白井さゆり「日本の企業の環境・社会・コーポレートガバナンス(ESG)経営と課題」

文庫リレー塾の第2回。白井さゆり「日本の企業の環境・社会・コーポレートガバナンス(ESG)経営と課題」

寺島:ワシントン、欧州、日銀の経験のある、根拠のある議論をする貴重な本物のエコノミスト。17色のSDGSバッジ。整合性が重要。キレイごとではなく、本気のリアリィを。5月23日はなかにしれい。途方もない転換期。地頭で考える力。日本埋没・解題解決力。

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白井さゆり先生の講義。1時間半。

欧州の投資家との仕事、日本での社外取締役としての企業側からの視点、政府関係者との議論など、中立的立場で全体が見えている。

ESG投資とは、年金、保険などの長期投資家 が「エンゲージメント」する。それは企業の変化をめざす目的のある対話だ。ウイグルなど権の問題はESGと人権がぶつかる現場。日本はこういう問題にうとかった。

ESG投資はビジネスモデルを根底から変える。年金、保険などの投資総額は9000兆円(2018年)。ESG投資(環境・社会・ガバナンス)。ネガティブスクリーニング(武器、煙草、)、インパクト投資(ひとつの問題、)とは違う。サスティナブル投資の中にある?

日本の金融資産は銀行53%、保険21%、年金16%。保険と年金が長期的視点で投資する本丸のプレイヤー。59%を占めている株式で資金調達している。

コストがかかる、社内改革が必要なので、コーポレートガバナンスがしっかりしていないと環境・社会の経営改革はできない。

2012年までの日本企業は資本コスト(投資家が期待する利益率)が6-8%なのに自己資本利益率ROE。稼ぐ力)は5%しかなかった。米国は20%弱、欧州は10%前後。日本は守りの姿勢が原因で稼ぐ力が弱かった。2013-2018年にはオリンピック特需もありROEは8-10%になっているが、米国は25%だ。

2015年にはコーポレートガバナンスコードが決定された。金融庁証券取引所が上場企業を対象に遵守してくださいというソフトローだ。5原則:1少数株主、外国人株主の権利確保。2:ステークホルダーとの協働、3:有用性の高い情報開示、4:収益力、資本効率の改善のために戦略の方向性、適切なリスクていくが必要。そのために経営陣や取締役会に対する実効性の高い監視が必要。社外取締役の役割が重要。5:株主との建設的な対話(エンゲージメント)で持続的成長、企業価値の向上を。

コーポレートガバナンスコード:2014年の伊藤レポートは日本再興戦略に入った。2015年にコーポレートガバナンスコード(3年ごとに改定)が決まる。2018年、社外取締役2名以上、指名委員会での社長の選任と解雇、ESGに言及。2021年6月、自主的測定可能な目標の設定(ジェンダー指標120位。女性管理職の登用など)、東証1部上場企業2000社から「プライム市場」を選ぶ。その条件は社外取締役3分の1以上、英語での情報開示、TCFD(気候変動に関する情報開示)、人権の尊重など。

今から必要なことは、内向きからの脱却、環境・社会意識の高まりへの理解、投資・研究開発などのリスクていく、ビジネスモデルの再考(短期にはコスト高、中長期の手を打つ)。課題は監視機能が不十分なことだ。カギは女性だ。独立取締役も含め発言力を高める必要がある。

環境を中心とした経営改革が求められている。コロナで貧困者が増えており2030年の達成は難しくなってきた。投資家の目線と同人消費者の意識も大事だ。進んでいる欧州が米国に影響を与えている。2019年、株主市場主義からステークホルダー至上主義へ。2020年、ダボス会議で気候変動に言及。中長期の価値を最大化すべきという株主が増加・株主の利益は従業員、社会、業績、サービスのバランスの上に成り立っている。この意識は日本でも急速に高まりつつある。企業はESGを重視するESG経営、投資家は中長期リターン重視するESG投資。

2000年、国連のグローバルコンパクト。10の企業の行動原則。160ヵ国の1万社以上がサイン、日本は383社。2006年、責任投資原則(PRT)を導入。金融セクターにESG投資を提言。2020年末で60ヵ国以上の3000社以上(103.4兆ドル)がサイン。日本は2015年GPIF(年金)が加盟。2015年の国連サミットで2030年までの17のSDGSを採択し、195ヵ国が採択。環境と社会は、SDGSの6-9、11-15。

 環境:2015年、気候変動枠組条約締結国会議COP21。2016年、パリ協定で2030年までのSDGS 。175ヵ国が署名。産業革命以後温暖化が進んでいる。22世紀が始まるまでに2度Cを十分下回るか、1.5度Cの上昇に抑える。すでに1.2度上昇。さもなければ住めなくなる地域が増えてしまう。ESG投資で資金を投入する必要がある。カーボンニュートラル(ネットでゼロ)にするには石炭をゼロ、再生エネを50%以上、太陽光、風力、EV、水素、、。イノベーションが必要だ。2017年、金融安定理事会(FSB)がTCD提言。気候関連財務情報開示のタスクフォース。今年COP26。2210年、英国は開示を義務付けた。
CO2排出量:1990年対比で、イギリス▲46%?、ドイツ▲31.3%、EU▲22.5%、フランス▲18.9%。日本は▲2.8%。アメリカ∔3.7%、カナダ∔20.9%、もう石炭は無理。

環境イノベーション:炭素の回収と再利用のイノベーション(カーボンリサイクル、、)。アンモニア、水素、バイオ、EV、FCV(燃電池車)、航空機、、。

揮毫の行動と情報開示への期待:3つのスコープ。自社、間接(電力など(、サプライヤーサプライヤーに目となると、広く海外にも。トレーサビリティ、コストの上昇。コバルト(コンゴ、搾取、)、パームオイル(児童虐待、搾取、)。認証NGOなどからの情報公開ランキング、訴訟リスクあり。RE100(再生エネルギー)への加盟で2050年までに事業活動で必要なエネルギーを100%再生エネルギーに。アップルは2030年にRE100を達成(サプライヤーも、村田製作所も)。設備投資の決定に際し、インターナルカーボンプライシングの導入。機械が生み出す排出量はライフサイクルで選ぶ。生産、消費、廃棄の川上から川下にいたるライフサイクルでの評価になってきた。炭素価格の上昇、炭素税、、。すべての企業に影響がでてくる。

TCFD提言:投資家の判断。ガバナンス(サステ委員会、担当取締役の任命、取締役会の責務)。戦略(3年短期、10年中期、50年長期。気候変動のリスクとチャンスが戦略、財務の与える影響を説明)、リスク管理(機構変動リスクの識別、評価、管理のプロセスを説明。・リスクにどう対応するか)。指標と目標(リスクと機会の評価。指標の開示。排出量の開示と目標。プライム市場から広がっていく)。

サプライヤーの排出量:流通小売り、ホスピタリティ、製造、食品。サービス、バイオ、ヘルスケは大変。

グリーンウオッシュの回避:日本は発電のCO2(4割)をどう減らすか。化石燃料への依存度は75%。石炭のコストが安いから。電力料金の値上げが必要になる。

国境炭素税で調整するメカニズム。日本は2030年代半ばには新車はEVのみ(ハイブリッドを含む)という目標。

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朝は1時間のヨガ。

午後:NPO法人関係のZOOMミーティング

来週の図解塾の課外授業「遅咲き」の準備

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「名言との対話」5月15日。瀬戸内寂聴「愛し、書き、祈った」

瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう、1922年大正11年〉5月15日 - )は、日本の小説家天台宗尼僧。俗名晴美

東京女子大学国語専攻部卒業。代表作には『夏の終り』や『花に問え』『場所』など多数。新潮同人雑誌賞女流文学賞谷崎潤一郎賞野間文芸賞などを受賞している。1997年文化功労者2006年文化勲章。 

本日99歳になり、2022年5月15日には100歳の誕生日を迎えることになる。

『寂聴 九十七歳の遺言』(朝日選書)を読んだ。500冊近くの本を刊行している。89歳のインタビューを聞いていたら、作品は、「300か、400近いわね」と言っていたから、この10年で100から200冊になっている。怒涛の仕事量だ。どこまで積み上がっていくのだろうか。見ものである。

「百冊の本を読むよりも、一度の真剣な恋愛の方が、はるかに人間の心を、人生を豊かにします」「4歳年下の作家、井上光晴と8年間の不倫。43歳から51歳まで。出家する。生きながら死ぬj事。娘の井上荒野(あれの)の方がずっと才能があります」。(荒野は「切羽へ」での直木賞をとっている作家だ。出家は、4つ年下の井上光晴との関係の清算が動機だったという説がある。5月15日は意井上光晴生まれた日であるが、実は寂聴の誕生日でもある。二人は同日生まれだ。これも小説的だ)。「男は代えれば代えるるほど悪くなる」「何が一番嬉しいかと考えたら、やはり自分の本が世にでることなんです」「発見する。もっと違うことが書けるかもしれない」「私なんか、ではなく、私こそ」「百歳近くになってもやはり人間は変わる」「書くことが生きること」。

  日本経済新聞に毎週連載していた「奇縁まんだら」という読み物があった。瀬戸内寂聴の筆になる著名作家たちとの交友録で、意外で面白い人間的なエピソードが込められており、読むのを楽しみにしていた。この好評連載が一冊の本になっている。
21人の登場人物のうち一人を除いて全員が寂聴よりも年上でそれぞれが文壇の大家たちだ。1872年生まれの島崎藤村から1923年生まれの遠藤周作までである。順番に並べてみると、島崎藤村正宗白鳥川端康成三島由紀夫谷崎潤一郎佐藤春夫舟橋聖一丹羽文雄稲垣足穂宇野千代今東光松本清張河盛好蔵荒畑寒村岡本太郎壇一雄平林たい子平野謙遠藤周作水上勉。それぞれが一家をなす歴史的人物といってもよい人たちだ。
1922年生まれだから当時86歳の寂聴は、長かった茫々の歳月で愉しかったことは人との出逢いとおびただしい縁だったと述懐している。長く生きた余徳は、それらの人々の生の肉声を聞き、かざらない表情をじかに見たことだたっという。先にあげた作家たちにこの言葉を当てはめるとそれは愉しい人生だっただろと深く納得する。
寂聴は、毎回それぞれの人物の業績、その人と自分との縁、創作の秘密、そして自分の人生行路を重ね合わせながらユーモアたっぷりに健筆をふるっている。また女流作家でもあり、美男の作家たちの容姿をややミーハー的に活写したり、女流作家についても赤裸々にその行状を書くなど、またそれぞれの運命的な、あるいは濃密な男女関係をあたたかい目で観察していて、読んでいて豊かな気分にさせてくれる。たとえば「惚れ惚れするような美男ぶりであった。鼻筋が通って、、、、、白鶴のような、すがすがしい姿であった。そこだけ涼しい風が吹いているよに見えた」は島崎藤村の描写である。「小説家というより、現役の女優のように見えた。、、まわりには虹色のオーラが輝き、どの作家たちよりも美しく存在感があった」、豊かな恋愛体験の中でどなたが一番お好きでしたかという問いに、「尾崎士郎!、二番目も、三番目も四番目も尾崎士郎!」と言ったのは、宇野千代だ。
これほどの人たちとの親交がなぜできたのだろうか。人懐っこい性格、機敏な駆動力、世話好き、そして本人の言うように美人でないことが警戒心を解き、幸いしたのだろう。また初対面の人には手相を観ることで一気に相手の懐に飛び込んでいくという若いころからの手練も中で明らかにしている。
寂聴は、娘時代に藤村を見て小説家を志し、28歳で小説家になることを決心し、35歳で最初の小さな賞をもらっている。それぞれの節目には必ず、この本であげた作家たちとの縁がある。
寂聴は、大作家たちとの交友、旅行などを楽しみながら、同業の先輩たちの創作の方法や秘密を鋭く観察している。松本清張の講演の見事さは口述筆記の訓練によるものだった。舟橋聖一は63歳で書いた「好きな女の胸飾り」以降、すべての作品は、口述筆記になった。岡本かの子の作品は、夫の一平や同居者の手が入っている。その子の岡本太郎は、書斎を獣のように歩き廻りながら言葉を発し、養女の敏子がペンで口述筆記し、できあがった作品は敏子の名文で整えられ、わかり易く、高尚になっていく。それは合作といってよかったと書いている。そして絵もこの敏子との合作だった様子がわかる。これは岡本家の芸術造りの方法だったという観察である。
51歳で出家のお願いに行ったときの今東光とのやりとりもすさまじい。「頭はどうする?」「剃ります」「下半身はどうする?」「断ちます」それだけであった。
今東光からもらった寂聴という法名は「出離者は寂なるか梵音(ぼんのん)を聴く」という意味だそうだ。
寂聴の書くものは、常に人物がその対象になっているようだ。興味ある人物を調べ、取材し、それを評伝という客観的な形ではなく、作者の想像と創造が許される小説という形式に仕上げていく。これが瀬戸内寂聴の小説造りの方法だということもわかった。
自分を中心に縁のあった大きな人物たちが幾重にも取り囲んでいる姿が寂聴の頭の中にあり、それは「まんだら」であり、この本のタイトルとなった。この本を読み切ったあとに感じるのは「奇縁まんだら」というタイトルそのものの内容であるということだ。横尾忠則の人物絵も楽しめる。
「続」は、2008年の1月12日から12月28日にわたって連載されたエッセイをまとめたものだ。前作は、島崎藤村川端康成、三島由起夫、谷崎潤一郎宇野千代松本清張遠藤周作、、と絢爛豪華だったが、「続」は時代が少し下がっていて、そういう意味では馴染みがある作家たちが並んでいる。寂聴より年上の人が多いが、年下もいる。そして全員がすでに鬼籍に入っている。その人たちを米寿を迎えた寂聴が愛情を持って描いて赤裸々に描いている。

各人の紹介では、必ず生年と没年と、享年が書かれている。また本文でも寂聴との上下の年齢差が記してあり、寂聴の立ち位置がわかる。また、それぞれの前作で異常な人気を博した横尾忠則肖像画に加え、墓の写真と霊園の名前と場所が記されているなど、編集の統一がとれている。

