鹿島茂『成功する読書日記』(文芸春秋社)を読了。神田古本まつりで入手した本。
読んだ本のことを書きとめる行為は実は収集(コレクション)である。量が集まれば、ジャンルや書き手などの質に関心が高まってくるから、しだいに「体系化」の意思が芽生えてくる。その過程で「類似と差異」が目に入る。類似とはジャンルの約束事であり、差異とは個性だ。集めたのには夾雑物が混じる。それが次のジャンルを生んでいく。
次に具体的な読書の記録が多量に集まってくると、「抽象化」が起こってくる。抽象化とは、より高い次元で、具体物の集合体を命名する作業だ。「こういうことだったのか!」という発見がある。その連鎖の連続が待っている。だからコレクションはやめられないのだ。
学問に一生かけるとは、実は「体系化」と「抽象化」の喜びの中で過ごすということなのだろう。コレクターも同じだ。
大事なのは引用である。自分の心に響いた表現、言葉を書き留める習慣をつけておく。客観的な情報というものではなく、個人用であるから、本に触れた経緯や、疑問、感想、などを記しておくことが大事である。
引用だけからなるエッセンスで本を要約(レジュメ)する。そしてその内容を自分の言葉で言い換える(コント・ランデュ)。「批評」とは、的確な引用と言い換えができて初めて踏み入って良いと鹿島は言う。それが本来の書評であろう。
読んだ本を全部並べるのは難点が多い。読書日記の習慣をつけた上で、しっかりした引用レジュメやコント・ランデュを構築できれば、図書館が書庫になる。私は読書記録をブログに書き綴ってきたが、今となっては財産となっている。量から質への転換、体系化と抽象化の過程にあることを実感している。
鹿島はアフォリズムを読むことが好きだと語っている。偉人、聖人の残した名言、格言、警句、箴言である。人生の教科書である。この「名言との対話」はまさに、現代のアフォリズムといってもいいだろう。
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夜は「アクティブ・シニア革命」編集会議。新着、デザイン、台割。
昼食は新宿で宇野千葉雄君と。動画が話題になった。
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「名言との対話」11月11日。米山稔「 天はチャンスを与えるときに、必ずピンチを添えて与える」
米山 稔(よねやま みのる、1924年10月15日 - 2019年11月11日)は、日本の実業家。スポーツ用品メーカーのヨネックス株式会社創業者。享年95。
新潟県長岡市生まれ。沖縄戦線に派兵された。慶良間諸島の渡嘉敷島で激しい戦闘を体験して生き延びて捕虜生活を送る。
米山製作所(現ヨネックス)を設立し、漁網用の浮きなど木製品の製造販売を開始。バドミントンラケットの生産に転じ、新素材の導入や海外市場戦略で、バドミントンやテニスのラケットを世界のトップブランドにそ育て、ゴルフ用品にも進出した。この間、ピンチの連続の連続であった。
『ネックス米山稔 負けてたまるか』(日経ビジネス人文庫)を読んだ。
ヨネックスは、情報力、技術力、そして新素材研究を重視している。素材研究と技術開発を行い、常に新しい素材を研究していいなとライバルにすぐに追い抜かれる。
ヨネックスは、バドミントン・ラケット、テニス・ラケット、ゴルフクラブと成功を重ねており、ランニングシューズ、スケボー、、、、と挑戦は続いている。米山によれば「20世紀は、石油と自動車とスポーツの世紀」だそうだ。我田引水の感じもするが、メディアの発達も急速であったから、そうかも知れない。
世界のバドミントンんのレジェンドになっていたインドネシアのルディ・ハルトノをラケットを改良することで応援し、全英オープン選手権7連覇を果たした。現在ではヨネックスは世界のバドミントン界で圧倒的な支持とシェアを誇っている。
テニスでは「頂上作戦」を敢行。キング夫人。マルチナ・ナブラチロワ。伊達公子、マルチナ・ヒンギス。セレシュ。大坂なおみ、などトッププレイヤーの信頼を得ている。そしてゴルフでは、父が同姓同名の米山みどりを応援している。
ヨネックスだけでなく、鬼塚喜八郎のアシックス、石本他家男のデサントなど、世界で成功したスポーツ用具メーカーは、「頂上作戦」を敢行している。一人のスーパースターが誕生すると、そのスターが武器とする用具を皆が買う。それはなぜかというと、イメージもあるが、優れた使い手が満足する機能性の高いものは安心だからだ。優れたスポーツ商品はトップアスリートとの共同研究から生まれるともいえる。
米山 稔は「獨征」という額を自宅に飾っている。ひとりゆく、と読む。小学校の恩師から贈ってもらったものだ。「どんなことでも良いから日本一になれ」と、志の大切さを教えてくれた。人間は独りに徹するとき、最も強く生きられるという趣旨だ。
経営哲学は「ピンチはチャンス」である。ピンチに見舞われるたびに、独自の製品をひねりだし、チャンスに変えていく。米山は「創造」の人である。
以下、挑戦と挫折のくり返しから絞り出した言葉をみよう。
「辛くて辛くてどうしようもないときに、救いの手をさしのべてくれる書物に出会い、吸い込まれるようにして読み切り、そこから光明を見いだした経験を持つ人は、読書に楽しみ以上の何かを求めるようになる。そうなると、読書は人生、経営の道標になってくる」。
「繁栄は滅亡の前触れであり、ピンチは繁栄へのチャンスである」
「転んでも、そのたびにひと回り大きくなって起きあがる。それをモットーにした私には「越後の雪だるま」というあだ名がついた」。
この本には海外のメーカーの社長や、トップアスリートと楽しそうに、親しそうに写っている写真が多い。小柄だが、満面の笑顔で愛嬌があり、活力に満ち溢れた感じがする。
世界的スポーツブランド「ヨネックス」を育てた男、「負けてたまるか」がモットーの米山稔は天寿を全うした。享年95。