田中秀征・佐高信『石橋湛山を語る』ーー「小日本主義」の条件

田中秀征佐高信石橋湛山を語る』(集英社新書)を読了。

石破首相が国会での初心表明演説で石橋湛山「異なる意見を持つものへの寛容さを大切に」という石橋湛山元首相の言葉を引用した超党派の国会議員の石橋湛山研究会が発足するなど「湛山ブーム」である。

今まで、湛山の本を読んだり、山梨の記念館を訪問したりしてきたが、改めてこの二人の対談を手にして、目が開かれる思いがした。

日本は主要四島で十分にやっていけるし、それが日本のため、世界のためであるという「小日本主義」を1921年に「東洋経済新報」の社説「一切を棄つるの覚悟」「大日本主義の幻想」で一人敢然と唱えた。小欲にとらわれず、満州山東を捨て、朝鮮ン、台湾に自由を許す。経済的、軍事的、政治的にもそれが得策だ。一種の民族史観でもある。

小日本主義」の条件とは何か。「大商業主義」「大科学主義」「大経済財政主義」であり、その結果「生活大国」を目指すという大胆なものだった。第二次大戦で四島のみから出発した日本は大発展した。それは湛山の指摘の通りだったことになる。

日本の保守勢力には二つの流れがある、吉田茂日本自由党鳩山一郎日本民主党だ。保守合同を主導した岸信介自由民主党を結成する。戦争責任を自覚した自由党系列が保守本流宏池会。戦前回帰の復古調の民主党系列が保守傍流自民党本流)。自主憲法制定を掲げた自民党の綱領を作ったのが岸の一番弟子の福田赳夫、これが清和会でCIAと統一教会と深い関係にあった。

保守本流の源流の湛山は、戦前から国策を批判していた。軽武装・経済国家が基本スタンス。戦後に政治参加したのが吉田茂、それを継いでいるのが池田勇人田中角栄宮澤喜一。他国に軍事的に手を出さない。独立という尊厳にこだわる。二人は湛山思想の後継者が中村哲だとしている。

湛山は、科学技術で先頭を走っている限り、日本は衰退はせず、世界の貢献できると考えていた。「国民の全力を学問技術の研究と産業の進歩に注ぐ」、そのため「兵営の代わりに学校を建て、軍艦の代わりに工場を設けるべし」と強調している。この基盤が揺らいでいるのだ。

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「名言との対話」12月2日。はしだのりひこ「息子よ、語り合いたいこの時を」

はしだ のりひこ(本名:端田 宣彦、1945年1月7日 - 2017年12月2日)は、日本のシンガーソングライターフォークシンガー

ザ・フォーク・クルセダーズの元メンバーで、解散後は「風」「花嫁」などのヒット曲で知られるフォーク歌手
ザ・フォーク・クルセダーズの元メンバーで、解散後は「風」「花嫁」などのヒット曲で知られるフォーク歌手

 同志社大学神学部在学中から、フォークグループで活動。1967年、加藤和彦きたやまおさむのザ・フォーク・クレセイダーズに参加し、「帰ってきたヨッパライ」「悲しくてやりきれない」「イムジン河」などのヒットを飛ばした。22歳だった。1968年の解散後は、はしだのりひことシューベルツを結成し、「風」がヒットする。1971年に「はしだのりひことクライマックス」の「花嫁」がヒットする。

 私はこの「風」という歌が好きだった。「人は誰もただ一人旅に出て 人はだれもふるさとをふり返る ちょっぴりさみしくてふり返っても そこにはただ風が吹いているだけ 人は誰も人生につまづいて 人は誰も夢やぶれふり返る、、、、何かをもとめてもふり返っても そこにはただ風が吹いているだけ」。

同志社大在学中からフォークグループで活動。67年に故・加藤和彦さん、きたやまおさむさん(71)のザ・フォーク・クルセダーズに参加した。「帰って来たヨッパライ」「悲しくてやりきれない」などで人気を博した。

 68年の解散後、杉田二郎さん(71)らと「はしだのりひことシューベルツ」を結成し、「風」をヒットさせたほか、71年には「はしだのりひことクライマックス」で発表した「花嫁」が大ヒット。同

 27歳で父親になった小柄で童顔のミュージシャンは、旅から旅への10数年間の風来坊生活を反省し、妻と10歳の息子、5歳の娘を呼び寄せ、37歳で東京に家を建てる。その5か月後に妻が倒れ、主夫生活に入る。今までの生き方を根底から変えることになった。1986年には41歳で『お父さんゴハンまーだ』(教育資料出版会)を出している。主夫生活での子育てを自然なタッチで書いた。長男は14歳、長女は9歳だろうか。

今回読んだ『親父たたかう』(文化出版局)は、1991年の発刊だ。この本では家族のあり方についての記述が参考になった。この本のサブタイトルは「息子よ、語り合いたいこの時を」だ。子育ては戦いだ。情熱と明るさをと涙の三点セットでの子育て実践記である。長男は19歳、長女は14歳。この本では思春期を迎えた息子との日々がつづられている。語り合う親子の姿がある。成長を見守る父親の愛情がある。息子は父の母校に入った。はしだのりひこは家族のだれもが気兼ねなくしゃべり合う、快適な家庭を築いた。誤診であり元気になった妻は、死んだら、この人は私の「骨をしばらく机の上に置いて置くよっ」て言っていたと語っている。「私の人生、それだけでいいかな」が妻の言葉だ。はしだのりひこの巣作り改造計画は成功したようである。

僕はいつも、人がアッと思うようなことを考えている」というはしだのりひこは、2017年に「京都フォーク・デイズ ライブ~きたやまおさむ~と京都フォークの世界」にゲスト出演し、約10年ぶりに表舞台に姿を現した。パーキンソン病であり、車いすで登場した。享年72。早かったなあ。

以上の2019年12月2日のブログを読んだということで、2020年の11月2日に、出張中に「週刊現代」の取材を受けた。コロナ禍での2度目のZoom取材だった。はしだのりひことシューベルツの「風」についてという珍しいテーマだった。日本人の美意識、無常観、本より短詩、短詩より歌。歌はいつか詠み人知らずになる。茫々。、、。

2020年11月3日の「週刊現代」の4pの記事。私の部分は、大学入学、弁護士志望、全学ストライキ、探検部、就職、研究者、、、、最後に「あんな短い言葉で、端的に人生を表現した唄は他にありません」で終わっていた。他には、作詞した北山おさむ、ニッポン放送亀淵昭信生物学者福岡伸一という面々だった。