この本は人物論の一種であるが、書き出しもうまい。

「正月になると思いだす人がいる。菊田一夫さんである」「開高健さんは、親しくなった頃からすでに肥っていた」「城夏子--何だか宝塚のスターのようなロマンチックで、オトメチックな名を覚えたのは早かった」「柴田錬三郎さんは誰もフルネームで呼ぶ人はいなかった。「しシバレン」で天下に通っていた」「江国さんは、、、、。ほとんど笑顔など見せないので、老成した感じがした」 (江国先生とは、私のビジネスマン時代に何度かお会いしている。ある雰囲気のいい料理屋で見事な手品を見せてもらったことを思い出した)「黒岩さんはハンサムだった」「島尾敏雄さんはハンサムだった」「一度何した女とは別れたあとも、旅の度土産物を届けることにしている」のは、菊田一夫。「残寒やこの俺がこの俺が癌」「おい癌め 酌み交わさうぜ秋の酒」と詠んだのは、江国滋。「ゆく春や身に幸せの割烹着」「蛍火や女の道をふみはづし」と詠んだのは、鈴木真砂女。「私と瀬戸内さんは男の趣味が同じなのね。、、」続いてCの話をして、Cに目下一番興味があると言った。その時、私はCとはそういう関係だったので、思いがけない不快さを感じた、と寂聴に書かせた大庭みな子。
「あんたのようなわがままな人と長くつきあえる人間はおれくらいのもんだ」と威張ったが、私の側にも言わせてもえらえば、同じ言葉になる。と寂聴に書かせた井上光晴

88年の歳月を必死に生きて、小説を書いて、多くの作家たちと交流した寂聴の自伝でもあり、文壇史でもある正と続のこの本は、人物論としても、文壇外史としても、一級のエンターテイメント性を備えている。多作な寂聴ではあるが、これは代表作として後世にも読まれ続ける息の長い本となるだろう。

25歳、娘を残し家出する。瀬戸内寂聴句集『ひとり』には、「子を捨てしわれに母の日喪のごとく」というすさまじい句がある。「人が生きるということは、命と同時にその人にのみに授けられた才能の芽を心をこめて育て、大輪の花を咲かせることにつきると思います」「人間って守りに入った瞬間から年をとるんじゃないかしら」などの名言もある。

 岩手に用意してある墓には 「愛し、書き、祈った」と刻まれている。寂聴の長い波乱の生涯は、この短い一言に尽きているのだろう。来年には100歳になる寂聴には改めて注目したい。

寂聴 九十七歳の遺言 (朝日新書)

寂聴 九十七歳の遺言 (朝日新書)

 

 

奇縁まんだら

奇縁まんだら

  • 作者:瀬戸内 寂聴
  • 発売日: 2008/04/16
  • メディア: ハードカバー
 

 

 

 

 

 

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NHKアーカイブス「ラジオ深夜便」のインタビュー。ーー武田鉄矢、石坂浩二、浅田次郎

NHKラジオアーカイブスで、NHKラジオ深夜便のインタビュー番組を楽しんでいます。それぞれ40分くらいの長さであり、移動中に聴くのはちょうどいい感じです。

今日は、武田鉄矢「終活よりも学びを」、石坂浩二「わたしがわたしでいられる理由」、浅田次郎「書くことは至福」を楽しみました。

武田鉄矢内田樹に心酔しているようで、「学ぶ姿勢にあるとき、日本人は最強である」との言葉を紹介しています。『老いと学びの極意』も勧めています。その影響で合氣道もやっている。

石坂浩二は日常を楽しむ名人でいつまでも若いという印象。

浅田次郎自衛隊に就職した理由や、自分は作家になれるという自信を持ちながら40歳まで落選し続けた日々のことも面白く聴きました。

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午前:NPOの今後についての連絡。明日にZOOMでミーティング。

 昼:永山にて橘川さんとの定例の昼食。面白い案件あり。

 15時:立川のけやき出版のBALLハブ(デュオ3階)で小崎社長と木村さんとミーティング。雑誌「BALL」で連載中の、多摩の企業の経営理念を図解しながらアドバイスをする役割です。

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 16時半:立川:体の手入れ。

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「名言との対話」5月14日。矢澤領一「お客様に幅広い娯楽雑誌を提供し、明日への活力源としていただく」

矢澤領一(やざわ りょういち 1912年5月14日〜?)は経営者。

岐阜市の米穀商の矢澤領一が兄弟3人で、戦後の出版ブームに乗って「大衆娯楽の殿堂」をモットーに、1948年大横綱だった双葉山に由来した双葉社を1948年に設立し、『花形講談』『読切傑作集』『傑作倶楽部』『小説の泉』『大衆小説』『剣豪列伝集』など、大衆読物雑誌を続々と創刊した。

1952年から1953年にかけて、本社を岐阜市から東京都へ移転。1958年創刊の『週刊大衆』は色と欲とスキャンダル路線を採用し大衆の支持を得たて、双葉社は雑誌、漫画から文芸、実用、趣味、社会問題、宗教など、広汎なジャンルをカバーする書籍まで様々な分野を取り揃える総合出版社となっている。

1967年創刊の週刊漫画雑誌『漫画アクション』は、劇画路線をとる青年漫画誌のパイオニアとなった。ここでは『ルパン三世』(モンキー・パンチ)、『子連れ狼』(小池一夫 / 小島剛夕)、『博多っ子純情』(長谷川法世)、『じゃりン子チエ』(はるき悦巳)、『くるくるパーティー』(いしいひさいち)、『かりあげクン』(植田まさし)、『クレヨンしんちゃん』(臼井儀人)などの国民的ヒット作を連発した。2000年代後半からは『モリのアサガオ』(郷田マモラ)や『鈴木先生』(武富健治)、『星守る犬』(村上たかし)、『この世界の片隅に』(こうの史代)、『orange』(高野苺)といった話題作をコンスタントに送り出している。

1973年1月に『小説推理』を創刊し、同誌が主催する小説推理新人賞は、大沢在昌を生んでいる。

1987年から家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータファミコン)の攻略本を手がけるようになり、1980年代のファミコン全盛期には「ファミコン冒険ゲームブック」を刊行、1990年代には雑誌『ファミコン4コマ王国』を創刊し「4コマまんが王国」シリーズを刊行、2000年代には「4コマKINGDOM」シリーズを刊行するなど、数多くのゲーム系の書籍を刊行している。こうした経緯から攻略本からアンソロジーに至るゲーム系書籍全般に強みがあった。この流れからパチンコの攻略本を出すようになり、『パチンコ攻略マガジン』の創刊に繋がった。

書籍では、『週刊大衆』で1969年から連載された阿佐田哲也の『麻雀放浪記』の単行本がベストセラーとなる。1984年には『漫画アクション』連載の関川夏央のノンフィクション『海峡を越えたホームラン』が第7回講談社ノンフィクション賞を受賞。ポケットベルと携帯電話の着信メロディを扱った書籍は、1998年に大ヒットした『ケータイ着メロ♪ドレミBOOK』を筆頭に、2001年までに累計で600万部を達成した。2001年頃から沖縄関連の書籍を相次いで刊行した。2000年代には佐伯泰英の『居眠り磐音 江戸双紙』シリーズや、湊かなえの『告白』がベストセラーとなっている。2015年から始まった『京都寺町三条のホームズ』シリーズや、2016年の『君の膵臓をたべたい』(住野よる)もヒット作となった。2014年にはモンスター文庫を創刊、ライトノベルに参入している。

