11月の「幸福塾」に向けて、「日記」の代わりに「座右の銘」を収集している。以下は、今日の分。
樋口久子「平常心」。五十嵐 喜芳「今からでも遅くない」。フォロン「Less is more(少ない方がより豊かである)」。翁長 雄志「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」。益川敏英「科学者は、科学者として、学問を愛するより以前に、まず人間として、人類を愛さねばならない」(坂田昌一)。大橋巨泉「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(岸信介)。仲野徹「座右の銘は自分宛」。五條堀孝「啐啄同時」。丸谷金保「慌てず、焦らず、諦めず」。田沼 武能「おれの真似をしていても、おれ以上にうまくはならない」(木村伊兵衛から)。吉岡弥生「至誠一貫」。中西太「何苦礎」。安井仲治「松のことは松にならへ、竹のことは竹にならへ」(芭蕉の教え)。高野悦子「すべての女性運動は平和運動をもって帰結する」。西郷隆盛「敬天愛人」。馬越恭平「天は自ら助くる者を助く」。大久保 利通「為政清明」。奥村土牛は「絵のことは一時間でも忘れては駄目だ」(小林古径)。田嶋一雄「難有り有難し」。内藤豊次「「天は自ら助くるものを助く」。吉行あぐり「身老未心老」。臼井吉見「滾々汨々」(こんこんいついつ)。伊藤忠兵衛(2代目)「商売は菩薩の業」(初代伊藤忠兵衛)。山本直純「名馬ムチいらず」。ヨシタケシンスケ「ものは言いよう」。中山修一「人の行く裏に道あり花の山」。石山賢吉「人智無極」。大野慶人「一生懸命」。北里柴三郎「終始一貫」。五社英夫「花の嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生さ」(井伏鱒二)。
「座右」とは、座っている時の右側。皇帝などは信頼できる第一番の補佐役を右に座らせた。いわゆる右腕である。最も大事なものを意味している。座右の書。
「銘」とは、現代の「紙」にあたる石や器に歴史上の人物の残した言葉を示したもの。
「座右の銘」とは、「自分の右側に置くほど最重要な言葉」となる。最重要とはどういう意味か。自らを励まし、慰め、そして戒める言葉ではないか。人はその言葉を指針として日々自覚的に生きていく。
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朝は9時からヨガ教室で1時間。
天気が悪いので、書斎でやるべきことに没頭。
・『大全』:図解の収集。コラムの選択。
・『アクティブ・シニア革命』の梅棹文明学の文章の加筆修正。
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「名言との対話」11月2日。高橋昭博「1人の力は決して無力ではない」
高橋 昭博(たかはし あきひろ、1931年7月26日- 2011年11月2日)は、日本元地方公務員(広島市職員)、原爆被爆者。広島平和記念資料館館長。享年80。
1931年、広島市生まれ。14歳で被爆した。広島市職員となり、1979年から1983年まで原爆資料館館長を務めた。
被爆者として天職を得たと感じた高橋は、今までやってきた「語り部」活動を思いっきりやることになった。被爆資料の整備、被爆者の証言テープの設置、などを行なっている。また、ローマ法王ヨハネパウロ2世、世界各国の大統領や首相、王室、デクエヤル国連事務総長夫妻、など訪れた人に説明を行っている。
高橋は1960年以降、毎年行われる8月6日の平和記念式典で広島市長が読み上げる「平和宣言」の作成作業にも関わっている。特に原爆資料館長の後に就いた広島平和文化センター事業部長として、「宣言」の作成に直接関わるようになった。そのドラマも興味深い。
「志を共にした人たち」という項目では、荒木広島市長、平和文化センター理事長の河合護郎、小倉馨、木山香寿美、、などをあげている。
高橋はNHK放送文化賞を受賞するのだが、この受賞を励みに、「語り部」と言う定年のない務めを果たすことになる。
アメリカ軍の原爆投下作戦命令書には何が書いてあったか。アメリカは無傷の都市を対象として原爆の効果を確かめようとし、広島にはウラン原爆、長崎にはプルトニウム原爆という異なった種類の原爆を投下した。破壊効果を比較しようとしたのである。広島での攻撃目標は「市中心部」であった。これは人体実験であった。アメリカの原爆投下正当化のための論理は、原爆投下がなければ日米合わせて100万人の命が犠牲になったであろうというものであった。しかし広島と長崎では30数万人(推定)の犠牲があったのである。
