「名言との対話」9月分の人選を行った。
今年は「令和」に亡くなった人を中心に選んでいる。適当な人物がいなければ、「平成」のなるべく近い人を選ぶという方針。
知っている名前が、いつの間にか姿を消している。亡くなった特に話題にになるのはごく一部だということがわかる。
内橋克人。安倍譲二。野田一夫。瀬島龍三。阿部謹也。古川貞次郎。神近義郎。神坂次郎。色川大吉。エリザベス二世。加藤紘一。高見のっぽ。久米是志。加藤九祚。宮沢章夫。市川猿翁。矢尾板貞夫。杉田信夫。樹木希林。金森久雄。逆鉾。清元澄子。河鍋孝文。又市征治。庄司照江。米川哲夫。豊山。塩川正十郎。ゴーマン美智子。加藤秀俊。伊東俊太郎。遠山一。五十嵐喜芳。さいとうたかお。池永正明。佐野真一。江原正二郎。有吉道夫。竹内結小。武村正義。寺田明彦。佐藤しのぶ。山脇百合子。円楽。すぎやまこういち。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「川柳まつど」8月の投稿。
「予備費って つまるところは 裏ガネか」「40度 無帽の人は 無謀だぞ」「デビ夫人 私は違う デブ婦人」「父の日の 下駄履き潰す この夏も」「はげましと なげさめを書く 手紙には」など。
7月刊行の457号では「吐鳳」として二句とられた。
「負けないぞ 睡眠だけは 大谷に」
「晴れ晴れと 我が意を得たる 日を愛でる」
ーーーーーー
岸田首相が退陣表明。「出処進退」が問題。時期と場所と理由。
ーーーーーーーーー
「名言との対話 」8月14日。豊田泰光「人間はひとつのポジションで、一ついい仕事をすればそれで十分」
豊田 泰光(とよだ やすみつ、1935年2月12日 - 2016年8月14日)は、プロ野球選手、野球解説者。享年81。
現役時代は豪快な打撃で、西鉄ライオンズ(以下、西鉄)黄金時代の主力選手の1人として活躍した。引退後はニッポン放送、フジテレビ、文化放送、スポーツニッポンの野球解説者をつとめた。2006年に野球殿堂入り。
「週刊ベースボール」で「1993年末から2013年までの20年、1001回にわたって「オレが許さん!」というコラムをまとめた本『豊田泰光 108の遺言』を読んだ。不調の時、途方に暮れた時に、誰かの言葉に救ってもらったという経験が書かせた本である。1001回で終えたのは、千夜一夜という意味だろうか。108は煩悩の数か。
恩師と仰ぐ西鉄の三原侑監督の言葉も紹介している。
「何でも一生懸命やり過ぎちゃいかん。ゴムひもだってひっぱり続けたらちぎれるよ」
「これから戦うジャイアンツは日本一のチームだ、そして強い。だからきょうは負けてもいい。その代わりよく見ておきなさい」。初戦は負けたが、日本シリーズは西鉄が3勝2敗で制した。以降、1956年以降3年連続日本一となる。
三原からは、本を読めと言われて、実行したことが、後の評論家稼業に役に立った。
・食事は常に正餐である。(選手の不祥事を憂いて、正装で食事をさせよとの提言)
・「うまい」はあっても「やるもんだなあ」がない野球はつまらない。(大谷翔平には打者は余技として、投手に専念せよ、という意見だった)
もう一冊『すべては野球が教えてくれた』(中経の文庫)を読んだ。メッセージは名選手スタン・ミュージアルの言葉だ。当時23歳あたりの豊田は「年齢に応じて野球というものは変えなきゃダメなんですか」と38歳のミュージアルに問いかけた。「若いときは身体が君を守る、中年になったら技術が君を守る、最後は頭が君を守る」という答えだった。その教えを10年後に思いだして、ホームランを連発している。
「人間はひとつのポジションで、一ついい仕事をすればそれで十分」という豊田は、選手としても豪快だったが、評論家としても辛口で聞かせた。ワンポジション・ワン仕事。ビジネスマン時代には、私も一つのポジション3年でひと仕事と考えていたから、共感する。豊田泰光は、それを地でいった人だ。