「図解塾」。本日のテーマは、「竹」「田んぼ」「歌舞伎町」。
宗教学者の20年前の「歌舞伎町」論、詩人の極端な「田んぼ」自然破壊論には、納得できない点が多かった。また宗教学者の「竹」論は、キーワードの設定に難があり、深い理解に及ばない感じがあった。読む側が「松竹梅」「物心」などの枠組みから論者の論考を図解思考で整理する必要があるという印象を持った。
以下、塾生の学びから。
- 本日もどうもありがとうございました。本日は「竹」「田んぼ」「歌舞伎町」という3つのお題で、これまでの「和服」等とはずいぶん異なるテーマでした。正直言って、「これがなぜ日本を知る105章」に入っているのかな、という思いもしました。「竹」は、たしかに松や梅と比べて非常に多くの利用のされ方をしています。生活用具、竹刀、竹馬などに加え、竹で作った橋とか建物にも使われていますし、筍は食用になり、さらに嵯峨野や鎌倉の報国寺など竹林は独特の美しさを見せています。成長が早く、加工しやすいことから来ているのでしょう。これを山折哲雄さんは「身体性」としているようです。中国などにも竹林はあると思いますが、どのように捉えられているか、気になります。「田んぼ」については「自然」の意味が議論になりました。緑一色の田園風景は確かに「自然」と呼びたくなります。しかし、畑や果樹園や公園の花壇も、もっと言えば街路樹の根元の植え枡も見た目が違うだけで同じです。これらをみな「自然」と呼んでもいっこうに構わないと思っていますし、田んぼを「自然破壊」と言うのは確かに過激な表現でしょう。これも気になりますが、中国や東南アジアにも当然、田んぼはあります。日本らしさを考えるなら、整然とした稲の広がる風景でしょうか。「歌舞伎町」は、門前町の聖なる面と、それと共存する俗な面が表裏一体となり、俗な面もかつてのゴールデン街のような文化人などが集まる場と遊興の場所が混然となり、その間を自由に行き来する所、というのが筆者の言いたいことだったかな、と思いました。いずれにせよ、最近ではだいぶ変わってしまっています。今回は若干へそ曲がりな感想でした。
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久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。今回は規定科目の『日本を知る105章』の「34_竹」、「35_田んぼ」、「31_歌舞伎町」の3つの図解が発表されました。「竹」については私が担当しました。原文の中には並び立つ(関係性のある)言葉が3組あったのですが、3組の関係性を表現する方法を考え出すことができなかったため、結果的に読み取りしづらい図解になってしまいました。しかしながら、久恒先生や参加者のみなさんから感想やご意見(全体を俯瞰して図を並べなおすなど)をいただいたので、後日、当該図解を更新して再提出することになりました。次に「田んぼ」については、原文に「田園もまた破壊の一種だ」という文があり、図解を見ながら、自然とはどういうものをいうのかとか、田園風景は自然ではないのか、などといったことについて参加者で意見を交わしました。図解があることで、どの点から見て「破壊」なのか、執筆者の考えと参加者それぞれの考えを比較することができたのでおもしろかったです。 「歌舞伎町」については、現地に行ったことがなく、テレビのニュースやドラマのシーンで見るくらいしか知らない町なので、図解や解説、みなさんのお話を聞きながら町のイメージを想像していました。そうして気になったのは、かつて「花園神社の門前町」のようなところだったということ。歌舞伎町に門前町のイメージが無かったので、次に上京するときは、是非訪れたいと思いました。次回もまた素晴らしい所やまだ知らない日本文化のことを知りたいと思ってますので、引き続きよろしくお願いいたします。
