福祉図解塾。「こども白書」の図解化進行中。次回で全容ができあがる予定。
以下、塾生の学び。
- 今日も福祉図解塾に参加できました。「仕事は追われるのでは無く追いかける」「早起きすれば、自然と追いかけられる人生になる」。私はとにかく夜型なので、先生から人生が変わる金言を頂きながら、とうしてもできる自分が想像できないことに、まだまだ甘さがあるのだと感じています。全体の感想でも述べましたが、 ながいキーワードをキャッチーでわかりやすい単語に集約するセンス。バックアップする国の機関を下支えまたはバックアップする場所に配置したり、中心に何を配置するか、そしてその関係を⇨または線で結ぶことで立体感を出していく。結果として図が見やすいし、わかりやすくなる。このことが原点であり神髄なのだと思いますが、なんとなく近づけたようでまた遠のく。まるで蜃気楼のよう。今回は黙っていましたが、私は作業できませんでした。皆さん忙しい中、図解作業されていることに尊敬です。又次回もよろしくお願いいたします。
- 福祉図解塾に参加させて頂いた。図解は奥が深く、やればやるだけ出来なくなっていくのだが、全体の構造と関係、立体的に作ることなど、少しずつではあるが前に進んでいる気がする。ここまでの積み重ねを自信とし引き続き取り組んでいきたい。また、仕事に追われるのではなく、追うようにすることや、早起きをしてタスクに先手を打つこと、日曜日に、翌週のことを考えること、タスクは小さいことと大きいこととが、混在することによる進まなさを解消するため、時には小さいものから片付けることで前に進むことなど、心がけを学んだ。また、文章を書くときは常に前のものと絡めながら書くということも、今後の参考としたい。
- ありがとうございました。ずっと時間に追われてきた自分。これからもそのままでいるのか!そんなのは嫌だと思いました。まずは早起きで、メールを処理する。小さなことをさっさと片付ける。メリハリをつける。そこから始めてみます。そして、図解の奥深さ。どこまで深いのか。アドバイスを受けて、私は文に書いているとおりのことを図にしていただけでした。本質を読み取る力をつけたいと思いました。そこから立体的に作る、中心の概念を真ん中にする。修正に取り掛かります。
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今日もありがとうございました。2023年4月に施行された「こども白書」から、「こども基本法」や「子育てにやさしい社会づくり」、「こども施策」について学びました。どの話もとても興味深かったです、私は「こども施策」について、自分で図解を作って説明したことで、たくさんのことに気づけました。私が作った図解には「こども施策」の内容は書いていたのですが、一番大事な「子どもの幸せのために」という目的が抜けていることに、久恒先生の指導を受けて気づきました。この目的が中心になって、子ども家庭庁が取り組んでいることを考えると、「子どもの幸せ」がいかに大切なのかがわかりました。親が安心して子育てできるよう、経済的にも人のサポートも整えていくことで、子どもたちが安全に、愛されて育つ社会を作ることが大切だと感じました。それによって少子化も防ぐことができる可能性が高いということもわかりました。また、子育ては家族だけのものではなく、社会全体で支えていくことが必要だとも感じました。自分の図解は文章が少し長くてわかりにくい部分がありました。丸の中の枠には、あまり文字を入れず、大事な言葉だけを入れることが大切だとわかりました。例えば「こども施策」の取り組みを長い文章にで図解に書いていましたが、次のように短くできると思いました。子どもたちの意見を聞く「こどもひろば」や、人材育成やデータ分析、DX化(デジタルを使った支援)などキーワードにすることで聞く側に伝えやすくなるのでは思いました。図解の描き方で一番印象に残ったのは、図を描くときの考え方についての話です。今回、国や地方自治体を図の「一番上」に描きましたが、「国や自治体は支える役割だから、図では下に描いたほうがいい」ということがわかりました。中心にあるのは社会や家庭、子どもたちで、それを国や自治体が支えるという形にすることが大事だとわかりました。この考え方は、これから図を作るときにとても役に立つと思います。次は、自分の図をもっとわかりやすく作り直して、今回学んだことをしっかり活かしていきたいと思います。今日は本当にありがとうございました。次回も楽しみにしています!