矢澤領一については資料が乏しく簡単な伝記も書くこともできないが、以上のような双葉社の快進撃をみれば、その仕事ぶりが想像できる。現在の双葉社のホームページには「情報産業の一翼を担う出版は時代より半歩進んだ先見性が求められる」という時代観と、「新機軸に挑み、新しい才能の発掘にも努めている」との自社の役割が記されている。創業のモットーは、「お客様に幅広い娯楽雑誌を提供し、明日への活力源としていただく」ことであり、その創業の精神は健在のようだ。矢澤領一については資料を探してみたい。

 

 

 

 

 

ダブリでショック! キンドルで読む。アイフォンで聴く。ズームで語り合う。

5月13日の「名言との対話」を書くために、高平哲郎由利徹が行く』(白水社)を読み終えました。ところが、由利徹について数年前にすでに書いていることが、書き始めた直後に判明してショック。気をとり直して他の人を探し、なんとか「カイワレダイコンの父」と呼ばれる前田瀧郎という農業技術者を発見しました。こういう形で人物を発見するのも楽しいことです。 

由利徹が行く

由利徹が行く

  • 作者:高平 哲郎
  • 発売日: 1996/07/01
  • メディア: 単行本
 

 

  • キンドル:『おしえてせんせーいコロナワクチンについて』(高橋徳)を読む。

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「名言との対話」5月13日。前田瀧郎「カイワレダイコン」

前田瀧郎(まえだ たきろう 1929年5月13日〜)は、農業技術者。

前田瀧郎は「カイワレダイコンの父」と呼ばれている。カイワレダイコンとは、大根の発芽直後の胚軸と子葉を食用とするスプラウト食材だ。スプラウトとは、主に穀類、豆類、野菜の種子を人為的に発芽させた新芽のことで、発芽した芽と茎を食用となる。大根の発芽直後の胚軸と子葉を食用とする発芽野菜で、生のままサラダや丼物の彩りとして用いられることが多いので馴染みがある。

福岡市能古島に住む前田瀧郎が現在の水耕栽培方式によるカイワレダイコンの大量生産システムを考案した。海砂を使用した栽培方法で量産体制を作り、 日本に広まった。能古島の特産のあさりの貝殻海砂水耕栽培を組み合わせて貝割れ大根の大量生産を可能にした。貝割れ大根そのものは、平安時代の頃から食されていた伝統的な食品だが、砂地に大量の大根の種を蒔き、絹糸のように美しく旨い貝割れ大根を世に出したのだ。貝を割り、砂に混ぜて育てた所から、 「貝割れ大根」と名づけた。ピリリとした爽やかな風味は、和風にも洋風にも利用出来る栄養価の高い野菜である。

1986年の9月に日本かいわれ協会(現 日本スプラウト協会)が9月18日を、無農薬の健康野菜である貝割大根にもっと親しんでもらおうと「かいわれ大根の日」に決めていることかわわかるように便利な食材として親しまれている。わが家でも手巻き寿司のときなど、よく使う。

ところが1996年7月13日、大阪府堺市で学校給食へのO-157汚染による食中毒事件があった。厚生省による疫学原因調査でカイワレダイコンが感染源の可能性が高いと報道され風評被害で壊滅的打撃を受けた。このとき当時の菅直人厚生大臣が安全さを消費者へアピールする目的でカイワレを食べる姿が報道された。この映像は全国に何度も流れたから、私も記憶している。風評被害を克服して、今では多くの人がこの野菜を食している。

前田瀧郎は、「芽吹きピーナツ」(ピーナツもやし)も開発している。ピーナッツの種から発芽させた新野菜だ。

2006年の夏、博多湾に浮かぶ能古島を訪ねたことがある。そのとき、「檀一雄の家」という案内板を偶然見かけて興味を抱いて見に行った。山の中腹にある一軒の廃屋がそれだった。この家の庭からは、船着場と博多湾を挟んだ対岸の百地の海岸の建物が遠望できて気持ちがいい。その時、こういうところに別荘でも持つと幸せだろうなあと思った。檀一雄が晩年を過ごすために購入した家屋だ。食いしんぼうの檀一雄が能古に素晴らしい野菜があると言って自慢していたのが、貝割れ大根だった。檀一雄は1974年に能古島に移住している。その家屋の世話をしたのが、能古島で農業を営む前田瀧郎だと息子の檀太郎が回想している。

前田瀧郎は「カイワレダイコンの父」と呼ばれただけでなく、「かいわれ大根の日」も設定されている。こういう形で仕事が残るというのは素晴らしいことだ。

 

 

 

 