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久恒先生、みなさま、本日は図解塾ありがとうございました。今日は『日本を知る105章』の続きで、「竹」「田んぼ」「歌舞伎町」の3つの文章を図解で読み解きました。「竹」では、竹が日本人の物心両面にわたって広く浸透している、ということがよくわかりました。物心の「物」ということで言えば、ザルやカゴなどの昔からの生活用具や、竹うま・竹とんぼのような遊び道具などで親しみがありますし、笛や尺八、笙などの楽器にもなっている一方で、山水画や屏風へなど美的鑑賞の対象にもなっていて、「心」と密接なつながりがあるところもあり、竹の魅力を再発見した感じです。また竹刀など武芸の伝統の中にも組み込まれていいるところなどは、「身体」にも大きく関係しているというところで、物心両面に広く浸透、親しまれているものだと思いました。 「田んぼ」では、田んぼが現代の私たちから見ると、田園風景となって自然の一部のように見えますが、文章の作者である詩人の高橋睦郎さんによると、これは自然破壊のひとつだとのこと。よく言われる「日本の原風景」のイメージとは違う捉え方でした。私自身が田んぼに感じるのは、ゆったりと時間が流れ、のどかで緑豊かな良いイメージのほうが大きく、自然破壊からは程遠いものなので、ちょっと驚きでした。「歌舞伎町」では、歌舞伎町が花園神社の門前町から出発し、聖と悪(俗)が混在する人間の本性に近いところから発する魅力が漂う独特の街だということがよくわかりました。歌舞伎町に限らず、歓楽街の発祥が神社やお寺など神事と結びついていることもよくあり、面白いと思いました。今回も面白い内容でした。ありがとうございました。
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10月の図解塾に参加し、久恒先生や皆さまのおかげでとても充実した時間を過ごすことができました。ありがとうございました。帰宅途中から耳での参加となり、自宅に着いてからはしっかり図解にも参加させていただきましたが、どのお話も興味深く、心に残る内容でした。今回は『日本を知る105章』から「竹」「田んぼ」「歌舞伎町」の3つのテーマについて学びました。特に印象深かったのは「田んぼ」についてのお話です。詩人・高橋睦郎さんの「田んぼは自然破壊の一つだ」という視点には驚かされました。普段、私にとって田んぼの風景は癒しの象徴であり、日本の原風景そのものですが、それも実は人の手によるものだという視点を持つと、少し違う見方ができるようになりました。それでも、田んぼや里山の風景は、私にとってかけがえのない自然の一部であり、その大切さは変わりません。このお話を通じて、改めて身近な風景を見つめ直す機会をいただいたことに感謝しています。私が図解を担当した「歌舞伎町」についても非常に興味深い内容でした。宗教学者の視点から、日常と非日常が交錯する街としての歌舞伎町が語られました。通常、宗教行事や祭りといったイベントは非日常を作り出し、その一瞬に誠実な気持ちで向き合い、純粋に心を込めることで「聖」としての価値が生まれます。しかし、歌舞伎町では非日常的な出来事が常に起こっており、それが日常化しています。いつもがお祭りのようで、むしろ「俗」や「悪」と呼ばれる側面が強調される場所です。著者が語ったこの対比は、私にとって非常に興味深い観念であり、日常と非日常の境界が曖昧になる街としての歌舞伎町が、より立体的に理解できました。歌舞伎町は、歓楽街としての一面だけでなく、かつては花園神社の門前町として栄えた歴史も持ち、今でも新宿ゴールデン街のように文化人が交流する場所も残っています。新宿ゴールデン街が消滅しつつある現在、文化人が交流する歌舞伎町はとても貴重な存在であると著者は言っています。変わり続ける歌舞伎町の今後を考えるうえで、とても興味深いテーマだと思いました。今回もたくさんの学びと気づきをいただき、日本文化をより深く知ることができました。次回も楽しみにしております。本当にありがとうございました。
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本日もありがとうございました。「日本を知る105章」から、今日は、「竹」「田んぼ」「歌舞伎町」でした。「竹」はどこにでもはえてくるだけあって、昔から、日本人の物としての生活用具や、心として美的干渉用に活用されてきているのがわかりました。梅が華やかな色気を発散させているのに対し竹は、自然界に寂静で沈黙の気配を浮き上がらせる効果がある。というところが、わびさびにつながっているのかな。と思いました。「田んぼ」は私が担当でした。田んぼといえば日本の田園風景が浮かぶのだが、人の手が入って田んぼができ田園風景が生まれていることを考えると、自然とは言えないのではないかという作者の意見を図解しました。そうはいっても田園風景をみると日本の典型的な自然な風景と思ってしまいますが、自然と共存している。といった方がいいのかなと思いました。