「老後不安解消、失敗の研究… 今読むべきお金の本」(日経)で『50歳からの人生戦略は「図」で考える』が紹介された。

日経新聞オンラインニュースで「老後不安解消、失敗の研究… 今読むべきお金の本」というコーナーで本が7冊紹介されていました。その中で『50歳からの人生戦略は図で考える』が紹介されていました。

「これまでの人生を整理して未来を描く」

「 昨今の人生100年時代にあって、50歳は「人生の後半の始まり」ではなく、25~50歳の「青年期」、50~65歳の「壮年期」、65~80歳の「実年期」の3期にわたるキャリアにおける「2期目の始まり」と捉えるべきだ、と著者。豊かな人生を歩むための戦略を立てるのに役立つ「人生鳥瞰(ちょうかん)図」のつくり方と、その活用法を解説する」。

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幻冬舎オンラインの連載8回目が流れました。

編集部がつけたようですが、「日本航空の「官僚体質」…窮地に追い込まれた会社員が見た現実」、というタイトルになっていたので驚きました。「2勝1敗1分け…47歳、大学教授への転身を自己分析すると」というはずでした。

内容は近著『50歳からの人生戦略は「図」で考える』 の中からの抜き書きですから、内容と見出しのアンマッチです。

「YAOO!」ニュースでも流れていました。刺激的なタイトルとなっていますが、内容は青年期から壮年期への過渡期にあって、迷いの多い人たちへの応援のメッセージなのです。影響も大きいので早速抗議します。

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女性週刊誌から電話取材あり。テーマは「人物記念館」。

ZOOM:デメケンの打ち合わせ。

ZOOM:元祖「ザ・倶楽部」の会合。テーマは「政治とマスコミ」。

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「名言との対話」10月25日。岡村喬生「しつこくこだわる人がいい仕事をする。編集者しかり、演出家しかり、指揮者しかり、そして歌手しかり」

岡村 喬生(おかむら たかお、1931年10月25日 - 2021年1月6日)は、日本のクラシック歌手(バス)。

東京生まれの道産子。新聞記者をめざして早稲田大学政経学部に入学したが、グリークラブに誘われたのがきっかけとなり、歌の道を進むことになった。

28歳でイタリアのローマに留学。国際コンクールで優勝し、オーストリア、ドイツの歌劇場で専属の第一バスを歴任した。この間、ウイーン国立音楽院でも学ぶ。以後、オペラ、コンサートで世界のひのき舞台を踏んだ。

49歳で帰国し、「芸術は娯楽なり」をモットーに「歌の旅」独唱会を始める。そして執筆、講演、俳優、テレビ出演などを重ね、テレビでよく見かけることになり、最も親しまれるクラシック歌手となった。

『歌う オタマジャクシ 世界奮泳記』(東京新聞出版局)を読んだ。

まず驚いたのは、芸大ではなく早大を出ており、正規の音楽教育を受けていないことだ。この本は「青春記」である。青春がずっと続いているという印象だ。

ライフワークはシューベルト「冬の旅」。あらゆる歌手が生涯の研究テーマとするほど奥の深い難しいか歌曲だ。一番素晴らしく、歌い甲斐があり、一番難しい曲である。私は今、この1時間15分の24曲を聞きながら、この文章を書いている。

「歌手は精神の自由に憧れて職業を選ぶが、経済的には苦しい仕事だ」。「イタリア語、ドイツ語をまったく話せないでイタリアにもオーストリアにも住んだ」。「ヨーロッパでは「学歴」よりも「楽歴」が問われる」。「19世紀初めのマイクの発明がもっとも大きな革新だった」。「指揮者はモーツアルトがなくなった後半世紀を経てガス灯証明が出現して初めて登場した。それまでは作曲家が指揮台にたって合図を送っていた」。

オペラとは、「歌唱音楽を主にして、最初から最後まで一つの物語を演じる舞台劇」が定義だから、日本の歌舞伎、能、人形浄瑠璃も、そして中国の京劇もオペラである。岡村は、日本人が書いた国民オペラ、日本人に身近な物語の和製ミュージカルの創造が必要だと述べている。「夕鶴」(原作は木下順二)、「金閣寺」「KOPJIKI」(黛敏郎)、「春香」(高木東六)、立川澄人が特別出演した「吉四六昇天」(清水脩作曲)などが日本人の創作オペラだ。

「一度やると止められないのがギャンブルと執筆だ」と岡村はいう。「夕刊フジ」にエッセイの連載中に先輩の高木東六から「私はおだてられてせっせとセックスのことを書き、随分と評判を落としました。あなたも気をつけた方がいいですよ」との忠告を受けた。このエピソードは私も「名言との対話」の「高木東六」の中で書いたことがある。

富士山を仰ぎ、山中湖を見下ろす山中湖の山荘で、ピアノを弾き、ワープロを打ち、炬燵で読書し、ワープロへ向かう。邪魔の入らない山荘でこの本を書いた。

古本で手に入れ、私が読んだこの本には「惠存! 岡村喬生 芸術は娯楽なり 2001.1.31 日 出版の日に 東京に!」と書いた自筆サインがあった。「あとがき」は200年11月だから岡村は69歳だ。「僕は75歳までは、何でも屋の中の基本「歌」うぃ続けるつもりだ。そして20年後、またこのような本が書けることを切に願う」とある。20年後は昨年2020年末で、岡村は89歳になっているはずである。このライフプランはどうなったか。コロナ禍の2021年1月6日に89歳で亡くなっている。続編は書けなかったようである。

この本は一種の「青春記」だ。バンカラ学生が世界を舞台に波乱万丈の日々を送るという痛快物語だ。「続編」を読んで、70代、80代の岡村喬生のことも知りたかったな。

「しつこくこだわる人がいい仕事をする。編集者しかり、演出家しかり、指揮者しかり、そして歌手しかり」。岡村喬生のメッセージを大事にしよう。

 

坂村健「DX」。田村淳「心のこり」。白井晟一「独学の建築家」。

東京MXテレビ寺島実郎の「世界を知る力」。本日は坂村健との対談。

坂村健TRONThe Real-time Operating system Nucleus」の開発者。東大教授を退官後は、「文・芸・理」融合の東洋大学情報連系学部INIADの学部長をつとめている。

  • DXとは改善ではない。ビジネスモデルを変革する改革・革命である。
  • プラットフォームの本質は「オープン」。単体ではなく様々なところで使える。
  • ここ10年でAIは急速に進化。「オープン」「ビッグデータ」「クラウド」。
  • AIで出来ないことは無くなっている。個々の問題解決はできる。まだ汎用性はない。
  • 目標をAIに指示するには「教養」が要る。哲学、考える力、、。」
  • AIには「欲望や欲求」はない。人間には生きる意志がある。
  • AIは美を享受しない、できない。
  • ギリシャ・ローマ時代は奴隷が労働し、貴族は文化で遊んでいた。AIに任せて享受できる。「芸」はアート。何が美しいか。過去の人間がやったことがある。
  • 人間には意識がある。意識とは宗教だ。

