東京ステーションギャラリー「安井仲治」展。京橋で兄弟会、KITAHARA COLLECTION。「川柳まつど」。

「川柳まつど」462号が到着。今回は5句が採られました。

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以下、宿題と採られた川柳。

  • 「発見」(米島暁子選)「三高も 美女も美男も みんな元」
  • 「つくづく」(高橋和男選)「バカ阿呆無恥ウソつきの勢ぞろい」
  • 「ツアー」(矢嶋もとえ選)「人生は 人・旅・本の 縁めぐり」
  • 「ツアー」(小林洋子選)「人生は 人・旅・本の 縁巡り」
  • 「出合う」(山内幸次選)「たまたまと たまたまの縁 大都会」

「句と向き合う」(川柳まつど460号より。坂部忠昭)で「がんばろう ウエストサイズ 物語」が「ユーモア句」との評。

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昼食は京橋のエドグラン・サウス6階の「頤和園」(いわえん)で兄弟会。楽しく3時間を過ごした。次は5月の息子の結婚式で集合。

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2次会は同じビルの3階でしたが、ブリキのおもちゃ収集家の北原照久さんの店。ここも「KITAHARA COLLECTION」の展示場なっていました。

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兄弟会の前に、東京ステーションギャラリーの「安井仲治ーー僕の多雪な写真」展をみました。写真集「安井仲治作品集」(河出書房新社)を購入。写真集なので、いつも買う図録よりも1000円ほど高い。

 

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「名言との対話」2月28日。山下俊彦「一番気を付けなければならないのは報告ですね。それも、相談する形で報告するのが、一番大切です」

山下 俊彦(やました としひこ、1919年7月18日 ‐ 2012年2月28日)は、日本実業家松下電器産業株式会社(現・パナソニック株式会社)の3代目社長。

工業高校卒の叩き上げで、創業者松下幸之助による異例の大抜擢を受けて取締役26名中序列25番目から1977年に58歳で社長に就任した。この大抜擢人事は、体操選手の山下治広が披露した跳馬の技にちなんで「山下跳び」と呼ばれ話題になった。私が社会人になって数年しか経っていない北海道勤務の時代だったからよく覚えている。取締役の末席にもかかわらず、すけずけと意見を言っていたのを松下幸之助が見初めたのである。

以下、 飯塚 昭男『山下俊彦経営語録―企業変身を狙う松下電器産業の意識革命』などからの山下語録。

  • 短所を直すにはすごいエネルギーが必要さけど、長所を伸ばすのは楽である。
  • 人間をつくるということは、仕事をまかせるということ。
  • 無難な人事では意味が無い。意外性のある思い切った人事こそ人と組織を生かす。
  • 決定するのがリーダーです。結論は間違ってもよい。そのときにとれる最上の決断であればいい。
  • 再建のポイントは、会社の経営状態の悪さを従業員に正確に知らせることだ。
  • 社会を取り巻く環境の変化と、自分の仕事との関係をいつでも基礎的、歴史的にみつめよ。
  • 厳しい状況にあるからこそ、社内が団結し、新社長の色が出せる。花道(はなみち)論などナンセンス。

山下俊彦は住友生命の社長、会長を経て、松下政経塾理事長となった新井正明の対談集『心花、静裏に開く 人物となるために』で語りあっている本も読んだ。

山下俊彦は若い頃から「仕事は仕事、人生は人生」と割り切り、本をよみ、山に登り、碁を打った。自分の時間を大事にした人だ。社長になってからも、「(創業者に)気配りなんかしていたら、仕事にならんですよ」と思い切って仕事をした。

仕事に関する名言が多いが、特に「相談するという形で報告する」という知恵には同意する。そして山下俊彦は楽観的な精神で社長業をこなし、終わったら会長にはならずに、相談役に退いている。この人には何か人間としての健やかさを感じる。