海音寺潮五郎の未完のライフワーク。テレポート学校の柳瀬教授の生成AI論。

海音寺潮五郎『悪人列伝 近代編』(文春文庫)。田沼意次については別途書く予定。

海音寺潮五郎は1959年から「武将列伝」と「悪人列伝」を『オール読物』に連載する。100人から200人を想定していたが、武将列伝33人、悪人列伝24人の計57人で終わっている。これを時代順に並べれば日本の歴史になるという構想だった。

絶頂期ともいえる 1969年に引退宣言し、大好きな西郷を描く長編史伝『西郷隆盛』の完成、『武将列伝』、『悪人列伝』に代表される人物列伝の一層の充実、5部作『日本』の完成を目指した。「大長編史伝」の『西郷隆盛』全9巻という長編が絶筆となるのだが、1977年に死去し、全生涯を書くことはかなわなかった。他の作品もいずれも未完成に終わった。代表作のほとんどは未完成に終わっているのが残念な気がする。

歴史上の人物を200人、少なくとも100人を書きたい。それを読めば日本歴史の大体がわかるようにしたい。67歳の時点で武将33人、悪人24人の計57人。命のある間に、この念願を達したい。この本の「あとがき」で、こう述べている。

海音寺潮五郎に向き合う中で、人物列伝に連なる「史伝」というスタイルに関心を持った。考えて見れば、私の「名言との対話」も人物列伝という色合いが強い。書いていながら、ふと歴史を紀行をしている気持ちになることがある。日々書き続けて数千人、あるいは1万人に達した段階で、それを生年順か没年順に並べると、日本現代史、日本近代史、あるいは日本史になる可能性がある。海音寺潮五郎からはヒントをもらった。 

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テレポート学校の柳瀬博一教授の講義から。

  • 生成AIはバカ。LLMは物量作戦。大脳皮質の思考はスロー(1秒10ビット)。感覚系の非大脳皮質は1億倍の処理スピード(10億ビット)。生成AIはこの大脳の処理スピードをアップしているだけ。唯脳的世界。
  • メディアは3層構造。プラットフォーム(印刷、電話、エネルギー、文字、交通、、)、ハード(マスメディア、書籍。新運、ラジオ、テレビ、、)。コンテンツ(人間が主人公。情報を運ぶ。学問、のろし、都市、自動車、交通、、、)・インフラとハードは外部化できた。
  • 「人間とは何か」問題。東京など大都市のオフィスビルはいらない。脳の仕事。生成AIで代替可能な仕事群。資産価値と使用価値。メタの「スケールAI」(25歳)買収は2兆ドル。日鉄のUSスチール買収と同等。しかしオフィスビルは要る。アミューズメント・クリエイティブ・チームビルディング。教育の「教」は生成AI、「育」の場である学校はより重要になる。心身ともに育つ場所。キャンパスみたいなオフィスへ。カラダとココロが一体。ワークがライフより優先の社会から、ライフがワークに優先する時代へ。鎌倉。羽山、熱海、軽井沢、、。リモートハウス。ライフのある場所。どこに住みたいか。
  • スローな脳(大脳)はわずか30万年の歴史。ファースト脳の代替は生成AIごときには無理。
  • 人とリアルに会う仕事は残る。経営、創造的専門職、セラピスト、、。一次情報。カラダとココロが一体。生身。
  • オフィス・キャンパス・アミューズメントの違いは無くなる。行くのが楽しくなる。発表する場所。
  • 文明の正体とは大脳皮質。ボディがゴーストより大事になる。心身合一の仕事が人間の仕事。このために生成AIを使う。脳は身体の奴隷、生成AIは脳の助手。ホワイトカラーの仕事は脳の仕事、生成AIが代替。スポーツ、お茶、お花、料理。すべてがブルーカラー化していく。逆転。ヒューマンの仕事は残る。やるのは人間、それがハッピーに。
  • NHK72時間番で紹介されたAPU1年時の寮生活。1000人、90カ国の共同生活。沖縄のOISTのやり方、家族が暮らす、発表の場、ワークとライフの同じ空間。

ワークとライフをどう考えるか。「ワーク・ライフ・バランス」運動が始まった時、わたしは違和感を覚えた。ワークは重要だがライフの一部だ。「ライフデザイン」という視点で人生を考えようという立場で本を書いてきた。最近の息子の転居、転身などをみていると、ライフがワークに優先する時代を象徴している感じがする。

