「図解塾」:テーマは「鶴」「団体旅行」「月」「温泉」

「図解塾」:テーマは「鶴」「団体旅行」「月」「温泉」。

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  • 今日もありがとうございました。初めの「名言との対話」はおっしゃる通り今週はとりわけ興味深く、学ぶこともおおかったです。五木寛之日刊ゲンダイに12000回以上連載している話や、はしだのりひこ寺山修司菅原文太キッシンジャーなど懐かしい人々が多く登場していました。「日本を知る105章」は「鶴」「団体旅行」「月」「温泉」でした。「鶴」はたしかに姿が美しく、日本人に愛されてきた鳥だということが再確認できました。天上界と人間界の落差、ということの象徴から「夕鶴」の話、千羽鶴を見舞いや慰霊のために折ること、正月の飾りなどめでたいところに多く使われていることなど、同じ白い鳥でも白鳥や鷺などとは扱いが違います。「団体旅行」は、お伊勢参りなどの講や、修学旅行、農協や町内会の旅行などそれぞれ起源や目的も違いますが、安心でリーズナブルということで行われてきました。しかし、日本人だけの集団でそこを通してしか旅先と接しないということがあります。現代では多様化して、例えば修学旅行もグループ別行動というのが多くなっています。 「月」は哀調を帯びているものとしてうたわれているものと、自然現象としてうたわれているものとに分けられていました。たしかにうまい分け方と思いましたが、「月はおぼろに東山」とか、「あをによし平城山の空に満月(さだまさしまほろば」)のように月そのものの美を歌ったものもありますね。「温泉」は療養のための湯治から、訳ありの人たちが集まる怪しい場所、すなわちアジール化して歓楽街となったことがよく分かりました。社員旅行で温泉に行って飲んで歌って騒いで、というのも日本独自なのでしょうね。令和になってだんだんと減ってはいるでしょうが。
  • 久恒先生、みなさま、図解塾ありがとうございました。今回は「鶴」「団体旅行」「月」「温泉」の4つを文章と図解で読み解きました。「鶴」は日本の名鳥とされ、姿形も美しく、それこそ古代から縁起の良いものの象徴として扱われていたことがよくわかりました。結婚式の引き出物や、お正月など、おめでたい席には必ずその図柄を目にします。また品の良さも感じられます。丹頂鶴の写真などを改めて眺めてみると、白い羽と黒く細い足、頭が紅、と絵になる姿をしていると思いました。「団体旅行」では、その発祥が19世紀のヨーロッパの団体列車だったというところや、江戸時代のお伊勢参り、明治時代の北海道の師範学校への修学旅行なども、団体旅行の歴史のひとつというところに面白味を感じました。最近では団体といっても、少人数の旅行が多くなっているとは思いますが、パック旅行として案内してもらえる手軽さには魅力があると思いました。 「月」では、月を詠んだ和歌や詩、歌詞などが、満月を仰ぎ見るゆようなイメージの図解として表現されていて、とても印象的でした。その中で、野口雨情の『雨降りお月さん』の歌詞で、雨空で見えないお月さんまでもが歌になる月への思いの深さを感じました。「温泉」では、日本では、もともと自然療養の場として活用されていたものが、明治以降は「美食付き一夜湯治」の歓楽街として広がりを見せて、癒しの場となっていることがよく分かりました。また、夏目漱石修善寺温泉で連想したのですが、志賀直哉城崎温泉など、文豪と関係の深い温泉のあることや、創業100年を超える老舗の温泉旅館も見聞きすることがあり、温泉にもいろいろな楽しみがありそうだと思いました。ありがとうございました。次回も楽しみです。
  • 12月の「図解塾」に参加しました。久恒先生、皆様ありがとうございました。今回のテーマは、鶴、団体旅行、月、温泉でした。どの内容も興味深い内容で、図解を通じて新しい発見がありました。 「鶴」のテーマでは、鶴は長寿や平和の象徴とされ、特に折り鶴や千羽鶴のように、祈りや願いを込めて使われることが私も同じような印象を持っています。広島の平和記念公園や正月に岡山の後楽園に舞う鶴の姿を思い浮かべながら、鶴の美しさや日本人の自然観を深く考える機会になりました。  私は「団体旅行」を図解により説明させていただきました。団体旅行の歴史や意義について説明させていただきました。団体旅行の原型は、19世紀のイギリスでトマス・クックが始めた列車によるツアーにあるという話や、日本では江戸時代のお伊勢参りなども団体旅行に入るなどを知り、旅行文化の奥深さを感じました。また、団体旅行のメリットについての意見交換も興味深かったです。効率的に多くの名所を回れて楽であるという意見や、会社の団体旅行は長時間拘束されるなどデメリットの意見もでて共感しました。私自身も学生時代に個人旅行を経験したり、学校や会社などで団体旅行を経験し、両方のスタイルのメリットやデメリットを改めて考えるきっかけになりました。 「月」のテーマでは、日本人が昔から月に特別な感情を抱いてきたことを再確認しました。満月や三日月の美しさを詠んだ和歌や俳句、そして月見の習慣など、日本独自の感性が表れていると感じました。月を愛でる文化は、自然の美しさを静かに味わう心の豊かさを象徴しているように思えます。 「温泉」についての図解では、西洋と日本の温泉文化の違いが興味深かったです。西洋では温泉が社交場として発展したのに対し、日本では癒しや療養を目的として発展してきました。この記事を書いた著者は温泉は歓楽街へと次第に変わっていったと書かれていますが、山奥に一軒だけの温泉もあり、さまざまな温泉があるのではないかと思いました。どのような温泉も温泉が持つ心身の癒し効果は変わらないと改めて感じました。 今回も図解がいかに情報を整理し、理解を深めるのに役立つかを実感しました。また参加者の皆さんとの意見交換や、それぞれの視点から新しい発見ができたことも、良かったです。知っていると思っていた日本文化についてもより深く知るこたができ良かったです。今回の「図解塾」で得た知識や気づきを大切にし.
  • て心豊かにしていきたいと思っています。次回の図解塾も楽しみにしています
 
