「図解塾」の日本文化シリーズ:「琳派」「わび・さび」「和洋折衷」

「図解塾」の「日本文化」シリーズ。本日のテーマは「琳派」「わび・さび」「和洋折衷」。毎回、日本文化に関する理解が深まっていく感覚を塾生たちと共有できて、愉しい時間となっている。

次回以降は、和服、狩野派、会社。桂離宮、歌舞伎、、などが続く。

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以下、塾生の学びから。

  • 本日もありがとうございました。近況の中でいつものことながら、いや多分いつも以上に久恒先生の動きに脱帽しています。特にアクティブシニア倶楽部をめぐって次々と新しい発展の可能性ができていることは感激です。図解塾も新しく増田さんをお迎えし、ますます活性化してきました。私は前回、前々回欠席した分の「わび・さび」の図解を見ていただきましたが、白洲正子さんのエッセイとも言える文章に調べたことを付け加えてまとめることができました。「衰えゆくもの」「不完全なもの」に価値を見いだす日本人の特質を改めて認識しました。「琳派」についてはほとんど知りませんでしたが、長時間かけて調べられ、きれいにまとめてくださったおかげで全体的に把握することができました。特に、現代のデザイナー田中一光さんの日常的にわれわれが接している商業デザインにつながっているのには驚きました。 「和洋折衷」については時代の流れと衣・住・食・宗教といったカテゴリーで一覧表的にまとめられ、とても理解しやすかったです。日本人が洋を受け入れつつもそれが不徹底で和に取り込まれているのを改めて認識しました。町家の中に会議がしやすいような部屋があるように、海外の方の求めている日本の伝統文化を大切にしつつ機能的にしていく和洋折衷の工夫がこれからもますます必要になってくるでしょう。次回以降も楽しみにしております。
  • 今日も図解塾参加させていただきありがとうございました。今日は、これまでできていなかった図解宿題「琳派」について作成し発表しました。初めての図解発表で、時間をかけて作った図解をうまくプレゼンできるか緊張して、冒頭の先生の話は半分くらいしか頭に入ってきませんでした(苦笑)。しかし、いざプレゼンテーションをはじめると、自分が作った図解がプレゼンテーションを助けてくれるツールであることをあらためて理解しました。皆さんからも暖かい評価をいただき感謝です。自分の発表がおわるとリラックスして、「わび・さび」「和洋折衷」のシンプルながら洗練された図解の説明を聞くことができ、お二人のシンプルに見やすく、聞き手が理解しやすくとめる図解に自分の作成した図解とは違う魅力を感じました。
     「わび・さび」の図解から感じたのは、ピークを越えていろんなものがシンプルに洗練(引かれる)されていく日本の美的価値観を感じ、和洋折衷ではそれぞれの時代で新しい文化との融合(足される)していきながら、和の文化として創り上げられていく様を、二つの発表を聞いて感じさせてくれる図解でした。こうしたインスピレーションを与えてくれるのも図解の魅力だと感じます。今回、知らない分野であっても図解することで知識が広がる感覚、入り込んでしまう感覚を少し感じられたのはとても良い経験でした。
  • 久恒先生、みなさま、本日は図解塾ありがとうございました。今日は『日本を知る105章』の続きで「琳派」「わび・さび」「和洋折衷」の3つについて図解で読み解きました。「琳派」では、本阿弥光悦を出発点として、俵屋宗達尾形光琳尾形乾山と続いていく流れが、それぞれの代表的な作品とともに図解されていて、とても分かりやすく理解できました。また琳派の作品群をデザインという切り口で眺めてみると、実にたくさんの工芸品に琳派の流れが浸透していることがわかり、まさしく「日本のかたちの原型」となっている、と思いました。また「わび・さび」については、何となく感覚で捉えてはいるものの、言葉ではうまく表現できないところがありましたが、詫びしい、寂しいといった不完全なものに対する美意識や、奥ゆかしさ、自然な振る舞いなども包含している日本人独自の感じ方、文化なのだということが改めて分かりました。 また「和洋折衷」では、明治以降に特に顕著ではありますが、実はそれだけではなく、日本のあらゆる時代、あらゆるものが、中国も含む外国からの影響を受け、日本化されてきた歴史があるということを再認識しました。その意味で、シンクレティズム(異なる複数の文化や宗教が接触して混交している状態)が、「日本文化を解く重要なカギ」という見方は、とても納得がいきました。ありがとうございました。次回もまた楽しみです。