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ヨガと散髪。

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異郷 西江雅之写真展 – direction Q

「名言との対話」6月14日。西江雅之「新聞の1面を見て、自由という単語が5つあったら、不自由な、自由のない国」

西江雅之(にしえ まさゆき、1937年10月23日 - 2015年6月14日)は、日本の文化人類学者、言語学者。享年77。

東京都出身。小学校時代にはNHKの素人のど自慢に出場し入賞した。日劇で上演された『鐘の鳴る丘』に出演し、「鐘が鳴りますキンコンカン…」を歌っていた。

子ども時代は野外で一日中過ごし、野生の動植物や昆虫を食べていた。猫になりたかった西江は猫的な生活を送り、その身のこなしの軽やかさが早稲田大学高等学院の体操部で活かされた。器械体操の東京地区高校大会では鉄棒で1位を獲得し、全種目総合でチャンピオンとなった。

早稲田大学政経学部3年のとき、早大生たちによるアフリカ大陸縦断隊に参加。意思疎通の必要からスワヒリ語を研究し、日本で最初のスワヒリ語の専門家となる。20代で日本初の「スワヒリ語辞典」を編纂した。

早稲田大学政経学部に学士入学後、文学部英文科を卒業。大学院では芸術学専攻の修士課程を修了した。大学院時代にはライシャワー大使の娘の家庭教師も務めた。その後、フルブライト奨学生として渡米し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院アフリカ研究科で学んだ。40歳までは定職がなかったが、その後、東京外国語大学助教授、早稲田大学文学部教授を歴任した。

東京オリンピック体操競技日本代表候補に選ばれたことが示すように、身体能力も高かった。また、数十の言語を方言も含めて流暢に話すことができた。

人間をこよなく愛するこの天才は世界中を旅していたが、荷物はビニール袋ひとつという軽装で、中には財布、パスポート、読みかけの本、ノートと筆記用具だけだった。「新聞の1面を見て、自由という単語が5つあったら、不自由な、自由のない国」という西江にとって、旅が住み家であった。

「世界は多数、地球は一つ」、「異文化理解とは、諦めと妥協。相手と同じになることではない」と語り、「所詮人間は同じ。笑ったり、泣いたり、怒ったり。あり方がちょっと違うだけ」であるとし、世界には4000から8000の言語があるように多様であっても、やはりみな地球人だという世界観を持っていた。名前は知っていたが、このような奇人であり天才とは知らなかった。興味が尽きない人物である。

 

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GPTー4.1

修正内容のポイントを以下にまとめます。

  1. 表記の統一・訂正

    • 早大高等学院」→「早稲田大学高等学院」と正式名称に直しました。
    • スワヒリ語辞典を編む」→「スワヒリ語辞典を編纂した」と、より正式な表現に変更。
    • 「大学院時代は…」の文章で読みやすさを考慮し文を区切りました。
    • 「チョボチョボ」→「ちょっと」に変更し、口語すぎる表現を敬体に整えました。
    • 「アキラメ」→「諦め」と漢字に改めました(読みも変えず意味をわかりやすく)。
  2. 語句の自然な表現への修正

    • 「肉体能力が高かった」→「身体能力も高かった」など、一般的な言い回しに修正。
    • 「流ちょうに話す」を「流暢に話す」と漢字に統一。
    • 「読みかけの本、ノートと筆記用具だけだった」という箇所、リズムを整えました。
  3. 文法・助詞の修正

    • 助詞の誤用や接続詞の調整を行い、文が自然につながるようにしています(例:「であり」が続いたり、「という西江は旅が住み家であった」などの不自然な接続を改めるなど)。
    • 修士課程の修了について「修了する」→「修了した」に時制を統一。
    • 「定職はなかったが、…助教授、…教授を歴任」について「が」による接続から文の分割。
  4. 読みやすさの工夫・文の区切り

    • 長文を適度に区切り、読みやすく整理。
    • 箇条書き的な情報(経歴など)でも一文が長すぎないよう文末で適宜区切った。
  5. 句読点の調整

    • 読点(、)や句点(。)などを適切に打ち直し、リズムを整えました。
  6. 敬体と常体の整理

    • 基本的に敬体(〜た、〜です)に統一しつつ、説明文としての自然さを保つ表現に修正。

全体としては「伝えたい内容を変えずに、わかりやすく読みやすい文章にする」ことを目的として修正しました。