『論語』の一節が目に留まった。
「士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。仁以て己が任と為す。また重からずや。死して後已む。また遠からずや」(「論語」泰伯第八07」、曾子白))
城山三郎『落日燃ゆ』の主人公の名前が広田弘毅(1878-1948年)だ。
広田は福岡市出身。東京帝国大学法科卒業後、外務省に入省。1923年、欧米局長。オランダ公使、ソ連大使、外務大臣などを歴任。1936年の2・26事件後の組閣で首相に就任する。翌年1月に総辞職。第1次近衛内閣で外相に就任。戦後、極東裁判ではA級戦犯として起訴された人の中でただ一人の文官だった広田弘毅は無言で通し死刑を言い渡された。広田は絞首台で「自然に生きて、自然に死ぬ」と最後の言葉を述べている。
恬淡として時代の要請に従って生きた広田の座右の銘は「物来順応」(ぶつらいじゅんのう)であった。物来ればこれに応じて対処する。広田は我欲や邪念を捨てて、眼前の仕事に専念せよという意味に理解して励んでいる。
オランダ公使となった左遷人事のときに、「風車 風の吹くまで 昼寝かな」という句を詠んでいる。風が吹くまでは昼寝をし、風が吹いてくれば世に立つという伸びやかで、広い度量を感じさせる。
極東裁判では他のA級戦犯が見苦しい言い訳しているのに対し、広田は、毅然とした態度で無言のまま、従容と死を受け入れている。
広田は親からもらった本名の丈太郎を、自らの意思で弘毅と変えている。弘毅とは度量が広く、意志が強いことだ。この言葉を生き方の指針として、その通りに生きた人だ。
「士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。仁以て己が任と為す。また重からずや。死して後已む。また遠からずや」。
私もこの心境で自分の道を歩んでいこう。
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今日の収穫
ダルビッシュ「素晴らしい選手と野球をやっていると、自分の中のリミットが外れて自分の知らない力が出る瞬間がある」(日経新聞)
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「名言との対話」9月12日。塩屋賢一「犬を道楽のために訓練するのではなく、人の役に立てるために訓練したい」
塩屋 賢一(しおや けんいち、1921年12月1日 - 2010年9月12日)は、日本の実業家。犬の訓練師。財団法人アイメイト協会創設者、理事長を務める。
塩屋賢一は「盲導犬の父」と呼ばれる。目の不自由な人に役立つ犬をつくり出す仕事が盲導犬をつくる仕事である。
塩屋が出場していた警察犬訓練試験競技会の審査委員長は相馬安雄。芸術家、文化人が集まるサロンを開いていた東京・新宿にあるレストラン『中村屋』の二代目社長だ。相馬安雄の勧めで、塩屋は犬の訓練士となるが、盲導犬を作出して社会に貢献したいと考えるようになり、青年・塩屋は愛犬学校を設立し1948年より盲導犬の研究を始めた。
1956年、18歳で突然失明した河相洌(外交官・河相達夫の子)から盲導犬をつくる依頼を受けた塩屋賢一は1957年夏、国産第1号の盲導犬『チャンピイ』を完成させた。これが日本における、実質的な盲導犬の歴史の始まりとなった。塩屋は起居を共にし、スキンシップをとり、人の往来などに慣れさせるため、毎日一緒に街を歩く。訓練を始めてから1年3ヶ月でチャンピイを河相烈に渡す。塩屋の河相への歩行指導も3週間近くにわたって毎日行なわれた。1957年8月に、河相は一人で難路をチャンピイと一緒に歩くことができた。日本で初めての盲導犬の誕生である。当時大学生だった河相冽は盲学校の教師となる。学校でもチャンピイと一緒だった。
1967年『日本盲導犬協会』を設立。1969年には東京都が盲導犬育成事業を開始。1971年に新たに(財)東京盲導犬協会を設立。その後、東京都に続いて多くの自治体が盲導犬育成事業に乗り出し、その大半を東京盲導犬協会が受託。1972年には『全国盲導犬協会連合会』が発足した。
1977年、国鉄への自由乗車、1978年、バスの自由乗車が実現。1980年には、航空会社や私鉄もこれに続く。後には、それまで飛行機やバスなどで義務化されていた盲導犬の口輪装着義務も撤廃。1981年にはレストランや喫茶店、旅館に対しても入店拒否などをしないよう、対応協力の指導が国からなされた。1989年には『アイメイト協会』へと名称を変更した。
盲導犬は、今では光を失った人の目として欠かせない存在となっている。レストランでは、好物の肉を前にしても決して動かないし、コンサートホールでは、2時間以上の演奏中、静かに伏せて待ち続けることができる。
1982年、日本の文化活動に著しく貢献した人物・並びにグループに対して贈呈される 吉川英治文化賞を受賞する。『障害者と一体でやろう。盲人の自立をお手伝いするだけだ』という理念を掲げた塩屋賢一は「盲導犬の父」と呼ばれるようになった。
この人の、犬を「人の役に立てるために訓練したい」という高い志と、苦難の多い道のりを切り拓き続けた実行力と、それによって世の中が変わった。現在では、盲導犬は900頭が存在し、盲導犬使用者がその便益を受けている姿を眺めると、一人の人間の力というものの偉大さを思わずにはいられない。