『図解コミュニケーション全集』第9巻「日本探検」を編集中。

「図解コミュニケーション全集」の第9巻の編集が最終段階に入っている。

 

以下、「まえがき」

『図解コミュニケーショ全集 第9巻 応用編3 日本探検』は、4つの書籍で構成されています。

Ⅰ:「日本一わかりやすい 図解日本史」(PHP)

教養のある人とは、日々いかに生きるべきかを問い続けている人だという定義があります。それには、まず足元の自国の歴史に対する自分なりの歴史観を持つことが求められます。この本が歴史に関する他の本と違うのは、歴史の流れやテーマごとの全体を丸ごと図解している点です。100枚以上の図解とその解説文をたどることによって、日本の歴史を概観することができるでしょう。

Ⅱ:「事業構想学入門」(学文社)第7章「事業構想力を鍛える教育の試み」

宮城大学事業構想学部の立ち上げにあたり、同僚の先生たちと書き上げた「入門」編に、私は「事業構想力を鍛える教育の試み」というテーマで、私の担当している顧客満足ゼミ(CSゼミ)の活動を報告しました。宮城県や県下の市町村がかかえるテーマについて、フィールドワークをもとに、その解決策を提言する報告書を完成させる活動です。日本の一つの県という地域の課題についての深い理解と、解決の方向について考える中から事業構想力を鍛えるという方法論を確立する試みの報告です。

Ⅲ:『大胆図解 日本の白書』(同文館

複雑で、かつ巨大な「日本」という国の、個々の分野の問題と分野同士の関係、そして全体像をつかむのは至難の業です。経済、社会の実像を、国が周知する各種の「白書」は、法律に規定に基づいて国会に提出する報告書と、閣議への報告があります。日本の官庁は、最大のシンクタンクであり、統計や資料を駆使して、実態や課題、そして取り組むべき方向を示しており、日本の全体像を知るには最も役に立つ情報源です。その1998年版の白書を1章1枚の図解にまとめ、その図解をみながら解説を書いたのが本書です。

Ⅳ:『今の日本がひと目でわかる本』(三笠書房

21世紀に入って、急速に混迷を深めつつある日本、「今の日本」の課題の全体像を図解で明らかにしようとした本です。経済、税制、金融、経営、高齢化、医療、年金、防衛、、、など山積する課題について図解で明らかした本です。この本を刊行した2007年からすでに17年が経過していますが、ほとんどの課題は解決できずに空しく時を重ねています。21世紀に入っての日本の凋落をみる思いがします。

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「名言との対話」8月23日。渡部恒三「健全な民主主義が日本で根を下ろすためには、二大政党の実現しかない」

渡部 恒三(わたなべ こうぞう、1932年昭和7年〉5月24日 - 2020年令和2年〉8月23日)は、日本政治家

福島県南会津町出身。中学1年時に出会った天才・小室直樹とは生涯を通じた友人であった。早稲田大学文学部入学し、雄弁会幹事長となる。

笠井尚『渡部恒三伝』を読了した。

恒三は「会津っぽ」だった。それは朴訥だが一本芯が通っているという会津人の性格である。若い時代は、東北のケネディとして登場し、晩年は、政界の「水戸黄門」と呼ばれた。敵ができない、この人の愛嬌のある発言はよく覚えている。

37歳初当選(森喜朗と同期)。51歳厚生大臣(健康保険法改正と年金法の改正。トルコ風呂をソープランドに改名)。57歳自治大臣(ふるさと創生の仕上げ。例:古関裕而記念館)。59歳通産大臣

小沢一郎とともに気民党を飛び出す。自民党を64歳衆議院副議長。73歳民主党最高顧問。80歳政界を引退。

師匠について。私淑した中学の英語教師・小林貞治から政治家にななら早稲田に入れと言われた。早稲田大学時代は、雄弁会幹事長として「友愛精神を掲げた」鳩山一郎に私淑。政治家として接した石橋湛山は「対米自主・軽武装日中関係の改善、福祉国家の建設」を主張した。「己がなく常に天下国家を考えていたと尊敬している。田中角栄にもとで活躍したが、角栄は「よく集め、よく散ずる」という意味で英雄だった。

友と敵:小沢一郎。「言い訳もしないが説明もしない男」と語っている。非情に徹することができる小沢一郎とは友であり、敵でもあった感じがする。使い捨てにされるのを覚悟のうえで小沢と行動をともにしたのである。恒三は敵をつくらない性格で、私利私欲がないとされるのには納得する。

「政治は弱い者のための味方でなければならない」が信条で、一度会った人間とは、最後まで付き合うという主義であった。

「今の自民党アメリア仕込みのグローバリズムに与している」とし、真の保守ではないという見解である。

「健全な民主主義が日本で根を下ろすためには、二大政党の実現しかない」との志を抱いていた。「何らかの交替手段を欠いた国家は維持の手段を欠いている」(バーク)という言葉があるように、政権交代のある政治体制をつくるという志を持続し貫いた生涯だったのだ。