坂村健の本:『DXとは何か』。『グローバルスタンダードと国家戦略』。『毛沢東の赤ワイン』。

JAL広報部時代に本郷の東大キャンパスの坂村健を訪ねたことがある。テーマは「航空文明」だったか。また講演も何度か聞いたことがある。著書はずいぶん読んでいる。情革命のフロントランナーだ。『DXとは何か』(角川新書)を注文。

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朝6時起床。8時までブログと「名言との対話」を書く。やはり5時起きが必要だ。

11時:渋谷のロンドンブーツの田村淳の「私の心のこり」展。

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13時:松涛美術館の「白井晟一入門」展。

建築家として活躍したが、実は建築を学んだことがない「独学」の人だったのには驚いた。この素敵な美術館も白井の設計だった。静岡の芹沢銈介館、群馬の土屋文明館も白井の設計だった。

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16時半:富士箱根伊豆国際学会のZOOM総会に参加。

17時:純喫茶「キツ」を覗き、橘川店長と語る。

19時:「世界を知る力」の録画をみる。

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「名言との対話」10月24日。島尾ミホ「征きませば加奈が形見の短剣でわが命綱絶たんとぞ念ふ」

島尾 ミホ(しまお ミホ、1919年10月24日 - 2007年3月25日)は、日本の作家。 

鹿児島県の奄美群島加計呂麻島出身。東京の日出高等女学校を卒業。加計呂麻島国民学校に代用教員として在職。太平洋戦争中、加計呂麻島に駐屯していた特攻隊隊長の島尾敏雄と出会う。戦後結婚した後には、作家となった島尾敏雄の代表作『死の棘』に登場する「妻」のモデルとなった。

自身の小説では、『海辺の生と死』で、田村俊子賞、南日本文学賞を受賞したほか、『祭り裏』、短編「その夜」など故郷に題材を取った作品が多い。『ヤポニシアの海辺から対談』(石牟礼道子との共著)、『島尾敏雄事典』(志村有弘共編)などがある。

生誕100年となる2019年には短編集『祭り裏』の復刊や記念イベントの開催、梯久美子の評伝『狂うひと「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮社)が文庫化になるなど、注目を集めた。最近では日経新聞梯久美子が連載をしているのをみかけた。

夫・島尾敏雄の記念館が郷里の福島県相馬郡小高町にある。埴谷島尾記念文学資料館だ。同郷の埴谷雄高は「僕一人だけではいやだけど、島尾君と一緒ならいい」と承諾してできた二人の資料館だ。未完の大長編小説「死霊」を書き続けた埴谷雄高(1909-1997年)と、壮絶な夫婦愛を描いて私小説の極北と言われる小説「死の棘」を残した島尾敏雄の資料館だ。島尾は「日本の作品は僕と島尾敏雄を読めば良い」と山本周五郎がいうほどの作家だった。また戸内寂聴は「島尾敏雄さんはハンサムだった」と書いている。

島尾ミホのエッセイ集『愛の棘』(幻戯書房)を読んだ。

特攻隊長の島尾中尉との遭遇と逢引きと決死の脱出が、この人の人生のクライマックスだ。

特攻として島尾の出撃が決まった出撃の前夜に詠んだ歌。加那とは恋人である自分のこと。出撃命令はでなかった。翌日は8月15日だった。

 征きませば加奈が形見の短剣でわが命綱絶たんとぞ念ふ

 大君の任のまにまに征き給ふ加那ゆるしませ死出の御供

 はしきやし加那が手触りし短剣と真夜をさめゐるわれ触れ惜しむ

父と家を捨てて島を脱出したときの歌。
 古も今もあらざり人恋ふる深きお想ひは代々に変わらじ

 恋故に十七代続く家系捨て独り子のわれ嵐の海洋へ

 親を捨て古き家系も捨て去りて御跡慕いて和多都美の国へ

 海原を大鏡へと見立てつつ加那が悌偲び奉らむ

 琉球南山王の血筋引く古き我家も此処に絶えなむ

2人の写真をみると、美男美女のカップルだった。夫の代表作『死の棘』にならって編んだエッセイ集『愛の棘』を読むと、若き日の恋が島尾ミホを生涯にわたってとらえていることがわかり、感動を覚える。それをミホは小説やエッセイにしたが、短歌というものの威力を改めて感じてしまった。

 

 

 

 

「逆境」と「深呼吸」と「ジャニー」の日

抜けるような青空の下で読書する人。

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19時から。なるみちゃん(目が見えない若い女性)のZOOM読書講座に参加。テーマは「逆境」です。

ネガ・ポジ転換の実習ということで、実習をしながら、話し合っていくというやり方です。ネガとポジの両方を知ることによって、多角的な視点を持つことができるのが、収穫という趣旨。

私は「いいかげん」をテーマにしました。自分の意識「なんとかなるさ。ミスをしながら覚えていこう。仕事は早い。高い自己肯定感」。他人から言われたこと「超前向き。おおらか。寛容。楽観。行動力。トライアンドエラー」。

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事前の準備で、「逆境」についての言葉を拾う。

  • 吉野作造政治学者)「人生に逆境はない」。
  • セネカ哲人政治家)「順境もよし逆境もよし」。
  • 清沢満之(学者)「順境は力を減殺し、逆境は力を増長する」。
  • 小松方正(俳優)「逆境の恩寵」
  • 石田波郷俳人)「病気、逆境、貧困を詠め」。
  • 吉川英治(作家)「吾以外皆師」
  • 平岩外四経団連会長)「経営は常に逆境との闘いです」。
  • 越後正一(伊藤忠商事創業者) 「逆境の時こそ先見性と機動力を試すチャンスである」。
  • ディズレイリ(イギリスの政治家)「いかなる教育も逆境に及ぶことなし」。
  • 犬養毅(首相)「順境とか逆境とか、貧富とかにいふことを苦にするとせぬとは畢竟目的を持って居るか居らないかにある」。
  • 大杉栄共産主義者)「一犯一語」。

順境も逆境もどちらもいい。要は自分の心がけ次第だと結論づけよう。環境の問題ではない、自分の問題だ。

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20時から深呼吸学部。

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アマゾンのPOD:流通経費ゼロ。無料配送。安い。型は自由。111p。400円。1200円。320円。出版講座。出版クラブ。bloblo。出版再生機構。書きたい人と知らせたい人のマッチング。不要不急。クラファンの限界。著者と編者。「出す」から始めるサイクルイ。AIのべりすと。文学賞。(「全集」第4巻から。「ライフプランの実際」。「読書日記」。「翻訳」本。「名言との対話」のテーマ別の各論シリーズ。、、、。)