図解塾二期⑨のテーマは「図解文章法」の2回目。

図解塾二期⑨のテーマは「図解文章法」の2回目。 

  •  本日もありがとうございました。お疲れ様でした。とてもアタマを使った気がします。まだ、「わたしの文章法」、かけてませんので、資料をみながら、まとめられたらいいなとおもいます。〆切ないので、ゆっくり取り組みたいと思います。いろいろな材料→図解→自分の考え、メッセージ、伝えたいことの明確化→文章→図解→文章、、、、繰り返すと文章がかけそうなきがします。読み手に分かってもらえる、伝わる文章を書けるようになれると嬉しいです。課題が2つということですね。大変そうですが、取り組めるといいなと思います。また次回よろしくお願いいたします。
  • 回も頭の柔軟体操ができました。ありがとうござ,いました。今回、最も驚いたのは、久恒先生が作った文章読本の図解を見て「私の文章法を文章で書いてみましょう。」ということでした。思ったとおりに文章を書くことでさえ悪戦苦闘する私にとっては、「そんなこと私なんかが書いていいの?」って思いました。でも、先生の図解はわかりやすいので、キーワードをいくつかつないでいくと、 何となく「私の文章法」の骨格部分があらわれました。それで、あとは肉付けをどうするか、具体的にどう考えるのかをどんどん書き足していけば仕上げられそうです。これを書き終えたら、今度はその文章法に沿って何か文章を書いてみようと思います。そして、職業病である「箇条書き」文章から脱出して、思ったことを素直に文字にする、気軽に文章でアウトプットができればうれしいです。(久恒先生、文章作成と図解作成を繰り返すことで、思考も少しずつまとまっていくんですよね?)
  • 本日もありがとうございました。いつもながら、非常に勉強になりました。最初の、「GW中にやったこと」もそれぞれの方からとても多くの刺激を受けました。「みんなで小説を書くプロジェクト」とか、「人生鳥瞰図を基にプレゼンをした」とか「VRによるアカデミアキャンプ」などなど・・・・前半では、図解を基に文章化するのは非常にやりやすいということを実感しました。「レイチェル・カーソンの人生鳥瞰図」を文章にしましたが、1時間ちょっとでできました。ただ、文章の骨格を作るところから、読んでもらえる文章にするにはある程度の工夫が必要ですね。そしてそこにどのようにオリジナリティを入れていくか。後半の「私の文章法」の演習は、5人の文章法のまとめと梅棹先生の文章のつくりかたの図解が非常に分かりやすく参考になりました。特に梅棹先生のは、たたんで本にはさんでおいて随時参考にしようと思います。「私の文章法」を書くという課題で、最初に簡単な図を描いたらすぐに文章を書き始められました。「今までの文章法の本の多くは技術的なことにとどまっている。」という言葉通り、重要なのはやはりコンテンツをどう見つけるか、だなと思いました。コンテンツを見出すために図解とは少し離れますが、日々、「?」と「!」(問いと気付き・感動)およびそれをメモする癖(梅棹先生のいう「ウイルソン霧箱」)を身に付けたいと思います。なお、「月刊高校教育」という雑誌の最新号の書評欄に「文部科学省」(中公新書)の書評を載せました。この文の骨子作成も図解塾での学びが大いに役立っています。いずれ、いろいろな本を図解してみたいと思います。
  • 久恒先生、皆様、本日もありがとうございました。本日取り組んだ、「図の文章化」での気付きを記します。「ポンチ絵」です。「ポンチ」とは「punch」であり、いわゆる漫画の様な単純な絵の事を指します。機械系技術者の私は、新入社員の頃よく先輩からしごかれ、これを描くトレーニングに励みました。「○○が壊れた、どこが?どのように?なんで?」その現象がよくわかる角度で、大きさで正確に書きます。当時は書いたレポートが何回もCopy~配布されるので、かすれない様に1本の線で強く濃く書く。だからデッサンとは全く違います。時間も限られていますから、余計な部分は書かない(書けない)。一方最近では、デジカメ写真を張り付けたe-mailを送れば済む世の中です、一見超便利。ですが、却ってこれが「伝わらない」事が多いのです。伝える必要のない周辺の情報までが同時に伝わるので、どこが問題なのかが曖昧になってしまう。おまけに写し方が下手だと何も伝わらないという、なんともお粗末な話。あるとき現場で、見かねて同じ部分をポンチ絵にして、それを使ってもらったら一発で現象が伝わり、遠く離れた別部隊で早速対策が打てた。という笑い話のような経験をしたことがあります。気付きとは「図解」と、今申し上げた「ポンチ絵」が同じ意味合いであり、何を伝えたいかが不明確曖昧だと、たとえ自分の図であっても、今回の「文章に起こす」とか次のプロセスで曖昧になってしまう。そういう凄味があるのだというのが本日の気付きでした。今後の課題も怒涛の勢いで増加傾向か?ドキドキしていますが、何とか乗り切りモノにしたいと思います。次回も宜しくお願い致します。
  • 今夜もありがとうございました。文章でのアウトプットにおいて、頭のどこかで思考と記録の渋滞が起きているような気がして近頃は消化不良が続いていたのですが、、その解決のヒントを垣間見た気がします。(図解という方法を知ったから尚更なのかもしれません)。今回特に納得したポイント。文章法の本は毎年出ているが、文章を書くのが上手くなった人はいない。文章=内容×表現。表現の方法については論じられているが、内容を産む(気付く)、まとめる方法は論じられていない。課題の「私の文章法」、書けるかどうか不安になりますが、今の自分が考える文章法を記すことで次の一歩になるのかな、と思いました。
  • 今日は途中までの参加となってしまい、申し訳ありませんでした。図解を文章にするのは、また別の頭を使っている感じがして、とても面白かったです。図解には骨子しかないから、それを文章にするには肉をつけて皮膚をはって化粧までして、ということを考えるといいんだよ、というアドバイスがとても腑に落ちました。これからも精進します。引き続きよろしくお願いします!
  • 本日はありがとうございました。自由なオリジナル文章法で良いとのことで、勇気づけられました。また、内容ができている(Well-Being:良い在り方・良い状態)との言葉に更に勇気づけられました。ありがとうございました。①体験・経験→②体験・経験による思考・行動→③天啓・閃き(松果体:第三の目)→④実践→⑤図解→⑥文章化と、自分の文章化の流れが明確になった瞬間でした。次回5月26日(水)は途中(多分21時過ぎ頃)からの参加になる可能性が高いですが、何卒よろしくお願い申し上げます。感謝!
図で考えれば文章がうまくなる

図で考えれば文章がうまくなる

 

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「名言との対話」5月12日。佐々木正「共創の思想が日本を救う」

佐々木 正(ささき ただし、1915年大正4年5月12日 - 2018年〈平成30年〉1月31日)は、日本電子工学科学者 

島根県生まれ。京大工学部卒業後、神戸工業に入社。取締役を経て、シャープに入り、副社長となる。電卓の意味の親。液晶、太陽電池の開発に関わった「経営のわかる技術者」だ。 この人の名前はよく耳にしていたが、今回著書を読む機会を得ることができたのは嬉しいことだ。

太っ腹にして謙虚なリーダーだったシャープ創業者の早川徳次と養子の佐伯旭専務の絶妙なコンビ、そして佐々木の技術力でシャープの成長と黄金時代を築いていく。佐々木は「ロケット・ササキ」の異名を持っている。アメリカの技術がつけたあだ名で、「先戦闘機でも追いつけない」という意味で本人も気に入っていた。

 佐々木正『生きる力 活かす力』 (かんき出版)を読んだ。2014年に数えで100歳を迎えたときに書いた本である。後輩たちにやさしく語ったという感じの本だが、内容は深い。以下、そのエッセンスをあげてみたい。

一人の俊英の「 独創力」には限りがある。複数の英知が集う「共創力」は無限だ。成果主義は秘密主義の横行を招く。オープンな共創意識が希薄になる。与えることで、次のものを得る。そこから何かが生まれてくる。特許は公開しロイヤリティを払ってもらえばいい。「価値観が違うから、価値がある」のだから、「共創」の思想でいこう。お互いの信頼関係を築き、お互いの思想を尊重し、そこから新しいものを共に創りあげる。そうすれば日本は必ず活性化できる。もともと日本人の心に根付いている思想だ。ハイテクは高齢社会の杖だ。介護ロボットと人が生きがいを共創する社会を創ろう。

 自らの「人生行路設計」は20年単位で描いてきた。そうしたら100歳になってしまった。20歳までは「共鳴するもの探し」。40歳までは「戦後日本の復興優先」、60歳までは「先義後利」(日本式経営)、80歳までは「恩探し」をして80歳にして「あらためて恩を知る」。90歳にして「恩に報いる」。100歳までは「恩を感じながら、好きなことをやればいい」でやってきた。182歳の「天寿」までは無理でも、できれば120歳の「大還暦」まで生きられるといいな。20年単位の大きな節目で考え、どっしりと構えよう。

新技術や新製品の開発は、年齢とは関係ない。79歳で「国際基盤材料研究所」を設立した。仮説と情熱。「電卓は世界を変える」「液晶で壁掛けテレビを創る」も仮説。仮説とは「夢を描く」ことだ。その仮説を情熱をもって確かめていく。締め切りは2年がいい。1年では短すぎる。3年では長すぎる。技術開発、商品開発でもうまくいった。

「電卓」は左脳の代役。パソコンの登場で、人間はより創造的な仕事に打ち込めるようになった。脳は外界と隔絶され、情報を遮断されると、急速に退化していく。

若きスティーブ・ジョブス孫正義を支援している。両者とも「目力」が強かったと語っている。孫正義は「一番苦しい創業期を支えてくれた恩人」として、毎年主宰する「恩人の日」に招かれていた。ソフトバンクは2020年度は日本史上最高額の4.9兆円の純利益をあげた。失敗や見逃しもあったとし、「この程度で驚かない方がいい」と語っている。

