朝の「イコール」編集長会議を終えて、横浜で、ミニ兄弟妹会の居酒屋での昼食会。
弟(2つ下)も妹(6つ下)も元気で、昔話に花が咲いた。このメンバーで会うと、大学時代の弟とのエピソードを思いだして、あまりにおかしくて涙を流しながら笑ってしまう。いつものことだが、こういう時にしか、こういうことは起こらない。ある種、うれし涙かもしれない。
終わって、喫茶「ルノワール」で続き。帰宅は17時ころに。あー、愉しかった。
「楽しい」は、心躍るようなときに使う。「愉しい」は、わだかまりがなく心がとても軽いという心境のときに使う。そして気持ちが和らいで、穏やかな状態を指すから、今日は愉しかったと表現しておこう。
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「名言との対話」9月13日。辻勲「ガブリと口一杯にほおばって、世のありとあらゆるものを食いちぎり、食べ散らかしーー飲み込み吐き散らす」
辻勲(1923年7月15日ー2003年9月13日)は、料理研究家。享年80。
この人を、日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)では、次のように説明している。父・徳光の日本料理に逆らい西洋料理からスタート。1946年日本割烹学校栄養食品科専任教授、学科長及び月刊「家庭と料理」編集局長を兼務。1952年副校長、1959年日本調理師学校(現・辻学園日本調理師専門学校)を創立、校長に就任。のち学園長。1961年ニッポンフードサーヴィスを設立、代表。家庭料理教室である“辻クッキングスクール”を全国に展開するなど活躍。
この間1979年スイス政府主催の国際芸術料理コンクールに日本料理を出品してグランプリを獲得した。フランス料理アカデミー会員、日本ソムリエ協会ソムリエ・ド・ヌール。また1980年全国料理学校協会理事長、のち会長を務めた他、全国調理師養成施設協会名誉会長、全国料理技術検定協会会長、辻学園調理技術専門学校学園長、辻クッキングスクール学園長などを歴任した。著書に『日本の味と文化』などがある。
自伝『我が回想のモンマルトル』を読んだ。文学青年が、父の道「料理家」を継承することに決め、パリに渡り西洋料理を学んでいく物語が中心だ。ひたすら職人としての料理人たるべく技術を志した。技術の集積が文化であり、その技術は職人群が担ってきたとし、食文化は民族文化の集大成であると辻勲は考えている。
最終の2ページにわたって、食文化に関する大図解が掲載されている。また「フランス近代料理人の系譜(世界の料理の流れ)」という図解もある。この図によると21世紀は「心の癒しの時代」であり、「マクロビオテック」「ギリシャ医学への回帰「医食同源思想への回帰」「予防医学と自然治癒」「アーバンカントリー」などのキーワードで説明している。他にも「料理長の変遷」などの図が数枚あり、親しみを感じる。
料理社会で成功するための心得19か条が掲げてある。料理人、職業人としての総括だろう。「各自の個性と独創こそ大事!」「仕事が好きになれ!夢中になれ!『志楽』」「基本に忠実!油断大敵!事故を起こすな!」「ワンパターンではだめ!」「創造的スピリッツを持て!」「自らの仕事に誇りを持て」「リラックスして、自分の本当の力を発揮せよ!」「情報は素早く生かせ!報告を忘れるな!」「指示しなければ、動かない人はダメ!」「周囲にやさしいプラスの波長を流せ!」「結果は原因なり!」「失敗の結果にこだわるな!」「少しの差を馬鹿にするな!」「『習っていません』ではダメ!」「日本と欧米の文化、歴史の理解」「戦いの場において他を知り、己を知る」「詩を愛する前に現実を愛せよ」。この19か条には「自分探しの道標(みちしるべ)」というタイトルがついている。この19か条は創業した辻学園の生徒の心得になっているそうだ。料理社会だけでなく、あらゆる業界、職場で通用する「仕事の心得」だ。
意外にも「ガブリと口一杯にほおばって、世のありとあらゆるものを食いちぎり、食べ散らかしーー飲み込み吐き散らす」、それがこの世の料理というものだとの主張があり、グルメには程遠い私も気が楽になった。この人は「新しい独創をめざすべきだ」と語っているように、食文化の構築に邁進した独創の人である。