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都築 功、松本龍
 

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「名言との対話」12月4日。中村哲「我々の歩みが人々と共にある「氷河の流れ」であることを、あえて願うものである」

中村 哲(なかむら てつ、1946年9月15日 - 2019年12月4日)は、日本医師。PMS(平和医療団・日本)総院長。

1968年年九州大学医学部入学後、佐世保への米原子力空母「エンタープライズ」の寄港、九大構内に墜落した米軍ジェット機「ファントム」の墜落などに遭遇。卒業後、国内の診療所を経て、1984パキスタンペシャワールに赴任。以来、ハンセン病を中心とした貧困層の診療に携わる。1986年よりアフガニスタン難民のための医療チームを結成し山岳無医地区で診療を開始。1991年より3つの診療所を開設し、1998年基地病院PMSを設立。2000年から水源確保のための井戸掘削と地下水路の復旧を行う。2003年から2009年にかけて全長25キロに及ぶ灌漑用水路を建設。2019年武装勢力に銃撃され死去。葬儀ではガニ大統領が棺を担いだ。

現地三十年の軌跡を振り返った『天、共にあり』(NHK出版。2013年刊行)を読んだ。火野葦平を叔父に持つ昆虫少年という幼少時からの生い立ちと、数々の出会いと出来事の連続が自身をつくったことが述べられている。そして無意味な生命や人生はないとの確信を述べている。この本の中では、「出会い」という言葉が頻繁にでてくる。そして民族の十字路・アフガニスタンでの中村の活動は「天命」であったとの考えである。

白水隆という九大教授の名前が出てくる。私が所属した九大探検部の昆虫博士の部長先生だ。中村は内村鑑三の『後世への最大遺物』と『論語』に影響を受けている。それにクリスチャンであり「天、共にあり」を神髄とするキリスト教と、アフガニスタンで知るイスラム教が加わる。そして中村は全ての人を貫く「人の道」の存在を確信するようになる。

餓死とは栄養失調で抵抗力が落ちて落命することだ。もう病気治療どこりではない。病気のほとんどは食料と水があれば防げる。そして井戸を掘り、2006年までに1600カ所の井戸を確保、20万人以上の難民化を防ぐ。しかし、温暖化による干ばつによって地下水も枯渇し始める。用水路建設に取り掛かる。2010年に25キロが完成する。日本の山田堰を参考にし、「いかに強く作るかよりも、いかに自然と折り合うか」という考えに達してつくった洪水にも渇水にも強い堰である。寄付で集めた14億円の総工費と摂氏50度を超える炎天下の砂漠で働く現地人400名の労働により穀倉地帯が復活した。

終章は「日本の人々へ」だ。

日本の国土は夢のように美しい。平和だが何だかものたりない。フィクションの上に成り立っている世界観と常識。宮沢賢治注文の多い料理店』は現在の日本を風刺しつくしている。「カネさえあれば何でもできて幸せになる」という迷信、「武力さえあれば身が守られる」という妄信からの自由が大事だ。PMSの安全保障は地域住民との信頼関係だ。剣で立つ者は剣で殺される。武力によって身が守られたことはなかった。発砲しない方が勇気がいる。そして「憲法9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ」とも他のところで語っている。

ぺシャワール会のホームページをみると、「中村医師からのメール報告」欄が目についた。現地から日々送信されてくる写真付きメールである。最後のメールは2019年10月4日受信の「天敵、アシナガバチの怪」だ。昆虫少年であった中村の観察である。「次回、ビエラの花と実にたかるミツバチの姿をお届けします」と書いてあるが、それは届かなかったのだろう。