佐々木正が伝えたいことは、自分の役割に気づいて「いつも、現役!」で生きていく、「価値観が違うから、価値がある」、「自分を高める心を忘れない」である。それは「共創」の思想である。危機に瀕している日本への貴重なメッセージであると受け止めたい。

生きる力 活かす力

生きる力 活かす力

  • 作者:佐々木正
  • 発売日: 2014/05/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

 

 

 

 
 
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刀匠吉原義人「一生、鍛錬」ーー刀は人である

ひと仕事終えて、リビングで日本酒を飲みながらテレビをつけると、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、「当代一の刀鍛冶が創る「千年の宝」日本刀1本数百万円の美」をやっていました。面白くて最後までみてしまいました。

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吉原義人という刀鍛冶の名人を追った番組。何度も紹介されるのは「一生、鍛錬」という吉原の言葉だ。スポーツでも人生でも同じことだという。刀の研ぎ師、若い弟子、弟子となった孫などが番組に登場する。

「折れず、曲がらず、よく切れる」という機能に含まれる、硬くて柔らかいという矛盾を、様々な工夫で解決した機能美が日本刀の特徴だ。

1.水へし・小割り。2.積沸し。3.鍛錬(たんれん)・皮鉄(かわがね)造り。4.心鉄(しんがね)造り・組み合わせ。5.素延(すの)べ・火造(ひづく)り。6.土置き(土取り)・焼き入れ。7.仕上げ・銘(めい)切り。過程が映像でみることができた。

吉原は「福岡一文字の刃文」の丁字の美しさに魅せられる。変化と華やかさ。「こんな刃をつくりたい」と研究が始まる。名人だった祖父から教えてもらう。29歳、文化庁長官賞。39歳、無鑑査。57歳で脳梗塞、リハビリでなんとか手も使えるようなる。そして天才的才能の持ち主で後継者だった、51歳で亡くなった息子も紹介されていた。当代一の刀鍛冶は海外との交流もしていた。そして20人以上の弟子を育て、今も高い頂を目指している。「吉原丁字」ともいわれる刀文のつくりかたについての工夫が興味深かった。

日本刀は一本、4ヶ月かかる。大変な手間がかかる。宝物だ。鍛錬が甘いとできあがった刀に傷がでる。刀は鍛錬、人間も鍛鍛。叩かれると強くなる。一緒に仕事をするとつながっていく。吉原の言っているのは、「刀は人間である」ということだと了解した。

後継者を失った吉原義人は、孫を刀鍛冶に育てるのが最後の仕事と考えている。

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吉原義人刀匠は、昭和18年2月21日に生まれ、祖父に吉原国家(初代)氏、弟に吉原荘二国家(二代)氏、子に吉原義一氏がおり、まさに刀鍛冶の一族に生まれ吉原一門の名は刀剣界に名高いものとなっている。昭和47年より、新作名刀展において高松宮賞など上位の特賞を受賞し、昭和57年、無鑑査に認定される。平成16年、東京都指定無形文化財保持者に認定。その作風は備前伝を得意とし、備前伝の最も困難なテーマとされる映りを鮮やかに再現し、日本刀備前伝ブームの先駆けとなった。メトロポリタン美術館ボストン美術館に作品が買い上げられる名誉に預かり、現在、世界各国の美術館から作刀のデモンストレーションの要請を受け、日本のみにとどまらず国際的な活躍をみせている。また、アメリカに鍛錬所を設けるなど刀剣文化の普及にも尽力している。持ち前の器用さと相俟って、彫技も巧みであり独特の龍、雨龍、白虎などを自身で彫られている。指導者としても、弟子に大野義光氏、久保善博氏ら多くの優秀な刀匠を育成する。長きに亘り常に刀剣界の第一線で活躍され、今後の活躍がますます期待される実力・人気ともに最高峰の刀匠である。

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明日の図解塾の準備。今回は「図解文章法2」がテーマ。次回の材料の収集。

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文芸春秋」6月号を購入し拾い読みをしました。

 文藝春秋2021年6月号[雑誌]

「コロナ「緊急事態列島」特集。

・「尾身茂 第4波「変異ウィルス」の試練:3つの問題 1変異ウィルス。2感染の場が見えなくなった。3対策が十分でない人々がいた。

・「ワクチン大混乱」河野太郎は何をしている

日米豪印「クアッド」で台湾を守れ:インド太平洋と一帯一路。ターニングポイント。台湾と日本はフロントライン。台湾有事に日本は巻き込まれる。コロナは世界のパワーバランスをかえる。ワクチン開発は安全保障。

「晩節における「死」との対峙」(石原慎太郎):法華経。米寿。西行吉村昭江藤淳裕次郎はかま満緒、岩田禎夫。賀屋興宣。信長。池江りか子。

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「名言との対話」5月11日。椎名武夫「日本アイ・ビー・エムの玄関に星条旗を掲げちゃだめなんだよ」

椎名 武雄(しいな たけお、1929年5月11日 - )は日本の経営者。

日本アイ・ビー・エム株式会社社長、会長。経済同友会終身幹事。社会経済生産性本部副会長。社団法人企業研究会会長。財団法人慶応工学会理事長。慶應義塾評議員・理事。慶應義塾理工学部同窓会募金委員会名誉会長。 2000年11月 勲一等瑞宝章受章。

アメリカのバックネル大留学後、日本IBMに入社。45歳で日本IBMの社長に就任したのは1975年で、1992年まで17年間の長きにわたり同社を率いた。1989〜1993年は米IBMの副社長も兼務している。1992年に会長に就任して以降は経団連経済同友会の要職に就き、IT戦略会議メンバーなども務めることで、日本における外資系企業の地位を向上させたことから「ミスター外資」との異名も取る。

椎名武夫『外資と生きる IBMとの半世紀』(日経ビジネス人文庫)を読んだ。

10年がかりで朝日新聞日本経済新聞のコンピュータシステムを開発したエピソードが印象に残る。米IBMの開発担当者はアポロ計画を担当した精鋭部隊だったが、「アポロ計画のシステムより難しかった」と漏らしたほどの難事業だった。日本語の新聞記事には「書き出しは1字下げる」などこまかな約束事が3000もあった。その約束事を盛り込むとソフトのサイズが膨れ上がり、コンピュータの処理能力が追いつかない。ようやく1971年からコンピュター紙面がだんだんできあがっていき今の姿になった。

新聞のコンピュータ化のプロセスで親しくなった日経の円城寺次郎は「椎名君、日経は新聞も出している会社にしたいんだよ」と言った。日経はでデジタル化に果敢に挑戦しつづけている。

ゴルフクラブには正会員、平日会員、ビジターという3種類がある。ビジターはプレー料金は高いし、キャディーさんの態度もどことなく違う。せめて平日会員になろうじゃないか。これは1975年に社長に就任したころの発言だ。売上高2千億円、社員数1万人の日本IBMは63歳で48歳の北城恪太郎に社長を譲ったときには、1兆円企業になっていた。日本IBM中興の祖と呼ばれている。

