく。死後でもいいから、最低100億円以上かかるスーパーフラットミュージアムをつくりたい。それが漫画ミュージアム、アニメミュージアム、ゲームミュージアムが全国にできるきっかけになるだろう。

62歳の村上隆は今回の京都での「村上隆 もののけ 京都」展は日本最後の展覧会だという。日本ではがんじがらめで行政などとストラグルしなくてはならないことに絶望している。ただ長い目で日本の本筋の伝統であり、誇るべきスーパーフラット芸術を世界に展開していきたいと願っている。「スーパーフラットミュージアム構想」が村上隆の究極の目標なのだ。

私が長年追求してきた「図解」も、実はフラットである。マルと矢印でで世界をあらわそうという考え方だ。漫画と図解の合作が世界一強力な表現になると前々から思っていたが、そういう世界を構築すべきかもしれない。図解ミュージアムか、、、、。

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今日の収穫

  • 高坂正尭「イェスパー君、著者がカタカナを多用していたら、その内容や提言はあまり参考にしなくていい」
  • 平野啓一郎「たった一人の傑出した人間の出現が彼の属するジャンルの全体をどれほど明るくするか」
  • 高光大船「手本にはなれんが、見本ぐらいにはなれる」
  • 寺山修司「ぼくは、その人がどういう本を読んでいるか、にすごく興味があってね」
  • 五木寛之「本というものは若いうちに読んだだけではだめで、ある程度、世間智というものが身について再読、三読することが大事なのだ」
  • 吉田兼好「死は前よりしもきたらず、かねてうしろにせまる」

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CD「沢たまき&プレイガール ミュージックコレクション」作品詳細 - GEO Online/ゲオオンライン

「名言との対話」8月9日。沢たまき「音楽を通じて人間として生き甲斐を与えたい、そのために音楽療法を確立し、多くの人たちに生きる勇気を与えたい」
沢 たまき(さわ たまき、本名:山本 昌子 - やまもと まさこ、1937年1月2日 ‐ 2003年8月9日)は、日本の歌手、女優、政治家。享年66。

川崎市出身。歌手や女優などの芸能活動の後、政界に転身し参議院議員を務めた。
ラジオ番組「大学勝ち抜き歌合戦」の優勝を機にデビューした学生歌手第一号だ。沢のヒット曲は「ベッドで煙草を吸わないで」だ。作詞は越路吹雪のマネージャーをながくつとめた岩谷時子である。ドラマ「プレイガール」のオネエ役もはまり役だった。
ウイスキーのコマーシャルで「ボトル一本開けられないで男か」」という台詞で啖呵を切っていた姿を思い出す。当然、酒豪だと思っていたが、実際はその時は飲めなかったそうだ。この語は流行語になり、賞をもらっている。

永六輔沢たまきの口癖の「明日天気になあれ」の物語を聞いて、次の詩を書いてくれた。
「幼い時の 口癖で 悲しい夜の 一人言 それが今でも なんとなく グラス片手の 一人言
 あの日あの時 つぶやいた くやしい夜を 思い出す それを今でも 繰り返す グラス片手の おまじない
 むなしい夜は さびしい夜は 明日は今日より 少しはいいと 固く信じて 自分で 明日を なんとかしなきゃちと
 言いきかせるの 幼い時の 口癖で 今の私を 勇気づけ 幼い時の 口癖が 明日私を たて直す
 明日天気になあれ 明日天気になあれ 明日天気になあれ」

沢たまきが、結婚、出産、離婚、独立、子育て、仕事のない日々、、、を乗りきったのは、「明日天気になあれ」の精神だったのだろう。「明日は天気になあれ」は、人生の応援歌だ。

肩書に「政治家」とあって意外な印象を持った。1998年に参議院議員にとなる。所属は公明党で、福祉、厚生労働分野で活躍している。対人地雷の全廃に向けて貢献をしている。

はじめての質問時には「政治家は大衆とともに語り、大衆とともに闘い、大衆の中に死んでいくという姿勢で国民生活の向上と幸せのために働いていかなければならないと思っております」と語った。政治姿勢は「普通の主婦が理解できる、分かりやすい政治に徹しなければならない」、だった。

「音楽を通じて人間として生き甲斐を与えたい、そのために音楽療法を確立し、多くの人たちに生きる勇気を与えたい」と音楽療法に取り組んだ。「すべての委員会で発言し、いろいろな問題提起をしていきたい」と周囲に語っていたが、志半ばの66歳で生涯を閉じた。