中村哲の志は、アフガニスタン人はもとより、日本の後輩たちにも大きく深い影響を与えている。こういう人を本当に「偉い人」というのだろう。

中村さんは「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイア賞を受賞。2018年10月にアフガニスタンのガニ大統領から、市民証(名著市民権)を授与され名誉国民の待遇をうける。タリバンは「襲撃には関与していない、この団体(ペシャワール会)は復興に関わっており、タリバンと良好な関係を持っていた。(この団体の)誰も標的ではない」とコメントした。政府と反政府の両方から感謝される活動だった。この道が日本の道だろう。

以下、中村哲医師の語録から。

  • 「100の診療所より1本の用水路を」
  • 「依然として『テロとの戦い』と拳を振り上げ、『経済力さえつけば』と札束が舞う世界は、砂漠以上に危険で面妖なものに映ります」
  • 「子どもたちや孫たちによいアフガニスタンを残すこと、それがいちばんの課題だ。この国にできるだけ緑を増やして砂漠を克服し、人々が暮らせる空間を広げたい」
  • アフガニスタンは40年間ずっと戦争が続いているが、いまは戦争をしている暇はないと思う。敵も味方も一緒になって国土を回復する時期にある」
  • 「照一隅(いちぐうをてらす)」
  • 「誰もが行くところには誰かが行く。誰もが行かないところにこそ我々に対するニーズがある」
  • 「私たちが貫いてきたのは、なるべく地元の素材を利用し、地元のやり方で、そこの人々の手を借りて、ローカルの力を活用すること」
  • 「三度の飯が食えて、家族が一緒に暮らすことができれば良い」
  • 「お金があれば幸せになれるという迷信、武力で平和は守れるという迷信に惑わされないでほしい。本当に人間にとって大切なものは何なのか、大切でないものは何なのかを考えてほしい」
  • 「僕は、てっきり戦争難民だと思ってた。ところが“干ばつ難民”ですね、半分以上は。これ、砂漠だったんですよ」
  • 「実際、病気のほとんどが十分な食料と清潔な飲料水さえあれば、防げるものだったから」
  • 「必要なのはお喋りではなく、実弾である。 現地の我々は、飲料水確保に全精力をつぎ込む。水は命である」
  • 「基礎に栄養状態が良くないというのがあります。それから衛生状態が良くないと。水で洗うだけでかなり良くなるんですが。水そのものが欠乏している」
  • 「人は忙しく仕事をしていれば戦争のことなど考えません。仕事がないからお金のために戦争に行くんです。おなかいっぱいになれば誰も戦争など行きません」
  • 「これは平和運動ではない医療の延長なんですよ。医療の延長ということは、どれだけの人間が助かるかということ。その中で結果として争い事が少ない、治安が良い、麻薬が少ないということが言えるわけで、これが平和への一つの道であるという主張をしたことは少ないと思います。ただ戦をしている暇はないんですよと。戦をするとこういう状態がますます悪くなるんですよと。それにはやっぱり平和なんですよ。それは結果として得られた平和であって、平和を目的に我々はしているわけではない」
  • 「鍬も握っていない外国人が農業支援を行うことはできません」
  • 「『国際化』の致命的な欠陥は、 下から上を見る視点の欠落である」
  • 「『戦争協力が国際的貢献』とは言語道断である」
  • 「いわゆる教育の浸透するところ、 若者は長老の迷信と陋習を笑い、 都市に流入する。農村は荒廃してゆく」
  • 「御託はもう結構。 ただ実行あるのみ」

田中秀征佐高信石橋湛山を語る』(集英社新書では石橋湛山を語っている。保守本流の源流の湛山は、戦前から国策を批判していた。軽武装・経済国家が基本スタンス。戦後に政治参加したのが吉田茂、それを継いでいるのが池田勇人田中角栄宮澤喜一。他国に軍事的に手を出さない。独立という尊厳にこだわる。そして二人は湛山思想の後継者が中村哲だとしている。別のところで佐高🄱は、1万円札の肖像は中村哲がいいと語って多くの人の賛同を得ていた。

聖人・中村哲は「我々の歩みが人々と共にある「氷河の流れ」であることを、あえて願うものである。その歩みは静止しているかの如くのろいが、満身に氷雪を蓄え固めて、巨大な 山々を確実に削り降ろしてゆく膨大なエネルギーの塊である。我々はあらゆる立場を超えて存在する人間の良心を集めて氷河となし、騒々しく現れては地表に消える小川を尻目に、確実に困難を打ち砕き、かつ何かを築いてゆく者でありたいと、心底願っている」というメッセージを我々に遺したのである。