明日の「幸福塾」の「女性編」の準備。「大全」の図解の追加。パソコン・スマホ。

明日の「幸福塾」の「新・代表的日本人」シリーズの準備。「怒涛の仕事量」の2回目で、前回の「漫画家」編に続く2回目。てテーマは「女性編」。

与謝野晶子樋口一葉白洲正子石井桃子向田邦子茨木のり子石牟礼道子緒方貞子山口洋子市田ひろみ。篠田桃紅。小泉清子。高野悦子兼高かおる。、、。

「大全」は、加える図解を選択。残りは加筆部分。

「富国強兵をめざして」「地球に優しい足もとからの行政に向けて」「人類の産業史」「意識のズレはないか」「和歌」「江戸幕府の成立」「アメリカによる占領政策」「安全神話の崩壊」「文明の生態史観2」「石井桃子の人生鳥瞰図」。

ケーズデンキスマホを買い替えるべきかの相談、ChatGPTへの問いかけ、APPLEサポートとのリモートでの画面操作相談、すべて買い替える必要はないとの結論。そしてパソコンまわりの不具合の調整と相談、こちらは明日には解決か。朝の散歩と、店回りと昼食で今日は7000歩。

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「名言との対話」10月15日。舟崎克彦自分にしかできないものの追求こそが、創作活動そのものと言っていいでしょう」

舟崎 克彦(ふなざき よしひこ、1945年2月2日 - 2015年10月15日は、日本作家詩人作詞家挿絵画家劇画原作者。今日年70。

 父の舟崎悌次郎は和歌山県生まれ、京都帝国大学経済学部卒、画家志望だった建築家で、当時は会社社長。克彦は末男。1951、2人の兄と同じように学習院初等科に入学。この兄の一人は舟崎敬で、この人は私のビジネスマン時代でもっとも尊敬する上司だった。私が30代になったばかりの頃からずっと早起きなのもこの人の影響だ。難題を解こうとする勇気を教えてもらった。ビジネスマン時代の私のロールモデルだった。

克彦はがっしりとした体格で、あたりを威圧するような風貌の人物だっそうだが、禿頭の敬も、同じような風貌で、勇気と名言とユーモアのある風格ある人物だった。その舟さんを思い出しながら、書いている。この克彦さんも、兄の敬さんと同じように、享年は奇しくも同じ70だった。

また私の宮城大学時代の教え子の1人が、近所に住んでいて、この人のアトリエに勝手に上がり込んで遊んでいたと聞いた。子供に人気のあるおじさんだったと言っていた。

舟崎克彦は 1971年に嫌でたまらなかった勤務先を退社する。同年『トンカチと花将軍』が福音館書店から刊行され、童話作家してデビューする。1973年、単独で執筆した初めての長編ファンタジーぽっぺん先生の日曜日』を出版社5~6社に持ち込んだところ、それまでの児童文学とあまりに違っていたのでことごとく拒絶反応を受けたが、筑摩書房からの出版が決定する。以後、人気シリーズとなった。

1974年の赤い鳥文学賞から始まって、サンケイ児童出版文化賞は3回受賞、ボローニャ国際児童図書展子どもの本の部グラフィック賞推奨、絵本にっぽん賞山本有三記念路傍の石文学賞、そして2008年の日本絵本賞まで受賞が続いている童話界の巨匠となった。書は300冊以上にのぼる。2015年3月まで白百合女子大学授として文章表現と創作の授業を講じた。

  『ぽっぺん先生』シリーズは、独活大学生物学部の助教授の38歳ぽっぺん先生というしょぼいおじさんが主人公で、毎回動物がらみの不思議な出来事に巻き込まれていくというお話だ。「ぼっぺん」とはガラス製玩具で、吹くと音が出るビードロのことだ。

ピカソ君探偵』シリーズも有名。主人公のピカソ君は23歳、事故により身体は五年生のままでなぜか小学校に通っている。童話の常識では同じ子どもの目線が重要とされるのだが、舟崎克彦の童話の主人公は大人が多いのが特徴だ。

自分にしかできないものの追求こそが、創作活動そのものと言っていいでしょう」。自分が良いと思ったものに向かって表現を試みる。それは自分とは何かを知るための、楽しくて楽な方法だろうと舟崎敬は言う。童話でも小説でも、詩でもDJでも、何でもいい。創作によって自己を発見し、確認し、そして自己が創造していく。自分にしかできないものを創り出す、それをやり続けることが大事なのだ。

著作はもちろん大きな創作活動であるが、私が毎日書いているこのブログを書くのも小さいが大事な自己表現の創作活動の時間だ。取り組む対象の人物と向きあい、その人の名言と対峙することによって、思いがけず自分の中の考えが浮かんできたり、漠然としていたアイデアがまとまったり、進むべき方向が見えてきたりする。つまりブログを書くという行為は、自己を深掘りしているということになる。自己発見と創作活動の日々、それがモチベーションとなって続いているのだろう。

 

ぽっぺん先生の日曜日

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