「昭和の妖怪 岸信介」--何をしたかということが問題であってね

岩見隆夫「昭和の妖怪 岸信介」(中公文庫)を読了。

岸信介(1896-1987年)は、「満州」と「安保」をやり遂げた。
39歳で満州に渡り3年余にわたって満州国の運営と統治に実績を引っ提げ、日本の商工省次官として凱旋。東条内閣の商工大臣と軍需次官になるが、衝突し東条内閣をつぶす。戦犯容疑で3年3か月の間巣鴨に入るが幸運にも戦争犯罪人の重罪をまぬがれる。53歳の再出発だ。その後、世界に入り、緒方竹虎というライバルの死という幸運や石橋湛山首相の病気退陣などの幸運によって、一気に総理の座をつかみ、不平等条約である日米安保の改定に成功し退陣する。辞任後も長い間、隠然たる力を保持した。

岸信介は、1960年の日米安保改定の首相として批判が多い人物である。岸は故郷の吉田松陰を尊敬していた。
この岸には常に金にまつわるうわさが絶えないが、それ明らかになったことはない。この人は悪評紛々なのだが、高杉晋作に知性をつけたような人物という評があるように近い人は一様に「偉い人」だと誉め、近づくと朗らかな態度にファンになる人も多い。また風評と実物のギャップが極めて大きな人物で、複層的な複雑な性格を持つ岸は、やはり妖怪であるということで、本書のタイトルがついた。「妖怪」という岸評は、この書に負うのだろう。

現在でもテレビで顔を見せる筆者の岩見隆夫(1935年生)は、1979年にこの書を書きあげるのだが、本人に対するインタビューでは警戒しながらも岸の魅力にひきこまれながら、慎重に筆をすすめている。この当時、岸は82歳だったが、生臭ささを失ってはいなかった。

2012年の文庫版にも岩見のあとがきが載っている。33年の時間が経っているが、岩見は「岸は妖怪的ではなく妖怪と言い切っていいだろう」と改めて述べている。
この本では、国歌の運命を委ねられた最高指導者の考え方と行動が明らかにされている。

「内閣というものは、時期が長いのが偉いんじゃなしに、何をしたかということが問題であってね」