中津3日目。大分県功労者表彰で母親が県知事から表彰をうける。

文化の日大分県功労者表彰で、母親が県知事賞を受けることになった。私はその付き添いで大分のレンブラントホテルまで93歳の母親を車で連れて行く。

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10時半からの表彰式。広瀬知事の挨拶。コロナと災害に触れた後、子育て環境日本一、健康寿命日本一、障害者雇用日本一を目指していること。ウェブ教育、AI 、IOT、、。「永年にわたり尽力された功労が著しいので表彰します」。そして必ず「ありがとうございました」と各分野の代表者に声をかけていたのが印象的。そして名前が発表されるたびに一人ひとりのに向かって目で挨拶をされる。声には張りがある。

様々な分野の功労者83人が表彰された。中津からは5人ほどであった。母親が表彰されたのは学術、文化関係で3人だった。1人は交響曲の指揮者、1人は日本画家、そして母親は歌人という紹介。終了後は知事と一緒に記念撮影。

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昼食はホテルのレストランで日本航空時代の九大の先輩で、別府の立命館アジア太平洋大学の教授をしていた畠田さんと17年ぶりの会話。

帰りに宇佐インターで降りて、千葉雄くんと3人で久しぶりに歓談。その後、母親を施設に送り届ける。

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夕食は藤田君ら同級生達と食べ、飲むことになった。

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 「名言との対話」11月3日。アンリ・マチス「正確さは、真実ではない」

アンリ・マティス(Henri Matisse, 1869年12月31日 - 1954年11月3日)は、フランス画家

 フランス北部のノール県生まれ。父親の要望により弁護士を目指すが、虫垂炎を患い入院中に母親に絵画を勧められ芸術の道へ進むことを決心し美術学校へ進学する。「帽子の女性」と「開いた窓」をサロンに出品し、批評家から「フォーヴ(野獣)だ!」と酷評される。これをきっかけに「フォーヴィズム」が広がっていく。ゴッホの影響を受けた自由で激しい色彩と大胆なタッチが特徴である。マチス1906年に12歳年下の天才パブロ・ピカソと運命の出会いをする。

写真の登場によって本物そっくりの絵は好まれなくなったため、「絵画にしか出せない表現」をもとめて画家たちは苦悩するようになる。その回答であるマティスの「フォーヴィズム」は、「私の色選びは、いかなる科学的な理論にも基づいてはいない」という。マチスは現実の色彩から絵画を解放した画家だ。それに影響を受けたピカソキュビスム(立体派)は、形体を現実のものから解放した画家である。フォーヴィズムの活動期間は数年と短かった。その後、マチスの絵は荒々しさは影を潜め、フォルム(形体)と色彩は次第に単純化していき、独特の色面による構成的な画風となっていく。

晩年には体力の衰えから、油絵ではなく切り絵による創作表現が主流となる。最晩年には南フランスのヴァンスで、修道院の礼拝堂の装飾に携わり、人生の集大成ともいえる作品を残している。

「色彩の魔術師」マチスの 「正確さは、真実ではない」という考えは、ピカソと相い通ずる。対象の現実の色や形にこだわらずに、物同士の違いを描こうとした。20世紀を代表するこの二人は切磋するライバルであり、琢磨する親友であった。対象を正確に描かなくてよいという驚くべき思想は、後の抽象画へとつながっていく。