「あいつがああなったのは、ああだったからだ」--小学校以来の友達

夜は、神田和泉屋の「坐」(くら)で、懐かしい友達と飲んだ。

思いかえせば、小学校、中学校、高等学校、大学と全て同じルートを歩いてきている。このI君は、大学では工学部を選び、卒業後は東芝に入った。水力発電を専門としてその部門の責任者をしていたが、5年ほどまえに中国の国営企業を買収した1000名ほどの企業の総経理(社長)をしている。

この会社では、招かれて中国人を相手に講演をしたことがあり、またゼミの中国人留学生の教え子が大学院で修士論文を書く時にインターンシップでお世話になったり、そして私のゼミから東北大学大学院に入り卒業した中国人留学生が昨年秋からこの現地企業に就職しているなど、縁が深くなっている。

社会主義国国営企業を資本主義の日本の会社が買って運営するということの苦労を思った。日本の国営事業の民営化どころの話ではあるまい。骨の髄から社会主義的な風土なのだろうから、ひとつひとつ考えさせられながら運営していくから、いろいろと深い勉強になったに違いない。

小学校からの同級生で広告代理店をしていたM君、セメント会社に入ったMD君、亡くなった割烹を開いていたO君、広島で技術関係の会社を経営しているH君などが話題になった。それぞれ小学校から、高校からという友人だが、その当時から、彼らの社会での歩いてきた軌跡の芽があったという話になる。

「あいつがああなったのは、ああだったからだ」というような感じだ。

性格というものは、子供頃から特徴が出てくる。その性格は大人になっても変わることはない。どういう分野に進むにしろ、その人らしい選択や対応で、人生を築きあげていく。人生という構築物には、性格という基本ソフトが組み込まれている。

小林秀雄が「人はその人にふさわしい事件にしか出会わない」と言っているが、この言葉には深く納得する。

今日一緒に飲んだI君は、コツコツとしぶとく努力し派手な秀才たちに伍していくタイプだったから、40代の頃、大きな会社で頭角を現わしていると聞いたとき、「さもありなん」と感じたことを思い出した。

I君からみると、現在までの私の軌跡の芽は昔からあり、不思議には思わないのだそうだ。


近々、またI君の中国の会社を訪問することになった。