高橋の「語り部」としてのメッセージには最後に必ず次の5つがあった。「出会いを大切に生きてほしい、人の痛みを共に分かち合う心を持ってほしい、憎しみで憎しみを消し去ることはできない、1人の力は決して無力ではない、勇気とチャレンジ精神を忘れないでほしい」。最後まで「語り部」として天職に励んだ高橋の「憎しみで憎しみを消し去ることはできない」を受け止めたい。
高橋が亡くなってから10数年後、2024年10月11日。日本被団協にノーベル平和章が与えられるとの発表があった。「一人の力は決して無力ではない」が実証されたのである。
ノーベル委員会が発表した受賞理由の全文を以下に示す。
ノルウェー・ノーベル委員会は、2024年のノーベル平和賞を日本の団体「日本被団協」に授与することを決定しました。広島と長崎の被爆者による草の根運動である日本被団協は、核兵器のない世界を実現するための努力と、核兵器が二度と使用されてはならないことを証言によって示してきたことが評価され、平和賞の受賞が決まりました。
1945年8月の原爆投下を受けて、核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道的結末に対する認識を高めるべく、世界的な運動が起こり、そのメンバーはたゆまぬ努力を続けてきました。 やがて、核兵器の使用は道徳的に容認できないという強力な国際規範が徐々に形成されていきました。 この規範は「核のタブー」として知られるようになりました。
広島と長崎の被爆者であるヒバクシャの証言は、この大きな文脈において独特なものです。
こうした歴史の証人たちは、個人的な体験を語り、自らの経験に基づく教育キャンペーンを展開し、核兵器の拡散と使用に対する緊急の警告を発することで、世界中で核兵器に対する広範な反対意見を生み出し、それを強化するのに貢献してきました。 被爆者は、筆舌に尽くしがたいものを描写し、考えられないことを考え、核兵器によって引き起こされた理解を超えた苦痛を何とか理解する手助けをしてくれます。
しかし、それでもなお、ノルウェー・ノーベル委員会は、一つの心強い事実を認めるべきである。すなわち、80年近くの間、戦争で核兵器が使用されることはなかったという事実である。日本被団協をはじめとする被爆者代表の並々ならぬ努力は、核兵器使用のタブーの確立に大きく貢献した。それゆえ、今日、核兵器使用のタブーが圧力を受けていることは憂慮すべきことである。
核保有国は核兵器の近代化と改良を進めており、新たな国々が核兵器の獲得を準備しているように見受けられます。また、現在進行中の戦争においても核兵器の使用が示唆されています。人類の歴史上、今こそ、核兵器とは何かを思い出す価値があります。核兵器とは、世界がこれまでに経験したことのない最も破壊的な兵器なのです。
来年は、2発の米国の原子爆弾が広島と長崎の推定12万人の住民を殺害してから80年目にあたります。その後数ヶ月から数年間に、同等の数の人々が火傷や放射線障害により命を落としました。現在の核兵器は、はるかに強力な破壊力を持っています。何百万人もの人々を殺傷し、気候に壊滅的な影響を及ぼす可能性があります。核戦争は、私たちの文明を破壊するかもしれません。
広島と長崎の地獄を生き延びた人々の運命は、長い間隠蔽され、顧みられることもありませんでした。1956年、地元の被爆者団体と太平洋核実験の被害者が合同し、日本原水爆被害者団体協議会が結成されました。この名称は日本語では日本被団協と略称され、日本最大の被爆者団体となりました。
アルフレッド・ノーベルのビジョンの核心は、献身的な個人が変化をもたらすことができるという信念であった。今年のノーベル平和賞を日本被団協に授与することで、ノルウェー・ノーベル委員会は、肉体的苦痛や辛い記憶にもかかわらず、その高価な経験を平和への希望と関与を育むために役立てることを選択したすべての被爆者を称えたいと考えている。
日本被団協は、数千件に及ぶ証言を収集し、決議や公開アピールを発表し、毎年代表団を国連やさまざまな平和会議に派遣し、核軍縮の緊急性を世界に訴え続けてきました。
いつの日か、被爆者は歴史の証人ではなくなるでしょう。しかし、記憶を留めるという強い文化と継続的な取り組みにより、日本の若い世代は被爆者の経験とメッセージを継承しています。彼らは世界中の人々を鼓舞し、教育しています。このようにして、人類の平和な未来の前提条件である核兵器のタブーを維持する手助けをしているのです。
2024年のノーベル平和賞を日本被団協に授与するという決定は、アルフレッド・ノーベルの遺言にしっかりと根ざしています。今年の受賞は、委員会がこれまで核軍縮と軍備管理の推進者に授与してきた数々の著名な平和賞の受賞者リストに加わります。
2024年のノーベル平和賞は、人類に最も大きな利益をもたらす努力を称えるというアルフレッド・ノーベルの願いを叶えるものです。