俳諧は田園文芸だというのはなるほど、それはそれでよいかもしれないと思いました。 「歌舞伎町」は難しかったです。芝居と廓。祭りと宗教的なイベントと、持続してはいけないが無理して持続するために作られた悪の場所。聖と悪が共存している町。これが人を引き付ける魅力のある町。この記事が書かれたのは2001年なので現在の情報を加えるとどう図解が変化するか見てみたいと思いました。次回からも魅力的なお題が続きます。よろしくお願いいたします。ーーーーーーーーーーーーーー「アクティブ・シニア革命」の担当部分の文章を書いた。「石井桃子論」、「和服」「和菓子」。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「名言との対話」岩井保「不備な点が多々ある入門書になったが、高度の専門書への橋渡しになることを私はひそかに願っている」
岩井保(いわい たもつ 1929年7月17日〜2014年10月23日)は、生物学者。享年85。
島根県出身。1961年京都大学大学院農学研究科博士課程修了。京都大学農学部教授。専攻は魚類生物学。主な著書に『水産脊椎動物2 魚類』『検索入門 釣りの魚』『魚の事典』(分担執筆)『旬の魚はまなぜうまい』などがある。
『魚学入門』(恒星社厚生閣)を読んだ。「入門」とタイトルにあるが、相当なレベルの人向きの入門書だ。実に深い世界が横たわっていることに圧倒される。これを機会に魚学を少しだけ学んでみよう。
魚類は化石に残っているカンブリア紀(500万年ー6000万年前)から始まって、繁栄と絶滅の栄枯盛衰を繰り返しながら進化している。この本を書いた時点で、世界では25000種確認されており、毎年200種ほど増えている。日本近海では2500種という説を紹介している。おざっぱにいって、日本近海には世界の1割の魚がいると覚えておこう。
無顎類、軟骨魚類から始まって魚類の分類を論じた後、「分布と回遊」「体系と形態測定」「体表の構造」「筋肉系」「骨格」「摂食・消化系」「呼吸器」「循環系と浸透調節」「神経系」「感覚器」「発音、発電、発光」「内分泌系」「生殖腺と繁殖洋式」「仔魚・稚魚」と続く。人間の人体と同じだ。
第13章の「摂食・消化系」では、食性には動物食性、肉食性、植物食性、草食性、雑食性などを紹介している。成長段階で食物の種類はかなり違うとのことだ。
第20章の「発音、発電、発光」では、これらはコミュニケーション、防御あるいは攻撃などの手段として重要な役割を果たすとしており、一部の魚類ではこれらの行動に適した特殊化した構造が発達する。多くは、警戒、威嚇、コミュニケーション、求愛などで音を発する。シビレエイ、エデンキウナギなどの発電魚は、放電によって捕食、防御、コミュニケーションなどを行う。強電気魚と弱電気魚がいる。
岩井保は1949年に恩師から、魚類を大学ノートに転写する手仕事を最初に指示された。この作業の過程で記載の要領と図の描き方を習得している。私は植物学の牧野富太郎の写生能力に驚いたことがあるが、写真の発明や複写機器などがあらわれる以前は、生物学者は絵と図が上手くなければ大成しなかった。岩井はその時代の生物学者だった。
それから半世紀、遺伝子解析、昼夜の観察などによって、魚類の生理学的、生態学的研究はめざましい進歩を遂げており、その発展の過程にあったことから、岩井の入門書は、基礎的な「形態」に重点を置くことになった。
岩井門下生の森野浩の追悼文「恩師 岩井保先生を偲んで」を目にした。「アユの初期発生」が学位論文の岩井保は専門著書だけでなく、一般向けの書を多く刊行した人だ。『旬の魚はなぜうまい』という岩波新書まで書いている。控え目な人柄であったが、1970年代の大学紛争時には、学部長、学生部長として矢面に立ったそうだ。弟子たちは専門の研究がおそろかになることを心配していたそうだ。そして、「先生の学問体系は「魚類学」というよりも「魚類生物学」と呼ぶべきかもしれません」とも指摘している。食糧視点の水産学ではなく、生物としての興味から発する生物学に近い分野を開拓した人なのだ。
専門を究めた学者が、やさしく教えてくれる入門書は貴重だ。『魚学入門』は初版は2005年であるが、2013年には第5刷になっているところをみると、この分野の後輩たちが必ず目を通す入門書になっていると推察される。2万種以上の多種多様の魚類の特徴の記述は簡単ではないが、高度の専門書への橋渡しという初志は十分に達成されているのではないか。