8月7日の「社会と探究でつながる国語」イベントは「国語でわかったことを探究で、そして社会で働かせる」をテーマに、国語教育の新たな可能性を多角的に探究した画期的な集会となった。教育現場の実践者、産業界の専門家、研究者が一堂に会し、従来の国語教育の枠組みを超えた議論が展開された。登壇者は以下。
長澤元子(北海道函館西高等学校教諭)「地域を大好きになる授業〜街を冷静に愛するための授業」
竹内新(株式会社Prima Pinguino共創部部長)「企業のおこなうコミュニケーション」
戸川貴之(北海道帯広柏葉高等学校教諭)「『本物の評価』を意識した国語科教室~オンラインで世界とつながる」
渡邉久暢(福井県立若狭高等学校校長)「目標・評価から考える単元デザイン」
小山順一朗(日本工学院専門学校顧問)「コンセプト思考法」
首藤久義(千葉大学名誉教授)「何でもありの国語科~役立つものは何でも使う」

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事務局から提示された講演内容のまとめを以下のように加筆修正した。
久恒啓一「図解で国語教育に新風を!」
久恒啓一氏は「図解で国語教育に新風を!」をテーマに発表した。日本航空での20年余のビジネス経験と大学教育の実践を踏まえ、文章中心の従来型コミュニケーションの限界を指摘し、図解思考の重要性とその導入を提唱した。
日本の最大課題は「考える人がいない」ことだと断言。各地で講演を重ねた結果、どこでも「考える人がいない」という同じ悩みを聞いたという。文章と箇条書きによるコミュニケーションでは、全体の構造と部分同士の関係が見えず、効率が悪く間違いが多発するとする。
文章の最大の問題は「ごまかしがきく」ことで、書き手も読み手も分からないことを分かったふりをしてしまう。講演やセミナーの受講者に「ごまかしたことがない人はますか」を問いかけても誰も手が上がらない現実を示した。また箇条書きはそれぞれの項目の大小、重なり、関係が不明の整理法であると断罪。「文章至上主義と箇条書き信仰」が、現場でのトラブルの原因だと指摘した。
図解の利点として①全体構造が見える②部分同士の関係が分かる③頭脳に残る④表現できるようになるまで理解が深まる、の4点を挙げた。江戸幕府の成立を例に、従来の文章による歴史教育を受けただけでは、自分で説明できないが、図解により幕藩体制の構造を図解するなかで、図解がなくても説明できるようになる深い理解につながると説明した。
「考える」とは「理解・疑問・反論」と整理することで、これは図解でしか実現できないと主張。かつて山梨県の校長研修会で500人の前でこの理論を発表した際、予想に反して全員が真剣にメモを取り、アンケートでも賛同が多かったと指摘した。
文章は内容と表現の積であるという氏は、日本の代表的文章読本(谷崎潤一郎、清水幾太郎、木下是雄、本多勝一、野口悠紀雄)を図解分析した結果、表現の技術論ばかりで「内容をどう作るか」への答えがないことを発見した。唯一メッセージの大切さを説いた野口悠紀雄だが、それをつくるには「考え抜くしかない」と主張しているとし、それは「何も言っていないと同じではないか」と批判的に評価した。
図解文章法の実践として、大学でもゼミ生の卒業論文・修士論文指導で1週間前に全員完成させる実績を紹介。図解で内容を整理してから文章化する「図解文章法」を活用すれば、論理的で、かつ勢いのある文章が書けると説明した。そして文章を図解する、図解を文章にする、「文図の往復運動」が考える力を鍛えるとした。
最近国語教育で取り上げられている「論理国語」への提言として、社会に出ると論理で仕事をすることになるから、論理を鍛える図解思考を重視すべきと主張。子どもたちに図解を教えれば楽しんで取り組み、理解する、考える、表現する、そういった能力が総合的に向上するという。基盤科目である国語は、図解コミュニケション学習の導入により劇的改善が期待できると結論付けた。
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午前:胃がん検診。
夜
・デメケンミーティング
・「革命」編集会議
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「名言との対話」8月11日。両角良彦 「行動人として思索し、思索人として行動せよ」
両角良彦(もろずみ よしひこ、1919年10月4日 - 2017年8月11日)は、日本の官僚であり、通商産業事務次官、ナポレオン研究家である。享年97。
1941年、商工省に入省。1971年、第3次佐藤内閣で通産事務次官に就任。1975年から1983年5月まで電源開発総裁を務めた。「(経済)統制は必ず自己増殖を遂げ、手に負えなくなる怪物である」と語った両角は、城山三郎の小説『官僚たちの夏』に「西洋カミソリ」のあだ名で登場している。
その仕事師としての有能さには疑いがないが、一方で個人としては英雄ナポレオンの研究者であった点が特筆される。激務をこなしながらコツコツとライフワークにも没頭したところに、私は尊敬と共感を覚える。
1981年に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した『1812年の雪―モスクワからの敗走』(筑摩書房、1980年。のち講談社文庫、朝日選書)を皮切りに、『東方の夢―ボナパルト、エジプトへ征く』(講談社、1982年。のち文庫、朝日選書)、『セント・ヘレナ抄―ナポレオン遠島始末』(講談社、1985年。のち朝日選書)、『反ナポレオン考』(朝日選書、1991年)と、ナポレオン四部作を上梓している。
今回、私はそのうちの『反ナポレオン考』を手に取った。アレクサンドロス大王やカエサルと並ぶ人類史上突出した天才ナポレオンは、複雑な知識人でもあった。その人間像を立体的に描いた労作である。「有能と有徳ははっきりと別物である」と断ずる両角は、ナポレオンを「エゴセントリズム(自己中心)」「異常心理(無感動)」「病的症候群(数々の持病)」と分析し、心身の変調が自己肥大、巨大願望へと進み、ついには狂気を帯びるに至ったとしている。
第一執政ナポレオンが1800年にモロウ将軍に宛てた書簡で述べた「偉大さが輝きを放つのは回想においてか、想像においてのみである」という言葉は、そのままナポレオン自身にも当てはまる。確かに、才人を立派な人間だと思い込むことは危険だ。両角良彦は、ライフワークであるナポレオン研究から得たこの教訓を胸に、他人を見、そして自分を省みながら日本経済の舵取りに当たったに違いない。
官僚と文人の“二刀流”であった両角良彦の座右の銘は「行動人として思索し、思索人として行動せよ」である。理性と行動が相互にフィードバックするところにこそ、人間本来の面目があるという考えだ。徳富蘆花は「人間は書物のみでは悪魔に、労働のみでは獣になる」という凄みのある言葉を残している。人間は悪魔と獣との間にあり、肉体と精神のバランスを取るべきなのだ。文献と体験、書物とフィールドワークという言い方もできる。それは、私が三十代の頃に目指した「知的実務家」のことである。
