旧白洲邸「武相荘」へ4回目の訪問ーー帰って『鶴川日記』を再読

旧白洲邸武相荘」へ4回目の訪問。白洲次郎白洲正子の旧宅が記念館になっている。2006年5月以降3度訪れている。

白洲次郎吉田茂のブレーンをつとめた快男児で、「マッカーサーを叱った男」として有名だ。妻は白洲正子で、こちらは本物の生活を営んだ「日本文化の目利き」の女性として死後も人気が上がり続けている人である。 「野人と韋駄天  世紀のカップル」というタイトルの企画展も見たことがある。

次郎と正子は8つ違い。次郎は57歳で東北電力会長を退き、日曜大工とゴルフ三昧の日々をおくる。軽井沢ゴルフクラブの理事長として人生をエンジョイしながら83歳で亡くなるまで26年過ごした

正子は次郎が亡くなった時は75歳。それから88歳まで13年間あった。

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白洲正子の書斎

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母屋全景。

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1951年。サンフランシスコ平和条約の調印を終えて帰国した吉田茂首相(左。帽子をあげている)と随伴した白洲次郎(右。米軍将校と会話中)。

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白洲次郎のゴルフの構え。

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ポルシェ911の同型のクラシックカー

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帰って、『白洲正子 鶴川日記』を再読。

正子は「アメリカの女学校に行ったので、幸か不幸か、文学少女のなる時期を逸した」。帰国すると「国文学と漢文を毎日詰め込まれ」た。

娘の牧山桂子からは「私と遊んでくれることなどあまりなかった母」と「復刊によせて」で書かれている。そして「私は自伝を書くほど立派な仕事をしていないし、日記もつけてはいない」と「あとがき」で記している。

この本は、「鶴川日記」「東京の坂道」「心に残る人々」の3章でできている。やはり、面白いのは交遊録だ。

梅原龍三郎:90歳になんなんとして、いよいよ瑞々しい絵が描けるとは驚くべきことである。青山二郎は「因業屋のビフテキ」にたとえた。完全に日本化した西洋料理と同じという意味だ。

  • 熊谷守一:底抜けに明るい絵が、平板に見えないのは、そこに長い人生を生き抜いた人の、深い喜びと悲しみの裏打ちがあるからに他ならない。「人間に忠実すぎて、見ていて辛いからだ」といい、犬を飼わなかった。
  • 吉井勇:「長生きも芸のうち」
  • 芹沢けい介:陶器に絵付けがしてみたい。、、、と目を輝かせていわれた。(1978)
  • 北小路功光:「つまづきて ふり還る道に何もなし わが来しあとを うす非さしをり」「安かりと おのれに己を偽はらぜ 粥の熱きに舌を焼きけり」。柳原白蓮の子。
  • 樺山資紀(祖父)「ほんとうに立派な人たちはみな御維新の時に死んでしまった。残ったのはカスばかりだ」

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「名言との対話」8月17日。笑福亭仁鶴「四角い仁鶴がまぁーるくおさめまっせぇ」

三代目 笑福亭 仁鶴(さんだいめ しょうふくてい にかく1937年昭和12年〉1月28日- 2021年令和3年〉8月17日)は、日本落語家テレビタレント司会者。享年84。

大阪市出身。1961年、6代笑福亭松鶴に入門し、仁鶴を名のる。ラジオ大阪の深夜番組で若者に圧倒的な人気を得て、桂三枝とともに昭和40年代の上方落語ブームで、落語家タレントの先駆けとなる。「道具屋」などの古典落語を得意とした。

落語家出身のスターとして、羅時、テレビへの出演以外にも、ドラマ、映画、アニメ、そしてカレーやビールなどのCMなど大阪のエンタメ界を盛り上げた。圧倒的な人気があり、「視聴率を5%上げる男」、「笑いの爆弾男」などの異名がある。後輩の西川きよしは「ラジオでは機関銃のようにしゃべり、テレビでは爆笑に次ぐ爆笑。そして劇場では天井が抜けるほどの笑いの波」とその芸を讃えている。

苦境にあった吉本興業桂三枝らとともに所属し、今日の吉本の基礎を築き、「吉本中興の祖」と呼ばれた。また、三枝と並んで上方落語界の重鎮となった。

落語での芸風の変化は大きかった。まず、あくの強いスピーディーな語り口。次に、地味で硬い語り口。そして、機関銃のようなスピードと強さ。最後は、適確な描写力を持ってじっくりと聴かせる正統派として高座にあがった。

得意の演題のリストを眺めると、膨大な作品があがっている。代表的な演題には、「黄金の大黒」、「くっしゃみ講釈」、「道具屋」などがある。

2014年9月の『青菜』の動画をみた。スピードの速い調子で、若い女性の笑い声が多い。初めて落語をやっている姿をみたが、やはりうまいなあ。

「四角い仁鶴がまぁーるくおさめまっせぇ」は、30年以上続いた法律バラエティ番組『バラエティー生活笑百科』(NHK大阪)の冒頭の枕だ。この言葉とこの番組はよく聞いたし、よく見た。庶民同士の複雑な権利問題を、出演したタレントたちと議論し、最後は弁護士が採決する。それを司会の相談室長つとしてさばくという難しい役割だったが、仁鶴はいつも「まぁーるく」おさめていた。

泣き言は一切いわず、酒でも崩れなかった。そして誰に対しても、柔らかい言葉遣いをする、おだやかな人柄だったから適役だったのだろう。