  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。今回は規定科目の『日本を知る105章』の「19_琳派」、「21_わび・さび」、「23_和洋折衷」の3つの図解が発表されました。「琳派」については、発表者が調べた補足内容がたくさん追加されていたので情報量が非常に多かったんですが、区分けした図の配置(構成)を工夫したり、琳派の作品を写真で貼付したり、矢印の表記を工夫したりされていたため、まとまりごとでも全体的に見てもとてもわかりやすかったです。「わび・さび」については、原文では「わび・さび」を直接的に説明している部分は無く、著者の白洲正子さんの体験記のようでした。そこで、発表者は補足として表千家のホームページやWikipediaの情報を使って図解を作成されました。おかげで、「わび・さび」とは何か、また、著者が伝えたかったであろう「わび・さび」のニュアンスを感じ取れた気がしました。 「和洋折衷」については、図の最上段に「江戸幕末・明治・大正・・・」と時代が明記されていたので、下段にある各図は時系列で並んでいるんだと予めわかったため、図の読み取りがしやすかったです。また、この図を見て、キーワードを太字にしたり、図の枠の形や矢印の形状を変えたりすることで、どこから見始めればいいか、どんな関係性があるのかといったことがすぐ見分けられるんだということ、即ち図解作成のポイントを改めて実感することができました。最後に、3つの図解を通して久恒先生から解説があり、その中に「日本化」という言葉がありました。日本の文化のキーワードだと思うのですが、私が担当する「25和菓子」の原文にも「日本化」がありますので、図解作成にあたり、意識したいと思いました。次回も引き続きよろしくお願いいたします。
  • 本日、初めてここの図解塾にお邪魔しました!みなさん、図解の基本をしっかりと守って、モノクロできれいに作成されていたり、時系列で分かりやすく並べられていたり、とても学びになりました。福祉図解塾の宿題をやる気のモチベーションが上がりました~!ありがとうございました♪
  • 8月の図解塾に参加させていただき、久恒先生や皆さまありがとうございました。今回は「日本を知る105章」から、「琳派」「わび・さび」「和洋折衷」というテーマをもとに、塾生の方が、図解をされました。どの図解も非常に丁寧で要点がしっかりとまとめられており、とてもわかりやすいものでした。 特に、「琳派」の図解に10時間もかけられたというお話には感銘を受け、素晴らしい図解になっており、とてもわかりやすかったです。豊富な写真と詳細な説明から、「琳派」が日本の美の象徴であることが深く理解できました。また、日本のグラフィックデザイナーで、1964年の東京オリンピックのメダルのデザインをされた田中一光さんのデザインが琳派に影響を受けていることを知り、日本の伝統と現代のデザインが繋がっていることがとても興味深く感じられました。「わび・さび」の図解も心に響く内容でした。「不完全」という美意識が日本独特のものであり、西洋の「完全」を追求する価値観とは異なることが、図解を通してよく理解できました。この「不完全」を評価する視点が、日本の美の本質であると改めて感じました。「和洋折衷」の図解も非常に興味深かったです。江戸末期から昭和戦前までの文化の移り変わりを図解で視覚的に理解でき、現代に至るまで和と洋がどのように融合してきたかがよくわかりました。特に、衣食住の「衣」や「住」における具体例が挙げられ、私たちが日常で目にする和洋折衷の文化が改めて考えさせられるものとなりました。今回の図解塾を通じて、日本人の美意識や文化について深く考える機会を得ることができました。次回の図解塾も今から楽しみにしています。ありがとうございました。
  • 本日も図解塾ありがとうございました。『日本を知る105章』から、本日は「琳派」「わびさび」「和洋折衷」でした。「琳派」はきらきらした屏風に絵が描いてあるイメージでしたが、インテリア、プロダクト、グラフィック、出版、パッケージといったデザインだ。ということを言いきっていて、新たな見方でした。コラムを書いた田中一光さんがとても琳派に思いがあることが分かりました。本阿弥光悦俵屋宗達尾形光琳尾形乾山・坂井抱一・鈴木其一、、、と名前が出てきて、関係性がみなさんのお話から分かってきました。こんな機会がないと知らなかったかもしれません。ありがとうございました。「わびさび」は白洲正子さんの文章からの図解をみながら、わびさびとは、日本人独自の美しさや文化の捉え方、なんだということがわかりました。また、わびしい、さびしい、から、それを美しいと思う日本人ならではの感性を、大切にもっていたいと思いました。 「和洋折衷」は、今回私が図解に取り組んでみましたが、日本文化はすべてここに集約できるのではないかと思いました。もとは日本の外からきたそれぞれの文化は、日本のこの地理と人と気候と生活などによって日本風に進化されてきた。和洋折衷は日本文化を解く重要なカギのひとつだ。ということに納得です。次回からも面白そうなお題が続きます。楽しみです!
     
