継続と記録の人−−本居宣長に学ぶ

本居宣長(1730-1801年)は、35歳の時に着手した「古事記伝」全44巻を、35年の歳月をかけて70歳で完遂し、翌年亡くなっている。

日記は、自分の生まれた日まで遡って書き、亡くなる二週間前まで書き続けていて、「遺言書」を書いて葬式のやり方から墓所の位置まで一切を支持している。宣長は記録魔だった。

宣長は学問において、最も重要なことは「継続」であると考えていた。そのためには生活の安定が大事だと考えていた。彼の生活スタイルは、昼は町医者としての医術、夜は門人への講釈、そして深夜におよぶ書斎での学問だった。
多忙な中で学問をするために、宣長は「時間管理」に傾注する。近所や親戚との付き合いをそつなくこなし、支出を省く。そうやって時間を捻出し、金をつくり書物を買い、そして学問の道に励んだ。学問する環境をいかに整えていったか、そして日常生活をいかに効率的に過ごすかというマニュアルが膨大に残っている。

「されば才のともしきや、学ぶことの晩(おそ)きや、暇(いとま)のなきやによりて、思ひくづれて、止(や)むことなかれ。とてもかくても、つとめだにすれば、出来るものと心得べし。すべて思ひくずるるは、学問に大にきらふ事ずかし」
(自分には才能がない、学問を始めたのが遅い、勉強する時間がないからといって、学ぶことを怠ってはいけない。如何なる場合も諦めず努力しさえすれば、目的は達し得るものであることを知るべきである。道半ばで挫折をしてしまうことが、学問の神様の最も嫌うところである)

本居宣長は五百人の門弟を抱えていたが、彼の偉い点は、「学ぶことの喜びを多くの人に教えた」ことにある。

養子の太平が描いた図が残っている。「恩頼図」といって、自分の学問にあたって恩を受けた人々と、自分を通してその学問に連なる人々の名前が記録されている。中央に宣長自身と、宣長が著した古事記伝を中心とする著書も配置されている。

三重県の松坂には本居宣長記念館(吉田悦之館長)があり、そこには1万6千点に及ぶ宣長に関する資料が保存されている。今年はこの記念館にも訪れたい。

本居宣長の本分は、学問と和歌にあった。今日は私にとって大切な日だったが、本居宣長のことを書くことになったのも何かの思し召しだろう。
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今日の一首。
 犬友となりし夫婦の名も知らず 今朝も笑顔をであいさつ交わす