「ライフワーク」「iPhone16」「オステオパシー」


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午前:「ライフワーク」の総まとめの書籍を執筆中だ。駅前のカフェで打ち合わせ。数年がかりでようやく「初稿」に辿りついた。編集者からの加筆や資料提供の注文を受けたので、ここ10日程、集中して取り組むことにする。12月3日に見本を受領、12月11日に書店搬入というスケジュール。

午後:立川のビックカメラでアイフォーンの買い替えの相談。カメラ重視の「プロ」シリーズは必要ないので、「16」にしようと思う。駅前のモニュメントが目についたので撮影。

夕刻:「オステオパシー」という整体術に長年通っている。仙台時代の2001年あたりからだから、もう四半世紀になる。体のゆがみをもとに戻してもらった。体調を再起動させたので、気持ちよくやっていこう。オステは1874年にアメリカで生まれた整体術である。全身の歪みを取り除くことで、身体機能のバランスを整え、免疫力や自然治癒力を高め、不調を整える。筋肉や内臓、血液やリンパなどの循環器系、脳神経系まで身体全体に及ぶ治療を施す。

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佐々 淳行 SASSA Atsuyuki | nippon.com

「名言との対話」10月10日。佐々淳行「危機管理のノウハウ」

佐々 淳行(さっさ あつゆき、1930年12月11日 - 2018年10月10日)は、日本の警察防衛官僚危機管理評論家。享年87。

警視庁入庁。1969年の東大安田講堂事件、1972年のあさま山荘事件、1975年のひめゆりの塔事件等で主要な役割を果たす。1977年防衛庁に出向。1986年防衛施設庁長官。同年初代内閣安全保障室長になり、中曽根・竹下・宇野の3代の総理に仕えた。退官後は政界進出を勧められたが、危機管理をライフワークとしてフリーで活動した。

年譜をたどってみると、日本を震撼させたあらゆる事件と危機に立ち会っていることがわかる。佐々には「事件を呼ぶ男」「さすらいのガンマン」「ダーティー・ハリー」「縦社会を横に生きた男」などの異名がある。その仕事ぶりが見えるような異名だ。

生涯の師であった後藤田正晴には「後藤田五訓」というは官僚に対する訓示がある。どの仕事にも当てはまるものだ。

1.出身がどの省庁であれ、省益を忘れ、国益を想え 2.悪い、本当の事実を報告せよ 3.勇気を以って意見具申せよ 4.自分の仕事でないと言うなかれ 5.決定が下ったら従い、命令は実行せよ。

こういった訓示を実行したのが佐々である。その後藤田は佐々を「血刀下げて裸馬に乗って単身敵陣に斬り込んでいく奴」と評価している。

佐々の代表作『危機管理のノウハウ』三部作(PHP)は、危機管理のバイブルだ。1979年のPart1「信頼されるリーダーの条件」。1980年のPart2「80年代・闘うリーダーの条件」。1981年のPart3「危機に強いリーダーの条件」。事故やハイジャックなど危機にあう可能性がある航空会社にいた私ももちろん読んでいる。

そして佐々の講演会にもでかけて具体的で急所を突いた話に感銘を受けたことを思い出す。仙台時代には東北新幹線でおみかけし、挨拶し相手をしてもらったことがある。佐々と同じ成蹊高校出身の先輩として野田一夫先生のことが話題になった。

 佐々淳行は「危機管理」という日本語の創造者だ。湾岸危機の際にマスコミが常用し日本語になった。改めて『新・危機管理のノウハウ』という本を読んでみた。

 湾岸戦争では、本来「危急存亡」の問題を「損得勘定」ではかり「危機管理」ならぬ「管理危機」におちいったのではないかと述べている。危機管理(クライシス・マネジメント)における管理危機(マネジメント・クライシス)だ。自己管理できない組織は危機管理はできない。油断、驕り、沈黙、本末転倒、、、、によって危機が一層深まる。

佐々淳行には姉と兄がいる。どちらも有名な人だ。「名言との対話」で取り上げた参議院議員の紀平悌子は「父の残念と、母の無念、その二つを自らのものとして生きる」と述べている。

佐々家は戦国武将・佐々成正の末裔。父は吉野作造の弟子の佐々弘雄。リベラルの論客であったが九州帝大政治学教授の地位を「アカ教授」のレッテルを貼られて追放される。東京で浪人しながら文筆活動を行い、緒方竹虎朝日新聞に迎えられ、論説委員。戦後、参議院議員となり、緑風会を起ち上げる。51歳で夭折した。その父の残念を抱いて、もう一人の母・市川房江から「婦人運動の魂」を引き継いだ。また淳行の兄は朝日新聞幹部・佐々克明、この人のことは日本地域社会研究所の落合英秋社長からよく聞いている。「家風」というものの存在を感じる。

「政治家に徳目を求めるのは、八百屋をくれというのに等しい」と喝破した警視総監であった秦野章は、70年安保の学生運動を「いずれ消える泡のようなもの」と言い放ち、過激派から狙われる。護衛をつけようといわれたが、「駆逐艦駆逐艦を守るようなものだ」と言い、拒否した。当時の部下佐々淳行は、後年、「乱世の名総監。秦野総監でなければ、あの警察戦国時代の修羅場は乗り切れなかった。決断力と責任感あふれる人」と評している。後藤田正晴、秦野章という優れた内務官僚の「気風」を佐々淳行は引き継いでいるように感じる。

佐々淳行は、育った家庭の家風と、育ててもらった職場の気風の合作だとしておこう。

 佐々淳行の主張を聞こう。自己管理できないリーダーは組織管理ができない。よく管理された組織なしでは危機管理はできない。自己管理とは、まず日常の体の健康管理、そして平時は意図的悲観論者としてふるまい、非常時には意図的楽観者であろうとする自己統制できる心の健康管理のことだ。私たちも健全な肉体と健全な精神を維持する努力を続けたいものである。

 この本の中に「異常なし」という定期報告についての記述がある。自動的に報告が定点観測のようにあがってくる態勢が重要ということだ。部下や現場からの定期的な報告に接する中で危機の接近を感じ取りながら、危機管理が管理危機にならないように早め早めに手を打っていくこともリーダーの役割だ。この点は組織運営のキモでもある。