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夜:ノーベル平和賞を受賞した日本被団協のスピーチを感動を持って聞いた。
昼:家族会。長女と、長男とその1歳半の娘と、懐かしい横浜そごうで会った。
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「名言との対話」12月10日。小沢昭一「志ん生に会えると春の黄泉の道」
小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)、1929年(昭和4年)4月6日 - 2012年(平成24年)12月10日)は、日本の俳優、タレント、俳人、エッセイスト、芸能研究者。
東京都台東区出身。劇団「しゃぼん玉座」主宰。旧制麻布中学時代に作家・演芸評論家正岡 容に弟子入り、海軍兵学校を経て早稲田大学文学部に入学し、在学中に庶民文化研究会を創設し、日本で初めて学校に落語研究会を誕生させた。また俳優座付属俳優養成所にも入所し千田 是也に師事する。
1960年に演出家の早野寿郎と「劇団俳優小劇場」を結成し、1966年に新劇寄席『とら』で芸術祭奨励賞を受賞。『エロ事師たちより・人類学入門』で主役を務め、「キネマ旬報」主演俳優賞や毎日映画コンクール男優主演賞など数々の賞を受賞。芸能研究者や詩人、エッセイストとしても活動。1994年に紫綬褒章、1999年に坪内逍遥大賞、2001年に勲四等旭日小綬章・徳川夢声市民賞、2003年に東京都功労者を受賞。
主な著書に「ラジオのこころ」「珍奇絶倫小沢大写真館」「小沢昭一ー僕のハーモニカ昭和史」「小沢昭一座談シリーズ」「小沢昭一的新宿末廣亭十夜」「小沢昭一がめぐる寄席の世界」「放浪芸雑録」「思えばいとしや“出たとこ勝負” 小沢昭一の「この道」」「日本の放浪芸」「日日談笑 小沢昭一的人生」「ものがたり芸能と社会」「小沢昭一百景 随筆随談選集シリーズ」「桂吉坊がきく藝」「老いらくの花」「わた史発掘 戦争を知っている子供たち」「私は河原乞食・考」などがある。
1973年に始まったTBSラジオの「小沢昭一的こころ」は、2011年5月13日に放送1万回目を迎えている。宮本武蔵の「鍛は千日、錬は万日」の万日を達成しているのは立派だ。根強いファンも多かった。その延長線上の 小沢昭一・宮腰太郎『ノーテンンキ旅 小沢昭一的こころ』(新潮文庫)を読了した。
ラジオでのしゃべりと同じ語り口である。これは現代の落語だ。悪友たちとの旅がテーマであるが、基本はエロスだ。女子サッカー見物、伊東温泉へのヌード撮影ツアー、赤線15カ所の蘊蓄、穴守稲荷のいわれ、朝倉・秋月のネギ、釣り、、、。。小沢はカタカナの使い方が上手い。ベンキョー、ノゾキ、ミダラ。オアイソ笑い、オトナァー!、、、。
この本の中にJALのフライト農業の見学の話が出てくる。福岡県朝倉の「生、煮、薬味、ヌタ」に使える鶴丸マークのついた万能ネギの話題だ。私の妹の亭主がJALの貨物にいて私もビジネスマン時代に関わったことがあることを思い出した。
ネットで小沢の名言を探すと「死んでから行く先は、その故人をよく知る人の『心の中』じゃないでしょうか。その知人たちが何十年か後に死に絶えたら、そこで初めて世の中から消え去るんだと思います」という言葉が見つかった。「死して朽ちず」であるが、その影響を与えた人がさらに他の人に影響を与えていくというつながりが永遠に続くというと考えると、人は死なないということになるんじゃございませんか?
小沢の趣向と趣味は「小」である。本業でも、小劇場、小屋、小芝居にこだわっているが、好きな女性ははコツマナンキン、そして趣味という「釣り」もちっちゃい小魚・タナゴ釣りを愛好している。自分の中に趣味という「小宇宙」を持つことがふくよかな人生を送る秘訣だという小沢昭一の言葉に共感を覚える。その小宇宙は、人生に勢いをつける大いなる宇宙、つまりライフワークへもつながる可能性も秘めているのではないだろうか。
- 「光源氏の役以外は、出演しません」(テレビやドラマの出演を断る口上)
- 「お客様は悪魔です。でも悪魔相手に勝負するのは相当面白い。笑う悪魔、泣く悪魔、感動する悪魔になってもらおうじゃないかってね。 」
- 「趣味を持っていることが大切なんです。趣味といいますものは、人生の中に、別の小宇宙を持つことでありまして、生き方自体がふくよかで、重層的になります。生き甲斐すら、つかめるんじゃございませんか」
趣味が俳句だった小沢昭一の俳号は変哲である。永六輔は並木橋、吉永小百合は鬼百合、渥美清は風天、田村セツ子はパル子、下重暁子暁子と郭公、岸田今日子は眠女、黒柳徹子は桜蘭、中山千夏は線香、山本直純は笑髭、、、。小沢は「東京やなぎ会」で活躍していた俳人でもある。
- 「そのウンチク、その見方、考え方、さらにその語り方。すべてがそっくり「名人とは何か」の答えになっているのではないか。」(池内紀「「亡き人ヘノレクイエム」(みすず書房)より)
『私の死亡記事』(文藝春秋編)という面白い本を読んだことがある。。ネクロロジー(死亡記事、物故者略伝)では、客観的評価が記されるが、本人が思っていることとは別である。生前に本人に死亡記事を書かせようという前代未聞の企画である。
102人の識者がこの企画に賛同して真面目に、ユーモアたっぷりに書いている。2000年12月に単行本が出て、2004年12月に文庫がとなった時点で6人が故人となっている。小沢昭一は「老衰。99歳」書いていた、実際は83歳だった。「俳句に見るべきものはない。辞世句は、『志ん生に会えると春の黄泉の道」。「『人間は生まれたその日に死ぬべきもの』という持論どおりの死去であった」と書いているが、そうはいかなかった。小沢の希望する死去の日は、2028年4月6日だった。まだ生きていたはずだったのだ。楽しい人だったのだ。