ブレークアウト「社会的自分の構築。個人サイトこそ。航空母艦と戦闘機。過去・現在・未来。命名:クリエーター(創造者)と社会探検家と自分自身になっていく人」。

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「名言との対話」10月23日。ジャニー・喜多川「YOUがCANと思うならDOすればいいじゃない!」

ジャニー 喜多川(ジャニー きたがわ、Johnny H. Kitagawa、本名:ジャニー・ヒロム・キタガワ (Johnny Hiromu Kitagawa)、漢字表記:喜多川 擴〈きたがわ ひろむ〉、1931年10月23日 - 2019年〈令和元年〉7月9日)は、日本の実業家・芸能プロモーター・音楽プロデューサーで、ジャニーズ事務所ジェイ・ドリーム、ジャニーズ出版、ヤング・コミュニケーション、つづきスタジオの創業者。 

アメリカ・ロサンゼルス生まれ。日本の戦後の芸能界を席巻した人物だ。亡くなった時のテレビなどでの大騒ぎに驚いた。日本の芸能界に登場させたグループを以下挙げるだけでもその偉業がわかる。

ジャニーズ 。 ハイ・ソサエティー 。 フォーリーブス 。ジューク・ボックス 。スーパーエイジス 。 JOHNNYS' ジュニア・スペシャル 。 リトル・ギャング 。デビー&ルーベン 。 クエッション 。 ジャPAニーズ 。 VIP 。 スリー・ヤンキースANKH 。シブがき隊 。オレンジ・シスターズ 。THE GOOD-BYE 。 少年隊 。男闘呼組光GENJI光GENJI SUPER 5。B・D 104 。SMAP 。CHA-CHA 。忍者 。 TOKIO 。 SAY'S 。 KinKi Kids 。V6 。 嵐 。KAT-TUNタッキー&翼関ジャニ∞ 。 J★STARS 。 NEWS 。 Kis-My-Ft2 。 テゴマス 。 Hey! Say! JUMPA.B.C-Z 。 ふぉ~ゆ~ 。 Sexy ZoneSnow Man 。 舞祭組 。ジャニーズWESTSixTONES 。 King & Prince 。 なにわ男子 。

ジャニーの生涯を追うよりも、生身の姿を現さなかった男の言葉を拾おう。。

  • 磨いていくうちに、個性ある輝きを発してくるものなんだ
  • YOUがCANと思うならDOすればいいじゃない!
  • プロの世界に、「これでいい」という終着点はない
  • YOUたち、なんで2位なんだ。

小菅宏『異能の男 ジャニー喜多川』(徳間書店)を読んだ。著者はジャニーズ取材歴50年の人。ジャーニー喜多川という人物の言葉だけを追ってみよう。

  • この国の芸能界はアメリカのショービジネスより30年遅れている。その「隙間」にビッグチャンスが眠っているのに誰も気づいていない
  • グループだったらその3倍、4倍の熱狂が生まれる。
  • 人間は失敗で学んだことのほうが忘れないもの
  • ボクは誰でもスターにしてみせる自信がある。でも、いくら才能を感じてもボクが好きにならない子に興味はない。
  • 笑顔は人間のキャラクターが全部詰まって表情に出るもの。
  • デビューしたら勝負の大半は付いたのと同じ。、、個人の能力とチームの個性を最大限に磨き膨らませる戦略が効果的なわけよ。
  • ブームというのは必ず消える。だからウチは舞台を欠かさなかった。大事なことはブームの後をどう狙うかよ。
  • 新しいアクションをするからこそ、やる気は湧くもの。
  • それぞれのチームに輝く「時代を映すカラー」が必要。
  • 人気は風のように移り変わるもの。風は吹きながら移動するとボクは知るから。
  • 今流行っているモノに合わせても、それが飽きられたら一緒に消えるもの。
  • YOUはできる。できないことななにもない。しないだけだ。

2011年には、ギネス・ワールド・レコーズから「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」と「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」に認定されている。

壮大な芸能絵巻を見せてくれたジャニー喜多川の人生観、仕事観は「YOUがCANと思うならDOすればいいじゃない!」という言葉に尽きる気がする。I can do it. We can do it.

 

 

 

「小早川秋聲ーー旅する画家の鎮魂歌」展ーー代表作は「国の盾」

東京ステーションギャラリーの「小早川秋聲ーー旅する画家の鎮魂歌」展。

小早川 秋聲(こばやかわ しゅうせい、秋声とも、1885年明治18年)9月26日 - 1974年昭和49年)2月6日)は、大正から昭和中期にかけて活動した日本画家文展帝展を中心として活躍した。旅する画家。従軍画家。エッセイスト。

鳥取県にある光徳寺の長男として生まれた秋聲は、9歳で東本願寺の衆徒として僧籍に入る。

その後、京都で谷口香嶠、山元春挙といった日本画家に絵を学び、文展、帝展を中心に活躍。

日本国内を旅して風景画を描き、東洋美術研究のため何度も中国に渡り、また欧州を旅して西洋美術を学ぶなど、旅する画家であった。

戦争の影が濃くなると、従軍画家として海外の戦地に派遣され、戦意高揚のための絵を描くことを期待される。東本願寺の慰問使としての役割もあった。また対日世論を和らげるためにアメリカにも派遣されている。

満州、中国各地、を中心に、ビルマシンガポールなどを歴訪している。

戦争の色彩はと問われ「灰暗色とセピア色が戦争の中から滲むで来るやうな気がする。、、、然し白や桃色や紫には決して映らない」と答えている。「戦争は国家として止むに止まれぬ事とは申せ、惨の惨たるもの之あり候」。

傷ついた友を背に歩く兵士を描いた「戦友」、戦死した兵士を葬る様子を描いた「護国の英霊」、鋭い眼で自らの刀を見つめる姿を描いた「日本刀」、出征した兵士の妻が武運長久を祈る「祈願」、急な出陣を命ぜられた隊長が静かに一服の茶を点てる「出陣の前」などの絵をみた。

「虫の音」は、戦地で兵士たちが思い思いの姿で寝込んでいる様子が描かれている。戦争画ではあるが、人間味をおびており、印象深い。

しかし何といっても代表作は「國之楯」だ。暗い背景に陸軍将校の遺体が横たわっている。頭部をおおう布には寄せ書きの書かれた日章旗がかぶせられている。闇に浮ぶ死体である。最初にこの絵をみた陸軍の軍人たちは、思わず帽子を脱いで敬礼をしたという。

英霊の礼賛という見方と、戦争による死を描いたという逆の解釈ができる問題作だ。この絵は陸軍に受け取りを拒否され、長く秘匿されていたが、戦後、改作され公開されている。

