サクラ前線に死す

立川

・所用を済ます。

・電話で打ち合わせ:近藤秘書、杉田学部長。高野課長、、、。

 

荻窪

・角川公園の「幻戯山房」を訪問。角川書店の創業者・角川源義の住居跡。

橘川幸夫さんと喫茶で打ち合わせ:ゲーム研究会。中川大地、大野清一、榎本統太高橋しんすけ、、。日本未来学会。リカレント教育。寄付講座、西村、eラーニングとスクーリング、知のカルテ、ブロックチェーン、、、、、。

・日本地域社会研究所を橘川さんと吉池さんと訪問。夕刻から飲み会を兼ねた企画会議。

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 「名言との対話」1月18日。岩見隆夫「晩年は、毎春、サクラ前線に合わせて、主として徒歩で日本列島を北上、ついで夏祭りをたどりながら南下、各地の銘酒を訪ね歩いた」

岩見 隆夫(いわみ たかお、1935年10月6日 - 2014年1月18日)は、日本のジャーナリスト政治評論家 

2000年発行の『私の死亡記事』(文藝春秋社)は、「ご自身の死亡記事を書いてください」という依頼に各界102人が応えた文章をまとめた企画である。当時64歳の岩見は「サクラ前線に死す」というタイトルで次のように人柄を髣髴とさせる文章を書いている。

美瑛町で今年最後の桜を観賞中、突然倒れ、救急車で運ばれたが、まもなく死去した。運ばれる途中、「サクラ、サクラ……」とつぶやいたのが最後の言葉になった。、、、、晩年は、毎春、サクラ前線に合わせて、主として徒歩で日本列島を北上、ついで夏祭りをたどりながら南下、各地の銘酒を訪ね歩いた。、、、、「徒歩・桜・祭・酒の四拍子人生だ」が得意のセリフだった。テレビドラマ「水戸黄門」をもっとも好み、漫遊癖もその影響ではないか、と知人たちは語っている。

その後、10数年を経て亡くなった岩見隆夫についての2014年1月18日の毎日新聞の訃報記事は以下の通りであった。

 「毎日新聞社特別顧問の岩見隆夫(いわみ・たかお)さんが18日、肺炎のため東京都新宿区の病院で死去した。78歳。葬儀は近親者のみで営む。後日、お別れの会を開く。自宅は静岡県熱海市網代549の19。喪主は妻雅子(まさこ)さん。 旧満州生まれ。終戦で引き揚げ山口県に。1958年京都法学部卒。同年毎日新聞社入社。政治部副部長、論説委員サンデー毎日編集長、編集局次長、特別編集委員などを歴任した。 89年9月から昨年12月まで、朝刊コラム「近聞遠見」を執筆。同コラムと昭和天皇の政治との関わりを浮き彫りにした連載「新編・戦後政治」の努力が評価され、92年に日本記者クラブ賞を受賞した。政治ジャーナリストとしてテレビなどでも活躍した。 昨年6月、週刊「サンデー毎日」のコラム「サンデー時評」で、肝臓がんであることを明らかにし、新宿区の病院で治療を続けていた。サンデー時評は死去の直前まで続けた。主な著書に「昭和の妖怪 岸信介」「総理の娘」「陛下の御質問」「角さんの鼻歌が聞こえる」など」。本人の希望とは違って実際の死亡記事は仕事中心となってしまった。

テレビ「みのもんたのサタデーずばッと」では毎週出演して政治評論を行う姿はよく見かけたのだが、サクラ前線を徒歩で追いかけながら、各地の銘酒を訪ね歩くという岩見隆夫の理想の旅は私の年来の希望と似ているので共感を覚える。「沖縄八重岳は1月18日に桜祭り。北海道・宗谷岬公園の桜は5月中旬が見頃。ソミヨシノは九州から北海道まで4月1日から5月中旬過ぎの二か月足らず。紅葉前線を追って北海道から南下する旅はどうか。私なら、温泉、人物記念館、知研、車、SNSとなるだろうか」と私は2014年のこのブログで記していた。生前に「私の死亡記事」を書いておくのも悪くない。

 

 

私の死亡記事 (文春文庫)

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