「図解塾]。テーマは「狩野派」、「落語」、「虫の音」。
以下、塾生たちの学び。
- 久恒先生、みなさま、本日は図解塾ありがとうございました。今日は『日本を知る105章』の続きで「狩野派」「落語」「虫の音」の3つのテーマを図解と文章で読み解きました。「狩野派」では歴代の狩野派の画家とその功績が系譜図として書かれていて、とても分かりやすく、琳派などの新しい絵画の影響を受け、時代とともに盛衰の波があったことなどがよく分かりました。また、担当させていただいた「落語」では、落語の発祥や、江戸・上方落語の違い、高座の上下、小道具(扇子と手拭)、昇進制度などを図解してみましたが、もう少しイラストを入れたほうが分かりやすさと親しみが増しそうだ、とのアドバイスもいただき、追記してみようと思いました。「虫の音」では、虫の声に特別な親和感を抱くのは、日本と中国以外になく、西欧では全くそのような感情は湧いてこないとの内容で、これには驚きでした。脳の受け止め方が違う(日本人は自然界の音を左脳で聞く)との話もあり、どのようなことが影響してそうなっているのか、さらなる興味も湧いてきたところです。 こうして見ていくと、普段何気なく親しんでいるものの中に「日本」独特のものがあって、そのことに意外と気づいていないのではないか、と感じました。次回もまた楽しみにしています。ありがとうございました。
- 本日もありがとうございました。今日は「狩野派」「落語」「虫の音」の3つでした。「狩野派」についてはほとんど無知で中学校の美術や社会の教科書で見たくらいでしたが、歴史をたどってきちんと整理されており、たいへん分かりやすかったです。筆者の辻惟雄のよく整理された文章も分かりやすかった原因の一つだと思います。狩野派が時の権力者に重用され、絵師として栄華を極めたことがよく理解できました。「落語」については江戸・東京では「前座ー二つ目ー真打ち」という階級があるのに対して、上方では階級制度のようなものは全く無いというのは全く知らなかったことで意外でした。その源流の醒睡笑と徳治法からすでに分かれていたのでしょうが、舞台や小道具については同じというのは不思議でした。藤本義一さんのよく整理された文章で、発表者の深谷さんも造詣が深いということもあってたいへん分かりやすかったと思います。 「虫の音」は私が担当でしたが、詩人の三木卓さんの文章からの情報はあまり多くなく、「虫の音に親しむという日本人独特の感性」という一点を強調して作図しました。以前から気になっていた、日本人と西洋人の虫の音に対する感性の違いはどこから来ているのだろうという問題について発展して調べてみると、梅谷献二さんの研究で日本人は言語と同じ左脳で処理しているということを知りました。また、万葉集の時代から虫の音を楽しみ、和歌や俳句にも取り上げ、虫を飼うということも江戸時代から行われてきたという、日本人の自然とのつながりの特殊性を改めて知りました。現在の理科教育の目標の冒頭に「自然に親しみ・・・・」とあるのも日本独自です。四季折々の自然の変化の中で生きてきた日本人の感性を大切にし、伝えることが必要だと思います。
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11月の図解塾に参加しました。ありがとうございました。「日本を知る105章」の中から、「狩野派」「落語」「虫の音」という3つのテーマについて塾生の方々がコラムを基に図解を作成し、説明してくださいました。今回も非常に興味深い内容ばかりで、図解のおかげで理解が一層深まりました。①狩野派についてとても興味深かったです。狩野派は16世紀後半から19世紀後半までの長い間、画壇で大きな影響力を持ち続けた流派ですが、その秘訣は、時代の社会の変化に応じて画風を柔軟に変えていく適応について興味深かったです。代々の世襲制を通じて狩野派の伝統は受け継がれましたが、それだけでなく、中国や日本の様々な技法を整理し取り入れることで幅広い絵画制作に対応してきた点に感動しました。 特に徳川幕府の御用絵師として組織的に活躍し、その地位を維持した狩野派の仕組みや社会への影響は、図解を通じて非常に分かりやすく理解できました。狩野派の適応力の大切さと、それが長い歴史を通じて果たしてきた役割に心を動かされました。②落語についての説明もとても興味深かったです。私は落語について詳しくは知りませんでしたが、落語にはいくつかのルールがあり、特に必ず話の終わりに「サゲ」や「オチ」がつくという約束があることを知りました。また、たった2つの道具、手ぬぐいと扇子を巧みに使い分けて、さまざまな小道具を表現するという技術に驚かされました。扇子が刀や徳利、橋などになる一方で、手ぬぐいが帳面や手紙に変わるという発想は、とても興味深かったです。また登場人物の上下関係を舞台の「上手」下手」を使って表現する仕組みについても、図解によって理解が深まりました。これから落語を鑑賞する際には、このような背景知識をもとに楽しむことができると思います。③「虫の音」に関する話題もとても心に響くものでした。日本人が虫の音に特別な親和感を抱く理由が、900年前の『古今著聞集』に虫の音を楽しむ文化が語られていたことからも、日本人にとって虫の音がいかに大切な存在であるかを改めて考えさせられました。特に私自身、田園が広がる自然の中に住んでおり、虫の音が身近に感じられる環境で生活しています。そのため、秋の夜に聞こえる虫たちの声には深い癒しを覚えます。これが西洋では単なる雑音と捉えられると聞き、日本と西洋の文化の違いについて考えさせられました。虫の音を通じて季節の移ろいを感じる日本人の感性は、自然との共生を大切にしていることを改めて考えさせられました。どのテーマも非常に興味深く、また図解の力によって視覚的に理解しやすかったことが、より学びを深めることができました。参加された塾生の方と意見や感想を共有する時間もとても楽しく、有意義なひとときでした。次回もまた参加し、新たな発見を得ることを心から楽しみにしています。