会場でこの絵をみたときは、やはり私も衝撃を受けた。

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戦後は戦犯指定も覚悟していた。体調を崩し画壇からは遠ざかった。随筆家としても過ごし、自筆文献だけでも400件に及んでいる。僧籍を持つようなった複雑な生い立ち、旅行家として世界各地を踏破した広い見聞、軍人画家としての活動などからみえる世相を文筆で描いた。享年88。

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・雑誌の取材のために、女性の人物記念館リストの作成と資料をそろえる。

・2人のインタビュー原稿を書く。最初の5人分の原案がようやくできた段階。まだまだ紆余曲折がある。

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「名言との対話」10月22日。朱鎔基「どんなことでもむやみに追従せずに自分で思考すること、信念を貫き、何ものも恐れない精神を持つこと」

朱鎔基(しゅ ようき、簡体字:朱镕基、繁体字:朱鎔基、英語:Zhu Rongji、ヂュー・ロンチー、1928年10月1日 - )は、中華人民共和国の政治家。第5代国務院総理。

1951年清華大学電機工学部卒業。東北人民政府工業部に勤務、1957年からの反右派闘争で批判され、1978年名誉回復。国家経済委員会局長、清華大学教授などをへて、1987年共産党中央委員候補。

1988年上海市長、1989年同市党委員会書記を兼任し、浦東新区の経済開発を指導。1991年副首相に昇格、国営企業の連鎖債務問題を扱い、のち中国人民銀行総裁を兼務。1998年首相となり、江沢民政権を支えた。2003年の全人代温家宝に首相の座を譲る。

朱建栄『朱鎔基の中国改革』(PHP新書)を読んだ。

この書は1998年に刊行されているから、首相としての活躍については、21世紀の中国の命運を握るのは「赤い経済皇帝=朱鎔基首相」だと期待を述べるにとどまっている。

精華大学電機学部電機製造専攻を卒業。200を超えるIQと人一倍の努力の人。「独立思考」の精神。他人のメンツをつぶしても真実を守るストロングマンの性格。

火事撲滅大隊長、難問を解く名手、マクロコントロールの大師、中国のゴルバチョフなど、仕事師ぶりをあらわす言葉は多い。
最高権力者の鄧小平は、政治と軍は江沢民(虎:寅年)、経済は朱鎔基(龍:辰年)が最終的な責任を持つという後継体制をつくった。中国では龍と虎が力を合わせればパワーが格段に増強すると言われている。実際にそのとおりになった。

朱鎔基は副首相以来、トップの座を狙う野心がないことをはっきりと表明している。朱鎔基待望論の高まりを退け、指導部内部での権力闘争の芽を事前に摘み取るという戦略をとった。実際、首相の座で5年間全力投球して引退しているのは、見事な出処進退だ。

就任時に掲げた「三大改革」である行政改革、国有企業改革、金融改革を3年で実行するという目標を断行している。1998年には中央政府の省庁数が40から29に減らされ、職員も半分の約1万7千人に削減。2000年初頭からは、地方政府ごとに改革案が発表され
実行に移された。国有企業改革では、1997年末に赤字に陥っていた6,599社の大中規模国有企業のうち、4,799社(73%)が赤字を脱却し、利益総額は97年の2.8倍に伸びている。

朱鎔基は1994年2月に副首相として来日している。そして2000年10月にも来日している。テレビ番組出演と、それを受けた形の日本記者クラブの共同会見を行った。2年前の江主席訪日後に日本国内に広がった「嫌中感」を和らげたいとの狙いがあった。私も大学生との対話をみたのだが、テレビで当意即妙の受け答えをし、ユーモアあふれる言葉を使い、中国に対する印象をやわらげた功績は大きいものがあった。日中関係については「歴史を鑑とし未来に向かうという原則を守り、子々孫々仲良くしていくことが、我々の願いだ」と強調した。

「たとえ私の前に地雷原があろうと、万丈の深淵があろうと、私は後ろを省みず、勇敢に前進し、死をも厭わず、全力を尽くす決意だ」という言葉どおり、21世紀の中国の強大化への道筋を描き、実行した手腕は大したものだ。

1998年時点で、2000年の次期党大会で中央政治局常務委員7人のなかで、引退しなくてすむメンバーは胡錦涛一人。政治局委員には温家宝がいた。中国共産党の幹部はほとんどが理工系出身の学歴を持ち、地方での実績を積み重ねており豊かな実務経験がある。その中から権力闘争を経て鍛えられた指導者が選ばれていくのだから、リーダー選びにおいて間違いは少ないように感じる。そのことは現在の中国の姿をみればわかる。

朱鎔基の信念は「どんなことでもむやみに追従せずに自分で思考すること、信念を貫き、何ものも恐れない精神を持つこと」だった。「自力思考と勇気勇敢」というキーワードをあげておこう。

 

朱建栄『朱鎔基の中国改革』(PHP選書)

 

 

拙著『人生遅咲きの時代 ニッポン長寿者列伝』の電子本「ディスカバーebook選書kindle版」がリリース。

DISCOVER21社から『人生遅咲きの時代 ニッポン長寿者列伝』(日本地域社会研究所)の電子本「ディスカバーebook選書kindle版」が、リリースされました。

https://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B09HSHP3FX/ref

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購入できるサイト。
Kindle・コミックシーモア・dブック・ひかりTVブック・DMM.com紀伊國屋kinoppy・ COCORO BOOKS・honto・ BOOK☆WALKER ・ブックライブ ・ブックパス ・Reader Store ・U-NEXT ・楽天Kobo ・ebookjapan・ 漫画全巻ドットコム ・パピレスセブンネットショッピングヨドバシ.com

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人生の後半は余生ではない。本番である。だれも自分を「終わった人」とは考えない、いわば「終わらざる人々」。人生後半からひときわ輝きを放った81人の生き様は、新時代を生きる私たちに勇気を与える。

第一章 前向きな人(昇地三郎/金原まさ子/加藤シズエ/柴田トヨ/金子兜太/宇野千代/塩月弥栄子/小森和子
第二章 続ける人片岡球子/大野一雄/岩谷直治/高木東六/奥村土牛/三浦敬三/新藤兼人/加藤馨)
第三章 遅咲きの人(橋本武/むのたけじ/豊田英二/佐藤忠良/団藤重光/永田耕衣/芹沢光治良/井伏鱒二/三鬼陽之助)
第四章 ひとすじの人小林ハル/石井桃子/土屋文明/邦 正美/笹島信義/上村松篁/吉田秀和/中川一政/今泉俊光/ドナルド・キーン
第五章 きわめた人木村庄之助/東久邇宮 稔彦王/柳田誠二郎/来栖 継/王馬煕純/宇野精一/安藤百福/笹崎龍雄/木下是雄/岡崎嘉平太
第六章 テーマ追い人近藤康男/奥 むめお/日高六郎/望月百合子/鈴木俊一/大河原良雄/大村はま/坂口謹一郎/大西巨人/山田五十鈴
第七章 みがく人(中川牧三/島田省吾/森信三)
第八章 気概の人蟹江ぎん/日野原重明/水島廣雄/松本重治/流 政之)
第九章 健やかな人成田きん/塩谷信男/三輪壽雪/三笠宮崇仁/安西愛子/横田喜三郎/笹川良一
第十章 つくる人飯田深雪/松原泰道/坂村真民/住井すゑ/林 雄二郎/大竹省二
第十一章 天寿の人小倉遊亀/安藤太郎)
第十二章 スーパー・センテナリアン(大川ミサヲ/長谷川チヨノ/森 シノ)