日本とのつながりを築くために考えだしたのが、1970年から始めた「天城会議」だ。毎年財界、学界などの有力者が集まって議論する場である。天城会議を育ててく人として、ソニー盛田昭夫と現・宮城大学名誉学長の野田一夫がいると野田先生を挙げている。

1994年に政府の高度情報通信社会推進本部の有識者会議の委員になっている。情報化の推進には縦割り行政ではダメで内閣が全体を統括して欲しい。高度情報化社会の推進にはそれを阻害する制度等を廃止・変更して欲しいと主張している。2020年から始まったコロナ下であらわになった政府のデジタル化の恐るべきお粗末さを目にすると、椎名武夫のアドバイスを実行しなかったことは明らかであり残念だ。この点は「デジタル庁」をつくったことで簡単に解決するような課題ではないと思う。工業時代から情報産業時代への転換に向けて政府全体、国家全体が総力をあげて立ち向かうべきテーマなのだ。

「お客様に鍛えられて人材というのは強く育っていく」「”Glorious discontent.” 誰にでも不平や不満はある。だけど、それをそのまま終わらせてはいけない。不平や不満があるならば、それをなくすよう物事を改善しなければならない」「これからは日本人が世界でトップになる。さもなければ、日本は本当に沈んじゃうよ」「何もせずに社長室に座っていると、悪い話は入ってこない。そうなると、経営判断を間違ったり、遅くなったりする。経営者は現場を歩き、積極的に生の情報を集めなければならない」。

椎名武夫と私の縁を思い出してみる。

・1991年前後だったか、JAL時代に日本IBMの椎名社長に社内報のインタビュ−をしたことがある。

・2004年、宮城大学初代の学長の野田一夫先生(カナダ大使館地下のシティ・クラブ・オブ・トーキョー)と夕食を摂った。先生はあいかわらずステーキで、ギリシャへの船旅にいく話をしていた。このとき、野田先生の親友の日本IBMの椎名武雄最高顧問が現れて私もご挨拶した。二人は「タケオ」「カズオ」と呼び合う仲だった。
・2008年。 「草柳文恵さんを偲ぶ会」で私の隣の寺島実郎さんが帰った後の席は、遅れてきたIBMの椎名武雄さんが座って、陽気で愉しい会話が続いた。挨拶では「文恵さんはもの静か、もの憂げな美女だった」と印象を語った。
日本アイ・ビー・エムの玄関に星条旗を掲げちゃだめなんだよ」は、1993年1月に北城恪太郎氏に社長を引き継ぐことを発表した直後のインタビューで発せられた言葉である。椎名は「常にアメリカ本社と戦ってきた」と語り、本社に対しては日本の商習慣を理解させる苦労をする。また「外資は悪だ」という日本の抜きがたい見方を払しょくするにも苦労する。その両面を端的にあらわす言葉が「星条旗」だ。

 

 

連休明け。そろりと始動。

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連休明け。

  • 近藤秘書とZOOMで打ち合わせ。
  • NPO法人の運営について、都庁の担当課に電話し相談。福島さんに報告。
  • 東京と仙台の友人たちに電話し、近況交換。
  • デメケンミーティング

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「名言との対話」5月10日。橋田壽賀子「多くの女性脚本家が活躍している。それだけは私が開拓したと自負している」

橋田 壽賀子(はしだ すがこ、1925年5月10日 - 2021年4月4日)は、日本脚本家劇作家タレントである。

京城(ソウル)生まれ。与謝野晶子が学んだ大阪府立堺高等女学校を卒業。東京の日本女子大学に進学、卒業後、早稲田大学を中退し、1949年に初の女性部員として松竹脚本部で、京都と大船に勤務する。1959年、34歳でフリーの脚本家になる。1966年、41歳のときに4歳年下のTBSプロデューサー岩崎嘉一と結婚。1989年に死別。

 TBS東芝日曜劇場NHK朝の連続テレビ小説大河ドラマの常連であり、手がけた脚本は膨大な量だ。1983年に放映のNHK朝ドラ「おしん」は大反響となり、アジア各国でも広く放送された。2019年にはNHKBSプレミアムで」アンコール放送された。1990年からスタートしたTBS「渡る世間は鬼ばかり」は国民的ドラマとなった。

NHK放送文化賞、菊池寛賞、そして2015年に脚本家として初の文化功労章、2020年には文化勲章を受章している。95歳で死去。

 2019年11月20日発行の橋田寿賀子『人生ムダなことはひとつもなかった 私の履歴書』(大和書房)を読んだ。

 2019年の5月に日本経済新聞の「私の履歴書」の連載をまとめた本である。出会いに恵まれたとし、TBSプロデューサー石井ふく子との出会いがあり、そこから仕事の運がめぐってきた。そしてあきらめていた結婚相手まで手にいれる。その夫と連名で出した結婚通知挨拶も巻末に入っている。それが面白い。

夫の嘉一「これ以上、衣・食・住・性の不規則な生活に耐えられなくなったからです」。妻の壽賀子「やっとほんとに好きなひととめぐり逢えたので、一生懸命頼んだ挙句、どうやら奥さんにしてもらえることになりました」。

この結婚は亭主関白で、夫の前では原稿用紙を広げないという約束をしていたし、壽賀子が稼いだお金はすべて夫が管理していた。死後、大量の株券が出てきて売ったら2.8億円になった。「財産はすべて妻に」とい公正証書もでてきた。石井ふく子が「基金をつくって若い人を育てるんだ」って夫が言っていたと初めて聞く。財団をつくることになり、講演を引き受けて2年間で3000万円を稼ぎ足りな分を補った。そして1992年に財団法人橋田文化財団を設立する。この財団では橋田賞を毎年授与している。

ホームドラマ作家として「となりの芝生」から「渡る世間は鬼ばかり」まで、「家族や女」を書いてきた。そして「戦争と平和」。それが生涯追い続けたもう一つのテーマだった。代表作である「おしん」の本当の手テーマはそれだったのだ。

静岡県小山町の富士霊園の日本文芸協会が運営する「文學者之墓」に、生前から登録し、著名と代表作として「おしん」が告示されている。そこに入っているのだろう

最期は「橋田ファミリー」の女優・泉ピン子が看取り、「私がお化粧をしてあげて、旅立ちました」と語っている。

 2020年10月28日の文化勲章受章時のインタビューで「多くの女性脚本家が活躍している。それだけは私が開拓したと自負している」と語っている。

橋田賞は1993年から、「橋田賞」「新人賞」「特別賞」があり、1995年からは「新人脚本賞」が創設されており、リストをみると男女半々の新人脚本家に授与されている。女性をあげてみよう。梶田裕子、江原志津、福川真弥、伊達佳恵、黒石智美、石田晶子、橋本理華、小鳥遊まり、高橋美帆、土屋裕子、八田明子、開真理、花田麻衣子 、いとう葉のは、小泉理恵子、、。

NHK連続ドラマ小説「半分、青い。」などで知られる脚本家の北川悦吏子は第8回橋田賞授賞を受賞した脚本家である。「橋田先生、ご冥福をお祈りいたします。30年前、私がデビューした頃、女性脚本家が一斉にデビューしていきました。それは、橋田寿賀子さんから内館牧子さんへの流れの中からの出来事と認識しています。女性脚本家の道をつけてくださったのは、橋田寿賀子さんだと思っています」とツイッターで影響力を記している。今回、ラジオ深夜便アーカイブスで「わたしとおしんからのメッセージ」も聴いてみた。謙虚な語り口で楽しめた。

