浴読:林望『結局、人生最後に残る趣味は何か』(草思社)

「読書の秋」という標語がよく目に入る季節となった。今日は風呂につかりながら、林望『結局、人生最後に残る趣味は何か』(草思社)を読了した。

趣味は人間関係を豊かにし、人生の楽しみを多いものにするという視点で、自分の体験を通して得たことを説明してくれる本だ。「過去の経験のなかに今の趣味につながるヒントがある」という。リンボウ先生の子ども頃の夢は詩人になることだった。

24歳から50歳まで大学の先生をやったが、退職し文筆業に専念する。人生の究極の目標である源氏物語の完訳にたどりつけないと考えたからだ。50代の10年間に準備し、60歳から2年間で新訳が完成し出版するという目標を立てた。実際は3年8カ月を費やしてライフワークである『謹訳源氏物語』は63歳で完成している。

趣味は芸術にすることをすすめている。趣味の一つ「能楽」は評論や解説という依頼が増え、第二の仕事になった。もう一つの「声楽」もやがて歌曲の詩を書くことになっていった。

俳句、写真、ドライブ、コレクション(川瀬巴水)、、、などの遍歴を紹介して、最後は一生続ける趣味としての料理について書いている。

70台半ばのこれから始めたいのはエッチング(銅版画)と篆刻だそうだ。詩人の前は絵描きに憧れたそうだから、なるほどと思った。そして最後に残る趣味を論じている。それは「詩」である。声楽のための詩を書くこと。今まで200曲の歌を世に出してきた。

「若き日は脇目も振らず詩など書きよほど才ありとうぬぼれにけり」という詩を書いている。高校生の時に胚胎した「詩人になりたい」という意思が実現していることになる。詩集を出したい。自分で出版してもいい。一日一分一秒も無駄にしない。「あとは、さあ、実践あるのみです。おたがい、がんばりましょう」とむすんでいる。

自分のことを考えながら読んだ。小学生時代から「作文」が得意だという自覚があった。今は本を書くようになっているし、また毎日日記をブログという形で書いているから、夢を趣味という形で実現していることになるのかもしれない。さて、これから何を始めようか。

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生涯、大阪。 「上方文化の顔」であり続けた藤本義一 | 文春写真館 - 文藝春秋BOOKSソース画像を表示

「名言との対話」10月30日。藤本義一「一日に十枚だけ原稿用紙に書こう。、、そして、五十ページ、本を読んでやろう」

藤本 義一(ふじもと ぎいち、1933年昭和8年1月26日 - 2012年平成24年10月30日)は、日本小説家放送作家

大阪府堺市出身。いくつかの大学への入学と退学を繰り返し、28歳で大阪府立大学経済学部を卒業。在学中からラジオドラマの脚本を書き、1957年には芸術祭文部大臣賞戯曲賞を受賞してる。この時の次点は井上ひさしだった。「東の井上ひさし、西の藤本義一」と言われていた。

大学卒業後、映画では川島雄三監督に師事し脚本の仕事をする。師匠は川島監督であった。その後もテレビやラジオの脚本を多く手掛けている。

藤本の名前が有名になり、白髪をいただいた顔が売れたの1965年から始まったは日本テレビ系列の「11PM]司会者となってからだ。週2回の出演を25年にわたって続け、軽妙な語り口で人気を博した。私もこの番組を見ていたのでよく知っている。

1968年からは長編小説に取り組み、3回の直木賞候補を経て、1974年に『鬼の詩』で直木賞を受賞した。その後も大阪を舞台にした作品を書き、エッセイや社会評論も数多い。

「ライティングマシーン」とあだ名されるほど、書きまくった。脚本は膨大だが、著書を調べてみるとその健筆ぶりに驚かされる。33歳から78歳までで総計225冊を書いている。41歳10冊、42歳10冊、43歳10冊、44歳12冊、45歳13冊と、40代前半の量産はすさまじい。ほぼ毎月著書が出ている勘定だ。

交遊が広く、世の中とそこで生きる人を見る目があったのは、「 女性が魅かれるのは、仕事をしている男であって、仕事をさせられている男ではない」との名言でわかる。仕事をさせられている男に魅力はない。仕事に挑戦している男の姿に女が惚れるのだ。こういう言葉は人々の心に刺さった。

48歳で書いた『女の顔は「請求書」』という本を書いて話題になったこともある。顔の専門家ともいうべき役者の東野英治郎という役者は、「顏はやはり人生の総決算書である」と語っている。東野のいうことはもっともだが、藤本の「女の顔」はやはり心に刺さる。

小説以外の本のタイトルもサビが効いている。「舌先四寸」「性神探訪問旅行」「男の遠吠え」「サラリーマン夜学地図」「人生に消しゴムはいらない」「「一升は短い一日は長い」「人生卍狂区」「無条件幸福論」など、読んでみたくなるようなエッセイだ。

井原西鶴の研究家でもあり、「元禄流行作家 わが西鶴」などその方面の著書もある。「西鶴くずし好色一代男」「サイカクがやってきた」なども藤本の西鶴好きがうかがえる。西鶴が藤本のモデルだったのだろう。私は藤本の本の読者ではなかったが、オーディブル「言葉と文学」という講演を聞いたことがある。

「ライティングマシーン」・藤本義一の仕事の秘訣は何であったか。「プロを意識したとたんに、すべての物事に対して貪欲になるはずだ。すべてを吸収しようとする。吸収するためには、人は独自の工夫をするものである」と言う。そのために、「一日に十枚だけ原稿用紙に書こう。、、そして、五十ページ、本を読んでやろう」という決心する。その独自の工夫が多彩で膨大な仕事量につながっていったのである。

1日10枚ということは、1月300枚、1年3650枚。本1冊を300枚と換算すると、毎月1冊分の文章を書くという修行を行っていることになる。藤本義一はその決心を実行し続けた人なのだ。