     
     
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    都築 功
     
     
 
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近藤 千恵子
 
 

 

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Tsutomu Hata - Wikispooks

「名言との対話」8月28日。羽田孜「普通の人間の考え方、普通の人間が使っている普通の、わかりやすい言葉を使う。そのことが、私のモットーです」

羽田 孜(はた つとむ、1935年(昭和10年)8月24日 - 2017年(平成29年)8月28日)は、日本の政治家。第80代 内閣総理大臣。 享年82。

長野県上田市出身。成城大学経済学部卒、小田急バスに入社。1969年、衆議院議員総選挙に旧長野2区から自民党公認で立候補し初当選。農林大臣、大蔵大臣、外務大臣などを歴任。

1992年、自民党を離党。新生党を結成し、党首に就任。1994年、内閣総理大臣(第80代)に就任するも64日で内閣総辞職民主党に合流し、初代幹事長に就任。以後、特別代表、最高顧問を歴任。

「孜」(つとむ)という名前は、孜々(しし)としてひたすら励むという意味だ。座右の書として、中曽根康弘からもらった勝海舟『氷川清話』と城山三郎『落日燃ゆ』を挙げている。海舟にならって自民党より国を選び党を飛び出す。広田弘毅からは外交のあるべき姿を学んでいる。

羽田の『志』という本が刊行された1996年時点では、「官僚に振り回される国」「顏が見えない国」という批判にこたえるべきだと主張している。

羽田は政治改革に取り組んだ。政権交代が起こる小選挙区比例代表制の採用を盟友の小沢一郎らと実現した。小沢については方向性を指し示すことができる、大きな決断がスポン、スポンとやれる、非情でもあり泥をかぶることも知っていると述べている。

『小説 角栄学校』(浅川博忠)を手にして、第6章「乾坤ーー直門下生、小沢、羽田、渡部、奥田、綿貫、梶山らの入門」を読んでみた。

1969年の総選挙で、佐藤栄作総裁が自民党300議席を獲得した時に、幹事長として辣腕を振るったのが田中角栄幹事長だった。このときに、当選したのが、27歳の小沢、33歳の羽田、そして渡部、梶山らだった。彼らは佐藤派に入会したが、実際は田中派だった。角栄は、「俺の目の中にいれてもいたくないやつら」と特に、小沢と羽田を可愛がった。

角栄は羽田に対し「たいせつなのは当選した後だ。間髪入れずに3万件を歩くのだ」と激励している。彼らと20年以上付き合った金丸信は、後に「平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」と言い得て妙な言葉を吐露している。小田急バスで課長までつとめた温厚な性格の羽田は、平時のリーダーだとの分析だ。羽田は角栄を大きな度量をもった情の人だとして師事していた。初当選から半世紀以上たった今の時点でまだ生き残って、三度目の政権交代を目指しているのは小沢のみである。

小沢、羽田と一緒に行動した渡部恒三は、『渡部恒三伝』で、「言い訳もしないが説明もしない男」とした小沢よりも、羽田にシンパシーを感じていた。

羽田の父は衆議院議員で出版業にも取り組んでいた人物で、宮澤賢治風の又三郎』を出版している。そういう縁もあって羽田孜は賢治の『雨にもまけず』に影響を受ける。久しぶりにこの詩を読んでみた。「東に病気のこどもあれば 行って看病してやり 西につかれた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 北にけんかやそしょうがあれば つまらないからやめろといい」「みんなにデクノボーとよばれ ほめられもせず くにもされず そういうものに わたしはなりたい」。政治家・羽田孜はこの精神を日本のメッセージとしていこうと考える。確かに日本のあるべき姿のひとつであろう。

普通の人・羽田孜は、選挙時のスローガン「普通の言葉が通じる政治」そのままに普通の国になろうという「志」をもち、孜々として励んだ人である。

参考:『小説 角栄学校』(浅川博忠