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国内出版物の電子書籍化率は、11.9%2017年29.6%、2018年31.2%、2019年33.2%。増えてきてはいるが、まだ少ない。

「ディスカヴァーebook選書」は2020年11月に立ち上がり、「良質なコンテンツを電子化して届ける」ことをミッションに、さまざまな作品の電子書籍化を進めている。未電子化書籍の電子書籍版を制作。書籍と同じ価格で販売するのが特色。

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「名言との対話」10月21日。芹沢長介「遺物の年代は、層位が型式に優先する」

芹沢 長介(せりざわ ちょうすけ、1919年10月21日 - 2006年3月16日)は、日本の考古学者。日本の旧石器時代研究の第一人者。

静岡県静岡市出身。父は人間国宝で染色家の芹沢銈介だ。明治大学専門部地理歴史学科卒業、大学院修了。1963年、東北大学へ赴任し助教授、1971年、教授。1984年、東北福祉大学教授。

在野で研究活動を行っていた相沢忠洋が、現在の馬県みどり市関東ローム層の赤土層から、約3万年前に当たる幾つもの石器を採集した。「日本列島に旧石器時代には人類が住んでいない」とされていたそれまでの学説をくつがえした大発見だった。日本列島の人類は数千年前から数万年前に一気に遡った。この遺跡は後に「岩宿遺跡」と名付けられた。

相沢は学歴もなく行商を行いながら考古学を研究していた在野の研究者だ。芹沢は1946年に相沢から相談を受け、1946年、1950年に明治大学の杉原荘介教授らと岩宿遺跡の発掘調査を行った。この大発見の功労者が誰かをめぐって杉原教授と対立し、芹沢は東北大学へ移ることになる。

芹沢は石器の使用痕研究を推進し、また前期・中期旧石器と考えられる石器を出土する遺跡調査を実践した。大分県の早水台遺跡や長崎県福井洞穴など旧石器時代の遺跡を調査。栃木県の星野遺跡では、調査結果を基に旧石器の変遷をまとめた。80年代初期まで続いた「前期旧石器存否論争」においては存在肯定派のリーダー的な存在であった。

さて、その芹沢長介は1989年から仙台の東北福祉大学内にできた父親を顕彰する芹沢銈介美術工芸館の館長を死去するまで務めている。私も2006年に訪問したことがある。着物、帯地、暖簾、壁掛、カーテン、風呂敷、屏風、軸などに表した膨大な仕事をみることができる。「屏風、着物、帯地、暖簾、扇子」というテーマの小ホール、「釈迦十大弟子尊像」という小ホール、、。デザインというものは本来無名性の高いものであるのだが、芹沢の意匠はそれをまもりながらも芹沢銈介という作家の独自性を保っているという不思議な存在感を醸し出しているのが印象的だ。それ以来、芹沢銈介のデザインはすぐに判別できるようになった。

「遺物の年代は、層位が型式に優先する」という芹沢の考え方は、どのような形式の石器が掘り出されようとも、地層が古いことが確認できればそちらを優先させるというポリシーである。

2000年10月に発覚した旧石器捏造事件がある。芹沢と親しい相沢を尊敬する在野の考古学研究者・藤村新一は次々と旧石器を発見し注目を集めていた。藤村は「神の手」、「ゴッドハンド」と呼ばれていた。ところが石器の破片を藤村自身が埋め込んでいたという事実が発覚して大騒ぎになる。当時仙台にいた私はこの騒ぎをよく覚えている。

「遺物の年代は、層位が型式に優先する」というポリシーからすれば、古い地層から縄文時代の石器が出てきたなら、古い地層にその石器を使っていた人類がいたと認めることになる。だから新発見が続くことになったのだ。藤村の捏造はここを突いたのである。私は藤村の捏造を認める記者会見を仙台でテレビで見ている。顔をずっとうつむけたまま何やらを喋っていて、最後まで顔は見えなかった。異様な会見だった。それを見抜けなかった芹沢長介は忸怩たるものがあっただろう。

スポーツの世界では新記録が出るたびに、歴史が塗り替えられていく。学問の世界も、新たな発見によって、新しい世界観が現出する。それを切り拓いた人は、名を歴史に刻む栄誉を手にする。しかしそこには、横奪と捏造という人間的なドラマが数多く埋め込まれている。芹沢長介の人生行路を眺めると、真偽は不明な点もあるが、そのネガの部分をも背負いながら研究をすすめたようだ。

父の芸術という創造の世界、息子の学者という発見の世界、そこで名を成すことは、いずれも簡単ではないが、父子ともになんとか乗り切ったのは見事だ。芹沢長介は「旧石器の神様」と呼ばれるようになった。「神様」はたくさん存在する。税の神様、ロックの神様、ナンセンス、ビリヤード、野球、小説、特撮、ショートショート、経営、憲政、イベント、育児、作戦、文学、地震、式典、ジャズドラム、、、。芹沢長介も日本の八百万の神様の一人になったのである。

 

 

 

 

 

 

 

図解塾:想像力(イマジネーション)が創造力(クリエイティブティ)を生む

図解塾第3期4回目。1000本ノックシリーズ。職場の「人間関係」に関する3つの課題をこなしました。想像力(イマジネーション)が創造力(クリエイティブティ)を生む。

