12月3日の「日刊ゲンダイ」をコンビニで手にし、五木寛之「流されゆく日々」を読んで驚いた。
この日のタイトル「長い旅の途上で①」が12000回となっていた。
この1回3枚弱の連載は1975年10月の「日刊ゲンダイ」創刊と同時に始まっている。来年10月には創刊50年を迎えるというから、この日々の実況報告の連載も49年という半世紀近くにわたることになる。一度も休んでいない。奇跡としか言いようがない快挙だ。もちろんギネス記録を更新中である。
「対談は修羅場。真剣勝負。メッキがはがれる。耳学問」という五木は対談を生涯で数千人行ってきたとしている。そして常に時代のホットコーナーにいるので自分は絶対に古くならない、という。
五木の連載に匹敵するのは「徹子の部屋」だけだ。こちらは1976年2月2日から平日に放映されているテレビ番組だ。2023年9月12日に同一司会者によるトーク番組でギネス新記録12000回となった。こちらも対談であるから準備も大変だ。
五木の連載が始まったのは43歳で、現在は92歳。途方もない記録であることがわかる。
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- 「革命」のクラファン原稿
- 「蜃気楼大学」の一日学長挨拶の原稿
- 8000歩
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「名言との対話」12月5日。免田栄「殺していないのに絞首刑で処刑された人が何人もいる」
死刑囚で再審無罪となった最初の人である。 23歳で逮捕され、57歳で無罪を勝ち取るまで、実に34年6カ月を獄中で生きた「死刑台からの生還者」である。それは免田事件と呼ばれる。
免田事件とは1948年(昭和23年)12月30日に熊本県人吉市で起こった祈祷師一家4人が殺された強盗殺人事件で、被疑者の免田栄の強制された自白にもとづき最高裁で死刑判決が下されたのち、再審で無罪が確定した有名な冤罪事件だ。死刑確定判決後の再審でアリバイが認められて初の無罪となった。
あらためて1983年のこの日のNHKのニュース動画をみた。免田栄は「勝つ自信はありましたから」「当然この日が来ることは確信を持ってました」「これはひとつの区切りであって、あらためて戦うつもりです」との言葉が印象的だった。
「34年半の獄窓生活の中で、私が手をにぎって死刑台に見送った人々は70人くらいだと思う。 昨日も今日もというときもあったし、1日に2人ということもあった。 死刑台に多くの人を見送っての結論は、やはり死刑はあってはならぬ、ということである。 国家による殺人は、あまりにも残酷だ」(免田栄/獄中記より)
釈放後に知り合った玉枝さんと結婚した免田栄は自身の経験をもとに、「人のすることだから間違いはある」としながらも、「もうこういうことがないように」「司法がしっかりしてほしい」「誰かが行動しないと、黙っているままじゃあ、民主主義は寂しかですたい」と、出獄後は冤罪防止や死刑制度廃止を出版や講演で訴え続けた。そして他の確定死刑囚の再審支援にも奔走している。1980年代には財田川、松山、島田各事件で確定死刑囚の再審無罪が相次いだ。
『免田栄獄中記』(社会思想社、1984年)『私の体験にもとづく冤罪論・死刑廃止論』(いのせんと舎、1993年)『死刑囚の手記』(イースト・プレス、1994年)『死刑囚の告白』(イースト・プレス、1996年)『免田栄獄中ノート』(インパクト出版会、2004年)が免田の著書である。
刑事補償法によって9000万円の保証金が払われたが、半額以上を弁護団や支援団体に謝礼として渡した。また拘置所にいた間は年金に加入できなかっために年金を受け取れなかった。また根強い偏見によって郷里では住めなくなり引っ越している。
「司法がしっかりしてほしい」
2001年には、フランスの第1回死刑廃止世界会議に参加、2007年にはニューヨークの国際連合本部で行われたパネルディスカッションにおいても自らの主張を訴えた。
免田の申し立てによる議員立法の成立で未納保険料を支払い、2013年に年金の一時金を受け取り、2014年からは国民年金を受給できるようになった。2019年9月には熊本大学付属図書館で「『地の塩』の記録 免田事件関係資料展」が開かれた。
冤罪事件は続いている。最近では2024年10月に再審無罪が確定した袴田巌さんがいる。静岡県で一家4人が殺害された事件で死刑が確定し、再審で捜査機関の証拠捏造が指摘され無罪となった。自白は非人道的な取り調べによるものだった。その時、袴田さんは88歳。晴れて無罪の平穏な日々をおくることを祈りたい。
死刑囚と無期懲役囚はまったく違う人生を送る。無期囚は人生の時間を薄く引き伸ばしたような退屈した時間が続く。人生に対し鈍感になる。しかしその時が明日かとおびえながら日々を送るのが死刑囚だ。そこには濃密な人生の時間が流れているのだろう。こちらはさらにきつい精神的拷問だろう。
あの有名なデュマの『巌窟王』の主人公モンテクリス伯でさえも冤罪による獄中生活は14年だった。さらに20年の間、免田栄は死刑におびえながらの日々を送ったのである。「殺していないのに絞首刑で処刑された人が何人もいる」という言葉は冤罪で死んだ死刑囚から預かった魂の叫びだ。運命というにはあまりにも過酷な生涯というほかはないが、それが免田栄の生涯のテーマとなった。釈放後は獄中生活よりも長い38年を生き、最後は老衰で亡くなったことがせめてもの救いのような気がする。冥福を祈りたい。