松下幸之助メモリアルホール・与謝野晶子文芸館

k-hisatune2008-05-31

10時56分に新大阪に着いて茨木にある川端康成文学館を訪問するが館内整理のため休館だった。十分な準備をせずにいきなり訪問するとこういうことがある。記念館というのは案外休みが多いから気をつけたい。
気を取り直して西三荘に向かう。松下電器、今はパナソニック株式会社の本社地区に「松下電器 歴史館 松下幸之助メモリアルホール」がある。ここは創業50周年記念事業として1968年に本店社屋を復元した建物で、幸之助西端100周年の1995年に幸之助中心の展示に変えている。社名変更とブランド統一を断行した大坪社長が、創業時の経営理念の大事さを熱意を込めて、真摯に、そしてなめらかに語っているビデオが繰り返し流れている。
このホールには経営の神様と讃えられた松下幸之助(1894−1989年)の言葉が並べられている。最初のコーナーである「何のための営業か」というところには、「5つの添え物」、「セールスマン6つの心得」、「商売戦術30か条」、「人事方針」が掲示されている。
また、展示にはポリシーがあって、「何のための営業か」、「何のための人材育成か」、「何のための人材育成か」、「何のための仕事か」、「何のためのグローバル展開か」、「何のためのグローバル展開か」、何のための商品開発か」、「なぜ共存共栄なのか」、「なぜ利益が必要か」、「何のための経営か」と説明の基本がしっかりとデザインされていていい。
ハイビジョンコーナーでも幸之助の言葉が語られる。「神の仕事」「聖なる仕事」「難しいお客様はありがたい」「戒めと慰め」「素人になって使う」「娘を嫁にやったようなもの」「損して得とれ」「いっさいがサービスから始まる」「真剣勝負」「損はあり得ない」「物、金、人の心」など痩躯の幸之助の語る金言を聞くことができる。
1933年から37年までいた所主室では、「金はすべて国からの預かり物」「松下電器は社会からの預かりものである」、「松下電器の遵奉すべき五精神」、「松下電器基本内規」などが掲示されいて、深く納得する。
松下幸之助は哲学、考え方、そしてそれを表現する言葉がすばらしい。
「広告は善。良い製品であればそれを人々に知らせる義務が企業にはある」「ものをつくる前に人をつくる」「一日教養、一日休養」「自己観照」「日インゲンというものの教育を怠った」「人使いのコツは誠心誠意以外にない。そして長所を見ていく」「自分自身で自分を育てていかなければならない」「社員はみんな自分より偉い人だった」「命をかけて仕事をしても命はなくなりません」「朝に祈り、昼に活動し、夜に反省する」「断じて行えば解決していく」「産業人の使命は貧乏の克服である」。
名言が山のように積まれいる記念館だが、さらにいくつか挙げてみたい。
「先ず人間としての良識を養うこと」「商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり」「商人に好況、不況はない。いずれにしても儲けなくてはならぬ」「「よい経営の根幹は人であることを知らねばならない」「世の多くの人たちの生活を一日一日と高めていく。そこに生産の使命というものがある。その尊い生産の使命を果たしていくためには会社に資金が必要である。その資金を利益のかたちにおいて頂戴するのである」「企業は社会の公器である」
まだまだ語り尽くせない叡智の泉のような記念館だ。

その後、堺市に向かう。前々から行きたかった与謝野晶子文芸館を訪問する。与謝野晶(1878−1942年)については仙台文学館での企画展などで接しているが、生まれ故郷の記念館はどのように扱っているだろうか。今回は、人間・与謝野晶子を観察する。
晶子は鉄幹との間に11人の子供をもうけている。24歳で長男光、26歳で次男秀、29歳で長女八峰、次女七瀬(双子)、31歳で三男麟、32歳三女佐保子、33歳で四女宇智子、35歳で四男アウギュスト、37歳で五女エレンヌ、38歳で五男健、39歳で六男寸、41歳で六女藤子。41歳までいつも妊娠状態だったということだろう。これらの子供名づけ親は、上田敏薄田泣菫森鴎外ロダンたちだった。「母として女人の身をば裂ける血に清まらぬ世はあらじとぞ思ふ」。
亡くなった日の朝日新聞の記事があった。記事では、詩操では「一世を驚倒せしめ」、明星では「一世を風靡した」、「名著を残し」、評論では「一家をなし」、「一面、女子教育家」だたっとその幅広い活躍を報じている。川田順の追憶では「若くして名をなした天才、、、」「敬服すべき糟糠の妻だった」ともあった。
生涯に5万首の歌を詠み、23歌集を出版した与謝野晶子の歌は、「乱れ髪」「火の鳥」「白桜集」などの中に好きな歌がある。
「源氏をば一人となりて後に書く紫女若くわれは然らず」
消失した源氏物語の現代語訳に57歳から再び挑戦して60歳で全訳六巻を刊行してもいる。
いずれにしても晶子のエネルギーは並大抵ではない。