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  • 久恒先生、塾生のみなさん、今回もありがとうございました。今回の「図解の千本ノック」では、職場の人間関係がテーマ。私にとっては身近なテーマでしたが、課題の文章をわかりやすく表すことに意識を向けたため、人事担当者の視点で分析するような図になりませんでした。というのも、課題は短文ですから、実体験の現場を思い出して考えた時、想定場面によって課題にある単語の捉え方が変わってしまい、その説明のために書かれていない言葉を入れることになるとか、そもそも勝手に想定していいのかとか、いろいろ迷ってしまったからです。途中、久恒先生から「『?』が重要。」だとか、「文章に表れていないこと(課題や解決策等)を想像して書いてもいい。」というコメントがありましたので、第3問はそれを踏まえて考えましたが、残念ながらタイムオーバーでした。次回の千本ノックでは、イメージを短時間にまとめることに意識を向けてチャレンジしたいと思います。よろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、皆様、本日もお疲れさまでした。本日は「図解ノック」の第二弾で「職場の課題解決」に関する、社会人にはいささか生々しいお題を図にして持ち寄るという課題でした。前回の「第一弾」では、シンプルではあるが抽象的な文章を図にして意味を伝えるというお題でしたが、今回はさらに一歩進めて課題を取り巻く因果関係のみならず、潜在的な背景や、果てはその結果生じる事象や効果予測といった事柄に至る、まさにその課題を取り巻く「まんだら」を短い時間で完成させるというものでした。お題の文章をただ図解するのみならず、言い足りないところを「想像」(Imagine)し補い、真に伝えるべき情報を「創造」(Create)していく…。課題解決の現場におけるプチファシリテーションといった志向のお題3発で、まさに脳みそ汗だらだらでエキサイティングなひと時を過ごさせて頂きました。次回のお題は衆院選挙の公約図解ですが、さてどこに着目するか悩ましい…ああ、効率的に進めたい。次回もよろしくお願い致します。
  • 本日もありがとうございました。「千本ノック」の第1問目は職場の4人の人間関係で、正直言って「何だ、こんな簡単な課題。」と思いました。ところが、文章に表れていないメンバー同士の関係はどうなっているのかという「?」が重要だったことが後の発表とコメントの中で分かってきました。第2問も同様、問題文の字面だけを図解にしてみましたが、「多忙さ」と「険悪な人間関係」の関連について、さらに人事部としてどう解決の方向に向かったらいいかというところまで深読みするべきでした。第3問ではその反省を踏まえて、自分なりにいろいろ付け加えて表現してみました。今回を通して、文章の上っ面だけではなく、そこから問題点を読み取り解決策を探るといった「想像力」が必要であるということを学びました。
  • 本日もありがとうございました。数行前回よりも増えた文章の図解でしたが、何を図の中心に持ってくるかで3問とも少し悩みました。キーワード同士の関係が分かり動きが出てくると手も動き図にしているのが楽しくなります。みなさんの図解は、文章の単語以外の言葉や、その先まで考えられていて、なるほどと感心しきりでした。みなさんそれぞれの経験も図に生きていたように感じました。次回もどうぞよろしくお願いいたします。
  • 本日もありがとうございました。1000本ノックの今日のテーマは、どれも問題解決と図解を結びつける事例として体感できるものでした。最近、仕事が多く、捌くことで精いっぱいなのですが、図解でフロー図にすることで問題が見える化するものもあることが、今日の図解を通じて確信できました。図解は思考法。自分の理解を表すものということを再認識して、疑問から問題点を見つけ、解決策を導く一連の思考の流れを忘れないようにしたいです。
  • 久恒先生、みなさま。2021/10/20、図解塾三期二回目の授業もありがとうございました!また、お疲れ様でした。図解塾千本ノックは、人間関係、職場環境、NO残業の3本。都築さんが想像力と仰っていましたが、行間と背景をどんな風に捉えるか=つまり自分の経験と考え方が図解に立ち現れてくるんだなと、改めて感じました。ですので、みなさんの図解を観させていただき、説明やコメントをお聴きすることで、自分の図解=理解力・構想力・省略力などの課題も感じることが出来ます。加えて、自分に欠けているものを自分自身の力だけでなくどう補うか、完全であろうとするのではなく複数の集団・チームという形でカバーしあうか、という、前回第1回の千本ノックのときに力丸さんが言及されていた、多様性の具現をどう実現するか、への気づきも得られますね。ちょっと千本ノック二回目だと、自分の中で、慣れの要素が入り込んでるところは気を付けながら、引き続き取り組みたいと思います。「図解は、見えていなかったものを、つなぐもの」by 久恒先生

次回は、衆議院議員選挙の公約がテーです。

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「名言との対話」10月20日入江昭「いつから「現代」になったのか? それは「近代」と何が違うか? 」

入江 昭(いりえ あきら、1934年10月20日 - )は、日本出身のアメリカ合衆国国際政治学者。

東京都生まれ。成蹊高校卒業後、1953年 財団法人グルー基金奨学生として渡米。ハヴァフォード・カレッジ卒業、ハーバード大学大学院歴史学部を修了しPh.D.取得。専攻はアメリカ外交史。

1961年のハーバード大学講師に就任以来、カリフォルニア大学サンタクルーズ校、ロチェスター大学、シカゴ大学歴史学部を経て、1971年シカゴ大学教授。1989年ハーバード大学歴史学部教授に転じ、歴史学部学部長をつとめた。また日本でも早稲田大学立命館大学関西大学客員教授を歴任した。

日本でも1960年代より、『中央公論』誌上などでも活躍した。『日本の外交』(1966年)などに見られるように、思想・文化の影響力を重視するアプローチが特色であり、多国間の視点とその相互作用を組み込む「国際史(International History)」研究をしている。長く日本の針路にも大きな影響を与え続けた論客である。

1970年、論文「平和的発展主義と日本」で吉野作造賞を受賞。1987年、日本人初のアメリ歴史学会会長となる。2013年には国際交流基金賞を受賞した。

『日本の外交ーー明治維新から現代まで 』(中公新書。1966年)では、日本の外交思潮のパターンは、日露戦争時にみられれたように「政府の現実主義と民間の理想主義」の対立であるとし、そこから外交への指針を示した。

五百籏頭真の「私の履歴書」では、「当時、日米関係史研究で学会をリードしていたのは、国際政治学会理事長になる細谷千博一橋大教授や、太平洋を行き来しつつシャープに議論をする入江昭シカゴ大学教授らであった」との記述を私も日経紙上で読んでいる。

1988年のアメリ歴史学会(AHA)会長時代の年次総会でも講演であり、「歴史研究の国際化」の必要を提唱している。その一部を紹介する。

「国の歴史を理解するには、外からだけでなく内からも調べる必要があること、また、歪んだ過去の見方を減らすためには、様々な視点から学ぶことを厭わなければ、誰であっても構わないということを教えてくれました」。

「占領が終わって間もない頃にアメリカに来た私も、他の歴史を学ぶ学生と同じように扱われました。大学や大学院の教授たちは、私が部外者であることを歴史研究のハンディキャップとは考えなかったことに感謝しています」。

「外部からの介入は、より偏狭な過去の見方を形成するためには、国際的な協力が必要であることを示しており、歴史の国際化の健全な発展の一つであると言えるだろう」。

「記憶された過去の総体は、私たち全員が相続人である文明の遺産を形成しているのです。この人類共通の信仰を認識し、再確認するのに、歴史学界ほど適した職業はないと思われます」。

2014年の近著『歴史家が見る現代世界』(講談社現代新書)では、「いつから「現代」になったのか? それは「近代」と何が違うか? 」という問いを発し、地球規模で進行する大きなうねりを見逃してはならないと語っている。

