奈良本辰也編「日本の藩校」を読了。
- 作者: 奈良本辰也
- 出版社/メーカー: 淡交社
- 発売日: 1970
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会津藩の日新館、元藩の弘道館、松代藩の文武学校、福井藩の明道館、宇和島藩の内徳館、岡山藩の岡山藩学校、津和野藩の養老館、長州藩の明倫館、佐賀藩の弘道館、熊本藩の時習館、鹿児島藩の造士館が俎上にのぼっている。
昭和45年の発刊という大学批判の高まりから大学紛争が多発した時代状況から、国立・公立の大学に対する批判がこの書全体に通底している。私立の多種多様な私塾が数多くの逸材を輩出したのに対し、官学としての藩校は守旧的な役人を出したに過ぎないというトーンである。
山形の鶴岡藩の明倫館を訪ねたことがあるが、維新回天の立役者・清河八郎は、荘重な建物で講じられてた内容をまったく評価していなかった。家族にあてた手紙では「学問のためにはまるでなりません。聖堂(明徳館のこと)より大豪傑が出たことがなく、田舎では公儀の聖堂といえば大変なところと思っているでしょうが、実際はとるに足らないところです」と述べていた。
この本では、林羅山の家内塾が家康ら権力者の庇護のもとに、体制擁護の学問として訓詁学に堕した朱子学を教える官学の総本山として、昌平黌になっていく様を語っている。
その亜流たる藩校はそれぞれ特色はあるものの、昌平黌のミニ版がであるという観察である。
水戸の弘道館、会津の日新館などいくつかの藩校を見たことがあるが、立派な中国風の建物と孔子を祀る廟など、中国精神を崇拝する場所であるという雰囲気に、違和感を感じたことを思い出す。
荘厳、荘重、重厚、という雰囲気がある種の権威を感じさせる。
暗記を主とした学問体系で徳川幕藩体制を守る人材を養成し、また学問を立身出世の道具とする若者を集めた藩校、というのはやや酷な見方だが、そういう面がこの藩校の本質だろう。
「日本の私塾」に書かれている自由闊達で、競争の激しい、そして時代のテーマに向き合おうとする私塾、また創設者の学者の志と教育理念、工夫を凝らしたカリキュラム体系などの躍動感に比べると、藩校の記述は分が悪い。
現代の東大を頂点とする国立大学、そして各県にできている公立大学には、「建学の精神」のようなものをあまり感じない。それは高校、中学校、小学校に至るまで同じだ。
一方、私立の学校には、創立者の銅像が建っていたり、建学の精神を重んずる気風を大事にしているところが多く、危機に際してもおおもとに戻ろうという気運が生まれることが多い。ここに私学の存在理由がある。
「日本の私塾」と「日本の藩校」の両書を読み終えて、「私塾」という存在に私立大学で教育に任にあたる者として励まされる想いが強い。またゼミナールと呼んでいるゼミは、教員自身が創設した塾であるという気概を持って、自らの教育理念のもとに学生を感化していかねばならないと改めて感じた。
多摩大の「現代の志塾」という教育理念は、再生のための旗印として、強いメッセージ力があると確信した。
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大学でたまっていた書類一括整理。
S出版社と3時間ほど書籍の仕事。