リアルとリモート

先週の日曜日から今週の土曜日までの一週間を「リアル」と「リモート」という視点で振り返るトライアルをやってみよう。昼間はリアル、夜はリモートという生活になっている。

リアル(人・旅・本・メディア)

  • 8月の寺島実郎の「世界を知る力」(東京MXテレビ)を視聴し、内容をブログにアップ。「アメリカ大統領選」「中東情勢」「日本経済」。テレビでの「講義」、「図メモ」、そしてPLAUD NOTEによる「要約」と「文字起こし」。
  • 半藤一利『それからの海舟』(ちくま文庫)の書評を執筆。江戸っ子の「歴史探偵」・半藤一利勝海舟に対する贔屓の書。
  • 九段で寺島実郎さんに面談、宿題ももらった。終わって外に出ると、ものすごい豪雨だった。新橋で橘川さんと福岡から上京した八木さんと昼食。今後の展望。終わると、天気は回復していた。東京駅の東京ステーションギャラリー「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展をみた。
  • 『図解コミュニケーション全集』第9巻「日本探検」の編集作業。
  • 長池ぽんぽこ祭り」を見物。いつも散歩をしている長池公園の恒例のお祭り。この公園は、スタジオジブリの1994年の「平成狸合戦ぽんぽこ」(高畑勲監督)の舞台となった多摩ニュータウンンの一角。大谷の「40-40」達成に感激。
  • 電話で中津、博多、浅草の旧友たちと交流。

リモート(朝は秘書と打合せ。夜は各種会議と塾、セミナー)

  • デメケン(デジタルメディア研究所)会議。「アクティブ・シニア革命」編集部ミーティング。
  • 「福祉図解塾」の4回目を開催。20時半から23時まで。福祉に関する新聞の社説の図解の宿題を発表し、相互に質問し、アドバイスする。そして私からコメント
  • 「幸福塾」の「新・代表的日本人」シリーズ。20時から22時。「持続する志」の2回目。二刀流の個人に加え、家族と法人にまで視界をひろげる、、。
  • 知研幹部会。知研セミナーのゲストは世古真一さんの「かたづけと段取りの技術ーーファイルティーチャーと情報介護」。参加者は20人ほどで盛況。

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「名言との対話」8月25日。高木東六「後悔していることがある。それは、この八十年、無精をして日記をつけなかったということだ」

高木 東六(たかぎ とうろく、1904年7月7日 - 2006年8月25日)は、主に昭和期に活躍した日本作曲家。享年102。

鳥取県米子出身。関東大震災。横浜の家がつぶれた。一瞬の差で助かる。ヨコハマ・グランドホテルの前に海には見渡す限り裸体の姿態が浮かぶ地獄絵図を見る。東京音楽学校ピアノ科に入学するが、中退。パリのスコラ・カントムール卒業。山田耕筰先生とパリで再会し、作曲家になれとすすめられる。山田耕作は宴席での話の三分の二以上が愉快な猥談で、替え歌のセンスも天下一品だったと後に語っている。

管弦楽曲「朝鮮風舞踊組曲」が1940年に新京音楽院賞に1位入選、1942年には文部大臣賞を受賞。1939年からオペラ「春香」の作曲を行ったが、1945年5月の空襲により東京の自宅は全焼し、楽譜も焼失する。失意の中、長野県伊那市疎開。そこで「春香」の再作曲の依頼を受け、1947年「春香」二作目が完成、翌1948年に初演される。

高木はクラシック出身ながら、「空の新兵」などの軍歌、軽音楽、「水色のワルツ」などの歌謡曲オペラピアノ曲シャンソンポピュラー曲など作曲は多岐に亘った。

テレビでも、NHKの「あなたのメロディー」やTBSの「家族そろって歌合戦」に長期間、審査員として出演。ユーモアと辛口での批評を私も覚えている。

本当の音楽はメロディじゃなくハーモニーにあるんです。魂をゆするような深い感動はハーモニー以外にはありませんよ」「好きなものを見つけること。あとは脇目を振らないこと」 私は思う、いまが一番大事な時だ、もう一歩 」

 「これから書くことは、女房だけには一切読まれたくないのだが、、、」と『人間の記録 高木東六 愛の夜想曲』の「第三章 わが青春のパリ」の書き出し述べているが、1985年の「あとがき」でグチを言っている。「わが女房が突如ぼくに冷たく、口もきかなくなってしまったのには弱った」。この本には、妻のことも出てくるが、この「人間の記録」シリーズでは珍しく、女性遍歴が中心になっている。パリに向う船内で「ぼくの女性不信は、このときから始まったといってよい。日本の女性も含めた、世界中の女性に対して、である」と書いているが、その後パリに着いてからも、懲りずに女性に接している。

「毎日を、不安なく平和に過ごせることが何よりの長寿の秘訣」と信じていた高木東六は102歳で没したセンテナリアン(百寿者)であった。日本ハリストス正教会に所属する正教徒であり、埋葬式お茶の水ニコライ堂で行われた。聖名ギリシャ語語源で「不死の者」の意味のアファナシイ。

 高木は、作曲家であり、幸いなことに人生の軌跡としての作品は残っている。しかし、無精をして日記をつけてこなかったことによって、焦点となること以外は、ぼやけて、あいまいになっしまった。「本当にじだんだ踏むおもいがしている」と後悔している。

私も若い頃から何度も日記をつけることに挑んだが、長続きはしなかったし、残っていないのは同じく残念な気持ちがする。しかし、後悔しても仕方がない。ブログを書き続けることにしよう。 その決意を高木の言は後押しをしてくれた。