名プロデューサー「蔦重」は希代のネットワーカーだったーー横浜流星とフランキー堺

東京博物館の『蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児』。

蔦屋重三郎(1750-1797年)。7歳、両親と離別。喜多川家(屋号は蔦屋)に養子。23歳、店を構える。25歳、『一目千本』を刊行。26歳、吉原細見『雛の花』。28歳、富本節の正本、稽古本を出版。31歳、黄表紙、往来物を出版。34歳、日本橋通油町に店、実父母を迎える。35歳、山東京伝の戯作を手がける。37歳、狂歌絵本を刊行。39歳、喜多川歌麿狂歌絵本。40歳、恋川春町黄表紙。42歳、「寛政の改革」で身上半減の処分、曲亭馬琴を抱える。43歳、歌麿の美人大首絵を出版。45歳、東洲斎写楽の役者大首絵28枚を一気に観光。十返舎一九が耕書堂の食客。48歳、江戸患い(脚気)で逝去。

江戸後期(安永、天明、寛政)の1772年から1801年に多彩な文化が花開いた。その中心にいたのが蔦重だ。蔦重は黄表紙、洒落本、狂歌本、富本正本、往来物、浮世絵、青本黄表紙、枕絵本、浄瑠璃本などあらゆるジャンルの出版を敢行した名プロデューサーだった。当時の著名人を育て、網羅したネットワーカーだった。以下は、親しかった同時代の人物。

青本(おとぎ話や軍記物のあらすじに絵を添えた娯楽本)。浄瑠璃本(浄瑠璃太夫が語る詞章を記したもの)。黄表紙(絵と文が一体となった庶民向けの娯楽物)。往来物(寺子屋の手習いの教科書)。狂歌(和歌をもとに社会風刺や時事を読み込んだ短歌)

蔦重が亡くなった1797年には、浮世絵の歌川広重歌川国芳が誕生している。蔦重が築いた基礎の上に北斎、馬琴を含め、江戸の町人文化が花開いていく。蔦重が亡くなってから71年後に幕府が瓦解し明治の世が明ける。

俳優フランキー堺(なだいなだの麻生中学の同級生)のライフワークは「写楽」だった。著書『写楽道行』には時折、登場者に語らせる言葉にフランキー堺の思想が垣間見える。歌麿については「絵がずば抜けてうまいということと、人そのものの奥行きとは同じでないことが多い」、「己の腕の上達と、世間での栄達は、これは決して一緒には歩いてくれんものや」、、、。そして10年近く経った1995年に篠田正浩監督が映画『写楽』を撮った。フランキー堺は版元の蔦屋重三郎を演じ、企画総指揮・脚色もつとめている。

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車検完了。

1万歩。

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「名言との対話」6月6日 なだいなだ「とりあえず歩き始めるだけの勇気さえあれば それで十分じゃないか」

なだ いなだ(1929年6月8日 - 2013年6月6日 本名は堀内秀)は、精神科医・作家。享年83。

東京都出身。麻布中では小沢昭一フランキー堺加藤武仲谷昇が同級生だった。

助産師の母の勧めで慶應大学医学部予科に入学。フランス留学し、フランス女性と結婚。1955年、慶應病院医学部神経科に入局、精神科医として勤務するかたわら、文筆活動を行う。医局には麻布中学の2年先輩の北杜夫がいた。

精神科医師としてはアルコール依存症をメインテーマとした。ヨーロッパのアルコール依存症の更生施設を見学し、帰国後は隔離するより社会に開くことで外の空気に触れさせるという新しい方針を持った。7年間つとめた国立療養所久里浜病院では、患者の言葉に耳を傾け、アルコール依存症の治療方法を確立した。それは「久里浜方式」と呼ばれた。

一方で、小説家としては、「海」「神話」「トンネル」「童話」「しおれし花飾りのごとく」「レトルト」と6回芥川賞の候補にのぼるが、とうとう受賞はならなかった。これは最多落選記録である。しかし『娘の学校』は1969年に婦人公論読者賞受賞。1975年に『お医者さん』で毎日出版文化賞受賞。1991年にベストメン賞(日本有職婦人クラブ)を受賞。著書は多く、「なだいなだ全集」全12巻(筑摩書房)がある。1988年から1990年には、明治学院大学国際学部の教授をつとめた。担当は「人間論」だった。

「空気のいいところ」として北鎌倉に土地を見つけ、1990年に家を建てる。「北鎌倉の景観を後世に伝える基金委員会」の代表をつとめた。

「今の日本の老人の不幸は、大学病院の老人専門の医者が、老人ではないことではないか」というなだいなだは、2003年に『老人党宣言』という著書を出し、インターネット上のヴァーチャル政党「老人党」を提唱している。上田哲・立川談志・西丸震哉が賛同、老人党東京を旗揚げし話題になった。

以下、なだいなだの言葉。「日本は強い国ではなく「賢い国」になれ」「重要なのは意志じゃなくて意地なんです」「取り締まる教育でなく見守る教育を」「大人になると質問をしなくなる」

初老期では、今から取り組んでも中途半端に終わるのではないかと思い、大きなテーマに取り組む気持ちが萎えてきてうつ病になる。しかし、それでいいではないかと思えるようになったら、うつ病は治っていくとこの精神科医は言う。

「病と人間」というテーマをユーモアあふれる文章で発信し続けたなだいなだは、「とりあえず主義者」になればいいのだという。これがスペイン語の "nada y nada"(何もなくて、何もない)に由来するペンネームを持つなだいなだの主張である。

NHK「人物」アーカイブでは、「(人々は生きるのに) 今まで ものすごい大きな勇気が必要みたいに 思っていたけど そうではない とりあえず歩き始めるだけの勇気さえあれば それで十分じゃないか」と述べている。

完全でなければ、完遂しなければという強迫観念から脱し、あまり深刻に考えずに、とりあえず前に進むことだ。立ち止まらずに、ゆっくり歩き出そう。それが精神科医・なだいなだのメッセージだ。