私はある講座で日本の近現代を語るというテーマを掲げた時、近代はいつからで、現代はいつからか、という疑問を持って調べたことがある。そして、定説が無かったことに驚いた。現代はいつから始まったのか。それは「現在」がいつかによって変わってくるのだ。その現在が、戦後間もない時期であるか、バブルの時期か、平成か、令和か、によって現代は伸びていくのである。今の私は明治維新から「近代」が始まり、戦後から「現代」が始まると理解している。

21世紀は国際という二国間関係を超えて、今では地球という視点でグローバルに歴史を考えなければならない時代になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世田谷文学館「描くひと、谷口ジロー」展。

世田谷文学館「描くひと、谷口ジロー」展を先週見てきました。

名前も作品も知らなかったことを恥じる思いがした素晴らしい企画展でした。

谷口ジローは1947年、鳥取市生まれ。京都でサラリーマン生活を送ったのち上京。『犬を飼う』で小学館漫画賞審査員特別賞、『「坊ちゃん」の時代』(原作・関川夏央)で手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。海外にも活躍場を広げ、2003年、『遥かな町へ』で「アングレーム国際漫画祭」のベストシナリオ賞、優秀書店賞を受賞したのをはじめ、鳥取市が舞台の『父の暦』はスペインでも賞を受けた。2011年、フランス文化賞シュバリエを受賞。2017年2月11日、69歳で逝去。

テレビで時々見ている『孤独のグルメ』の漫画を描いた人だった。本名の「谷口治郎」をペンネームで「谷口ジロー」と変えている。カタカタにするとインパクトがあるという例だ。

鳥取市出身。19歳で上京し、漫画家のアシスタントを経てデビュー。92年に「犬を飼う」で小学館漫画賞、98年に作家の関川夏央さんと手がけた「『坊っちゃん』の時代」で手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。久住昌之さん原作の「孤独のグルメ」は、雑貨輸入商を営む男性が1人で食事を満喫する自由を描いて人気となり、テレビドラマ化された。

 海外でも評価され、11年に仏芸術文化勲章「シュバリエ」を受けた。

鳥取市出身。19歳で上京し、漫画家のアシスタントを経てデビュー。92年に「犬を飼う」で小学館漫画賞、98年に作家の関川夏央さんと手がけた「『坊っちゃん』の時代」で手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。久住昌之さん原作の「孤独のグルメ」は、雑貨輸入商を営む男性が1人で食事を満喫する自由を描いて人気となり、テレビドラマ化された。

 海外でも評価され、11年に仏芸術文化勲章「シュバリエ」を受けた。

1956年生まれの小説家、批評家で友人であるブノワ・ペータースというインタビューアーの質問の前に語る理解がいいので、それをピックアップする。2011年8月22日から27日までのロングインタビューだ。

「自分の作品について分析するのは難しい」と本人がいうとおり、インタビューアーの分析が谷口のことがよくわかるという面白い構成になっている。

まず、キャリアの様々な「出会いや出来事」についてからインタビューが始まる。人を理解するときに、私が使う「生い立ち・出会い・出来事」という枠組みは、フランスでも同じだと嬉しくなった、」

  • あなたの作品のステップで重要なものの一つが、『「坊っちゃん」の時代』です。
  • あなたはセリフを重視し、息づかせた。今はなき日本語の美しさがある。
  • 顏の表情や姿勢の正確さは、あなたの作品で驚かされる特徴の一つです。
  • あなたの作品で驚くのは、単純化された人物とほとんど写真的な背景とのコントラストです。
  • 一生勉強を深められるというのは作家の仕事の魅力です。描くたびに新しい題材のスペシャリストになれる。
  • 『歩く人』はフランスで出版された最初の作品でもあります。、、この作品には繊細な絵で描かれた瞑想的な物語があった。、、絵だけで読者をひきつける、、、この劇的魔実験が、その後の作品を飛躍させたと感じます。
  • 孤独のグルメ』、、、原作者の久住昌之とともに、瞑想的な発想と、漫画の読者が受け入れやすい地点を見つけたように思います。
  • フランスでは特に代表作の一つとされる『神々の山嶺』です。長さにも、山をテーマに扱った作品の力にも驚きます。
  • あなたは3つのタイプの漫画を描いていますね。一つは、、オリジナルのもの。二つめは脚本家(原作者)がストーリーを書くもの。三つめは自分で小説を選んで脚色するもの。
  • あなたはセリフ作りが非常にお上手です。
  • あなたの作品で驚くのは、端壽7んかされた人物とほとんど写真的な背景とのコントラストです。
  • フランスで特筆すべきは、あなたは漫画の世界を超えただけでなく、、、。小説や映画を資する人たちの心を掴みました。
  • あなたは情熱的で心に響き、読者をとても幸せにする作品を世に出してきました。これは魔法のようなことです。

谷口ジローは質問に触発されて、自身のことを語る。

勉強。資料収集。大量の資料、写真。背景や衣装。日常生活の詳細。道端で営まれていた商売。背景にも意味がある。背景は物語の登場人物。背景と事物の正確さはとても重要。

  • 漫画表現の特殊性に私はかき立てられます。
  • 何でも漫画の形式にしてみたい。SF、幽霊の世界、哲学の本、芭蕉の俳句、詩も漫画にしてみたい。
  • 仏教思想や仏陀の生涯、仏陀の教えには興味があります。、、、自分のことよりも他者のことを考えることによって自分が救われるといった教えは興味深いし、そう生きたいとは思っています。
  • いつも緊張して、新鮮な気持ちで新しいものに取り組んでいきたいですね。
  • 漫画を描いて生活できればもう充分、幸せという気持ち。
  • 私をかき立てるものは、成功したいという欲求ではなく、大切な漫画を語りたい、描きたいという「望み」なのです。

関係者の証言。

  • 漫画界の小津安二郎川瀬巴水みたいな。
  • 海外(とくにフランス)での評価が高い漫画の「巨匠」です。子どもでも知っている作家。
  • 向上心の人。挑戦されれば必ず受けて立つ。芸術の職人。絵を描くことが人生そのものだった、最後まで第一線。

「自分だけで描きたいものを描く」。アシスタントを使わずに、一人で描きたいと折に触れて語っていたが、それはかなわなかった。

代表作の一つ『「坊っちゃん」の時代』の第1巻を買い、読んでみた。主人公は「明治という時代」で、漱石を縦軸に、当時の文学者らを横軸に配した構成で、時代の空気を感じる名作だ。

以下、登場人物。漱石39歳。独歩34歳。啄木19歳。鴎外43歳。森田草平。蘆花37歳。平塚明子18歳。山県有朋63歳。伊藤佐知千夫41歳。安重根東条英機鈴木三重吉柳田国男30歳。藤村34歳。