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久しぶりの図解塾ありがとうございました。いつも出ている福祉図解塾と違い、熟達した皆さんの図解に大きな感銘を受けると共に脳にビビッとくるような刺激を受けることができました。落語の東西の違いなどうっすら知っていたことも図解することで、明確に理解することができました。虫の音については日本人のDNAに迫るまさに日本を知る機会になりました。自分の発表では、8月に頂いていた「狩野派」の図解をようやく作成することができ、発表してホットしたのと、皆さんからの質問や提案に文中に無い部分まで視野が広がるインスピレーションを得ることができました。 久恒先生の「歴史」は表現できたけど、「地図」が必要との指摘はその通りで、周り(横)との関係によって「狩野派」の立ち位置や周りとの兼ね合いがわかると、より狩野派の実態がわかるのかもしれないと感じます。また、明治維新後の「狩野派」の状況についても調べてみたいと思いました。次回は、「浮世絵」というお題をいただきました。12月の参加は難しいかもしれませんが、狩野派のブラッシュアップとともに、浮世絵についても取り組みたいと思います。
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午前:『革命』のデザインとDTPの打ち合わせに参加。
諏訪仁さんと連絡がとれた。校正をお願いできることになった。
都築さんとクラファンの打ち合わせ。
7千歩。
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「名言との対話」11月27日。昇地三郎「降りかかってきた禍を『困った、困った』と逃げ回っていると、どこまでも追い掛けてくる。それを、試錬と捉えて『来るなら来い』と立ち向かっていけば、禍が逆に幸福の種になるのです」
曻地 三郎(1906年(明治39年)8月16日 - 2013年11月27日、旧姓:山本三郎)は、日本の教育者、教育学者。教育学・心理学・精神医学が専門。享年107。
私財を投じて日本初の知的障害児通園施設しいのみ学園を設立、運営した人である。
北海道釧路市出身。広島師範学校(広島大学)に入学。専攻科(大学院)に進学。広島文理科大学心理学科で教育心理学を学び卒業、後に文学博士の学位を取得。福岡学芸大学教授。九州大学で精神医学を学び、後に医学博士の学位を取得。
29歳結婚する。長男、次男とも脳性小児まひにかかる。1954年には日本初の養護学校「しいのみ学園」を設立し、障害児教育に挺身する。
著書『ただいま100歳~今からでも遅くはない~』、しいのみ学園のホームページから昇地三郎の考え方を聞こう。
- 10代 親の言うことを聞こう。20代 まず「やってみる」。良い配偶者を得る。30代 子育ての時代。親子で希望の星を求めよう。40代 最も花の咲く時期。勝負をせよ。50代 人災の最高の時。60代 飛躍の時。自分の学問・実績を広げよう。70代 70くらいで屈してはならない。自分を鍛えよう。80代 半分の40代のつもりで頑張ると気力が出てくる。90代 今からでも遅くはない。15歳の意欲でいよう。100歳 Go ahead! 前進、また前進。
- 十大習慣健康法。①まず笑顔②冷水摩擦③棒体操④祈る⑤一口三十回噛む⑥ラジオ講座を聞く⑦新聞を読む⑧口八丁手八丁足八丁⑨日記を書く⑩背骨を伸ばして寝る
- 十大教育原理。1.活動の原理 揺さぶる。刺激を与えて反応させる。2.興味の原理 あら、何かしら、という興味を引き出す。3.許容の原理 叱らない教育4.賞賛の原理 褒めて伸ばす。5.自信の原理 達成の喜びを経験させる。6.予見の原理 先を見る。7.変化の原理 マンネリズムかを避ける。8.集中の原理 ここぞという時にはやり遂げさせる。9.共在の原理 先生と子供がいつも同じ空間にいる。10.体感の原理 スキンシップ。
「オシャレをしなくなった日から老いが始まる」。昇地三郎は奇抜な格好をしていたが、それは意識したアンチエイジングだったのか。十大習慣健康法、十大教育原理など、この人の前向きの人生の言葉には励まされる人が多いだろう。
『困った、困った』と逃げ回っていないで、『来るなら来い』と立ち向かっていく。文学博士、医学博士と2つに学位を持っているセンテナリアン・昇地三部の107年の盛大な生涯を眺めると、それを実践した人だったことがわかる。