文化勲章科学技術や芸術など文化の発展や向上にめざましい功績を挙げた者に授与される最高の勲章である。文化関係の分野で「初」の受賞者がでるとその分野が公に認められた感じになる。

「初」がついた文化勲章受賞者を調べてみた。女性初は上村松園、写真家は田沼武能、落語家は桂米朝、歌舞伎役者は六代目菊五郎、女優は山田五十鈴俳人高浜虚子、映画人は黒澤明、彫刻は朝倉文夫、ガラス工芸は藤田喬平、外国人はドナルド・キーン、、、。それぞれ分野開拓のパイオニアである。脚本という地味な分野に光を当てたのは、名脚本家であり、また後進を育ててきた橋田壽賀子であった。 

人生ムダなことはひとつもなかった~私の履歴書

人生ムダなことはひとつもなかった~私の履歴書

  • 作者:橋田 壽賀子
  • 発売日: 2019/11/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

 

 

 

「アマゾンミュージック」で「偉人の名言」(提供・久恒啓一)などが聴けるようになりました。

アップルのAIホームスピーカーで「アレクサ!「偉人の名言」」と指示すると、「アマゾンミュージック」よりということで岡田社長の「こえラボ」で流していた「偉人の名言」(提供・久恒啓一)が流れてくることを発見しました。

そういえば、アマゾンから数か月前にそういう話があり、同意した記憶がよみがえってきました。拙著「偉人の名言366名言集」で取り上げた1年間366の名言が流れてきます。

「アマゾンミュージック」を開いてみると、30分番組の私の「ビジネスに活かす偉人の名言」の5分ほどの説明のコーナーも50本出てきました。

Amazon Music:は「音楽やポッドキャストが聴き放題」となっており、ミュージックだけでなく、最近ポッドキャストの番組が数多く入りコンテンツが豊富になったということになります。

因みにライバルのグーグルのホームスピーカー「OK!グーグル」で「偉人の名言」を呼び出してみましたが、入っていませんでした。

 「こえラボ」

 

koelab.co.jp

koelab.co.jp

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名言との対話」5月9日。泡坂妻夫「あわさかつまお」

泡坂 妻夫(あわさか つまお、1933年5月9日 - 2009年2月3日)は日本の推理作家、小説家。

東京・神田生まれ。「松葉屋」の屋号を持つ紋章上絵師(和服に家紋を描き入れる専門の絵師)の家に生まれる。定時制で高校に通いながら約5年の会社勤めを経て、家業を継いで上絵師として働いた。

家業の傍ら幻影城新人賞に応募した短篇『DL2号機事件』が佳作入選して1976年に43歳で作家デビューした。1978年『乱れからくり』で日本推理作家協会賞、1982年 『喜劇悲奇劇』で第9回角川小説賞、1988年『折鶴』で泉鏡花文学賞、1990年『蔭桔梗』ではついに直木賞も受賞している。

泉鏡花文学賞を受賞した『折鶴』は「縫箔の職人田毎はパーティでかつての恋人だった鶴子と再会した。かたくなに手仕事をつづける田毎と手広く事業を広げる鶴子。この二人の出逢いが悲劇へとつながる」作品である。

直木賞を受賞した『蔭桔梗』は、下町の紋章上絵(うわえ)師を主人公職人の世界と男女機微を描いた作品だ。

泡坂本人が紋章上絵の職人であることで、縫箔職人や紋章上絵職人など職人の世界を舞台にした「人情もの」小説を書くことができたのだ。

逆説を多用する作風から「日本のチェスタトン」と呼ばれた。ギルバート・キース・チェスタトンはイギリスの作家、批評家、詩人、随筆家で、推理作家としても有名な人である。「私の成功の秘訣は敬意を持って最善のアドバイスを聞き そのアドバイスの全く逆を行ったことである」という考え方の人だ。「『本を読みたい』という熱心な人間と、『読む本が欲しい』という退屈した人間との間には、大変な違いがある」「それは失われるかもしれないのだ、と考えてみれば、どんなものでも愛することができる」「人は、あるいは宇宙を知っているかもしれない。でも、自分自身のことはわからない」「「考える機械」などと言う言葉は、近代的な運命論や唯物論の愚にも付かないたわごとである。機械は考えることが出来ぬからこそ機械なのだ」「解決策がわからないのではない。問題がわかっていないのだ」「酒はハッピーな時に飲もう 不幸だからという理由で飲んでは決してならない」「徹底的に現世的な人々には、現世そのものを理解することさえできぬものだ」などいい箴言が多い。

日本推理作家協会賞受賞作の『乱れからくり』以外にも、人気のある作品をあげてみよう。劇中で用いられているトリックのタネを書籍自体に施した『しあわせの書』の説明では「驚愕! こんなことが出来るとは。マジシャンでもある著者が企んだ、「紙の本ならでは」の仕掛け。 未読の人には、絶対に本書のトリックを明かさないで下さい」とある。袋綴じされているページを切り開くと内容が変化する『生者と死者』では、「「消える短編小説」入ってます!そのまま読むと短編小説。袋とじを開いて読むと、なんと!〔お願い〕はじめは各頁を切り開かず、必ず袋とじのままお読み下さい」とある。こういう紙媒体でしか成立しない仕掛けを施した、遊び心と技巧が一体となった作品にもファンが多い。

作中で活躍する探偵役たちはつながっているし、シリーズを終了させる際にパーティ場面を設定して、これまでの全主要人物が一堂に会する恒例のパターンなど、こまかな遊びがファンを喜ばせている。

作家活動と並行して家業の紋章上絵師の仕事も続け、その経験・知識から、家紋についての本もある。

奇術愛好家兼奇術師(マジシャン)としても有名で、1968年には創作奇術で第2回石田天海賞を受賞している。また、自身の本名を冠した奇術の賞に厚川昌男賞がある。厚川昌男賞はオリジナルな発想をするクリエイターに焦点を当て、「厚川昌男氏が気にいったマジシャンを選ぶ」という方法で選出される。2005年まで15回続いた。受賞者のほとんどが、マジック界の第一線で活躍しており、それは選択眼の確かさを証明している。

本業である紋章上絵師としての職人渡世、仕掛けの多い推理小説の作者、人情ものの手練れの作家、玄人はだしのマジシャン趣味など、この人の経験した世界は、広範でかつ深い。そういった独特の宇宙を生み出した泡坂妻夫という意味深なペンネームを名言として取り上げたい。

泡坂妻夫というペンネームは、本名の厚川 昌男を「アナグラム」を使ってつくりだしたものだ。アナグラムとは単語または文の中の文字をいくつか入れ替えることによって、全く別の意味にさせる遊びである。「あつかわまさお」を並び替えた「あわさかつまお」を漢字に直したもの意味深な作品である。説明が難しかったようで、他の理由でペンネームを説明していたという。わたしもアナグラムでに挑戦してみたがうまくいかなかった。不思議な人である。さて、何を読もうか。