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「名言との対話」10月19日。童門冬二「起承転転。最期まで緊張して生き抜く。終活はない、転活があるだけだ」

童門 冬二(どうもん ふゆじ、1927年10月19日 - )は、日本小説家。本名は太田 久行。 

東京下町生まれ。海軍少年飛行兵(予科練)の特攻隊に入隊するが、出撃しないまま終戦を迎える。東京都に入庁し、目黒区役所係員から、東京都立大学理学部事務長、広報室課長、企画関係部長、知事秘書、広報室長、企画調整局長、政策室長を歴任した後、美濃部都知事の辞任に附き合って、1979年に51歳で退職し、作家活動に専念する。広報室長時代に美濃部知事から、やさしい文章を書くことを教えられ、知事に惚れこんで仕事をしていたという。

「ボクの鉱脈は30年あまり勤めた都庁時代にあった。たとえば「組織と人間」の問題。こうしたテーマを歴史小説の形を借りて現代に生かすことを考えたのです。上杉鷹山だって美濃部さんに、ちょっと似ているでしょ(笑い)」。上司に惚れこんで仕事をしていたというから、美濃部は相当に優れた人物であったのだろう。

都知事選で「東京で自慢できるものを3つ挙げてほしい」とのの質問に自民推薦の警視総監経験者の秦野候補は「皇居、地下鉄、高速道路」と答えた。美濃部は「そばとウナギ、きれいな若い女性、そして半蔵門付近のお堀端」と回答して都民の共感を得たというエピソードを思い出した。

童門冬二は17歳で終戦を迎え、特攻隊から戻った少年に対し世間の目は罪人を迎えるようで、童門は傷つきグレた。その傷を癒したのが太宰治の著書であり、その純粋さ優しさに童門は取り憑かれた。童門冬二にとって太宰治はデーモンであり、ペンネームの童門はデーモンから来ている。デ-モンとは、悪魔、悪霊、半神、魑魅魍魎などを意味する。デーモンという言葉はよく聞くが、魑魅魍魎と理解しておこう。その童門の師は山本周五郎太宰治である。

今までこの人の本はよく読んできた。

「自分の中にある鉱脈を掘ればいい」「人物の探求に終わりなし」「起承転転」「少しはまともに働きながら、こつこつ自分の文学を育てていこう」「現地を訪ね、さらには郷土史家の書いたものをどっさり買い込んでネタとして活用」「汗とか油を流して努力を続ける人間、つまりプロセスに生きている人間が僕は好きなんです」 「日々ニュースになる事件や出来事の中には必ず小説のヒントがある」「地方の振興のために命を注ぎながらも、歴史の表舞台に出ることのなかった人たちを掘り起こす」「歴史という無限の鉱脈を掘ることに一生懸命になっている自分がいた」「地方に眠る武将や儒学者などを発掘するようになった」「起承転転」「どこまで経ってもいまの自分に満足せず人生を完結していない」「風度(態度・容姿、人品。風采。風格)」

2011年に訪問した細井平洲記念館の名誉館長は作家の童門冬二だったので驚いた。ビデオで童門は「平洲は鷹山にあなたは山の上の一本松だ。風当たりが強い。しかしあなたは幹である。幹がひっくり返ると枝もだめになると「勇」を説いた」と語っていた。改革にあたるリーダーに必要なのは風を受けて一人で立つ勇気である。 

童門冬二「なぜ一流ほど歴史を学ぶのか」(青春新書)を読了。軽い新書なので気安く拾い読みした。「飛耳長目」。「自分の歴史観。歴史の氷を溶かして、自分の生き方に役立たせる。自分が生きる道しるべ。同時代を生きるという実感」「山川出版社「県の歴史」シリーズと「県の歴史散歩」シリーズ。イモヅル式歴史探究」。「自分の生き方を後押ししてくれるような知識を得て、パワーを得る」。「現役時代にやりたくてもやれなかったことに専念」。「新井白石は、歴史と経済。自伝「折たく柴の記」」「海の果ては空と海がくっついている。天孫降臨は海の彼方からどこかの民族が船に乗ってやってきたのだ。それが空から下ったように見えた」。「起承転転」。「恕。相手の立場に立ってものを考えるやさしさと思いやり」。

この人の著作を何冊も読んでいるし、勤め人を終えたのちに、「組織と人間」というテーマで歴史小説に挑みベストセラーを書くという姿勢に共感を覚えている。童門はどういう人生観と工夫を行っていたのだろうか。

  • 在職中から歴史雑誌(同人誌)を舞台に休日を使って習作活動。
  • 楕円思考、理論と実践、知識と行動、不易と流行、ゼネラリストとスペシャリスト、、。どちらかに偏らずに、どちらの視点や思考法も併せもつ。二者択二。
  • 同時進行。
  • 人生で大切なことはすべて映画から学んだ。小説を書く際の肥沃な肥料。
  • 「なら人間」を目指せ
  • 「自分を高く評価して、謙虚に生きたまえ」。主体性と協調性。
  • 仕事場は自分を磨く神聖な場所だ。
  • 平凡を重ねてついに非凡にいたる。
  • 歴史とは人間の生き方、死に方の集積。50代からは歴史を学ぶのに向いている。
  • 山本周五郎の作品を読んで人間研鑽や人格修行に励む。情を学ぶ心の師匠。
  • 太宰治。人の喜びや感動に奉仕する精神。文学の師匠。
  • 一文のセンテンスは最長でも40字までを限度とせよ。(丹羽文雄
  • 自分の手足を使って得た「なま情報」に勝るものはない。活字情報は「干物」。
  • 話法は落語から学んだ。6代目三遊亭円生。3分に一回は笑いをとる。
  • 「お前の敵はお前だ」(石川淳
  • 「人の多くは死ぬべきときに死んでいく」
  • 「たとえ世界の終末が明日であろうとも、私は今日、リンゴの木を植える」(コンスタンチン・ゲオルギュ)

童門冬二は「高齢者になったら、そばにいてくれるだけでいい人になりましょう。聖路加病院の日野原先生のように、という、私なりの生涯学習の目標がある」 。現代では90歳を超えてベストセラーを連発し、105歳で先日亡くなった日野原重明先生を励みにしながら小説の執筆を続けている。

「起承転転。最期まで緊張して生き抜く。終活はない、転活があるだけだ」。「起・承・転・転。終身現役、命の最後の一滴まで燃焼させたい」。

高見順の『起承転々』という作品のタイトルを人生の指針としている。そしてその「起承転々」という考えに感心し、使っている私がいる。人は一つ前の世代の先人から学びながら生きていくのだと改めて思った。

本日95歳となった童門冬二は、自衛隊の幹部学校で「徳育」という講義科目を持っている。歴史上の人物で当てはまる人を探して紹介している。道徳は、人物論で教えるしかないという考えだ。私の「名言との対話」への援軍を得た思いがする。