山本有三ふるさと記念館

山本有三ふるさと記念館。栃木市

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山本有三(1887-1974年)が、これほど有能で多彩な活動を送っていたとは知らなかった。大人物である。

三鷹の洋館である山本有三記念館には訪問したことはあるが、それほど強い印象は受けなかった。このふるさと記念館は、「蔵の街」栃木の日光へ続く列弊使街道に接している。蔵を記念館に改造した建物だ。

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山本有三は、この記念館に展示によれば、劇作家、小説家、教育者・文化人、政治家という4つの活動を行い、それぞれの分野で一流の価値ある仕事をしている。

路傍の石」の中の言葉がいい。

「たった一人しかない自分をたった一度しかない一生をほんとうに生かさなかったら人間生まれてきたかいがないじゃないか」

第六高等学校合格後の父急死による断念、第一高等学校学科試験合格後の体格試験での不合格を経て、第一高等学校文科に入学したときは、すでに満22歳になっていた。一高での落第、2年終了で東京帝国大学逸文学科入学などで、同級生に多くの優れた友人を持つことになった。近衛文麿土屋文明芥川龍之介菊池寛久米正雄、新関良三、三井光弥、、、。落第を含む変則的な人生にも、そういう効能がある。そして有三は生涯にわたってその縁を生かしている。

二度目の結婚で得たはなは、近代的なセンスと文学的素養があり、有三にとって理想の人であった。はなは生涯にわたり、妻と秘書の一人二役を精魂込めてはたした。はなの助力がなかったら、あれほど幅の広い勝津派不可能だっただろう。

山本有三の思想の核には、自然的事実としての生存闘争と、道徳的善の要求がある。題材に応じて戯曲と小説に書き分けたのである。

有三の教養小説は、人間の外的成長に内的発展をからませて、主人公が何らかの人生の知恵に到達する過程を描く小説だ。「路傍の石」、「真実一路」などがそれである。現実の社会を一大劇場に見立てて、普通の人の群像を登場させ、人生の喜怒哀楽を描く。左右のあらゆる主義も単なる社会現象として著述する視野の広い作風である。

明治大学文科専門部文芸科長に招聘されたとき、教授陣は山本有三の厚みのある人脈が動員されている。里見弴、岸田国士横光利一土屋文明久保田万太郎小林秀雄獅子文六萩原朔太郎、谷川徹郎、長与善郎、舟橋聖一今日出海、、、。「人をつくる」「人物を養成する」「子どもを育成する」という表現を好んだ。教育方針は「作家を作る」ために、「自ら会得させる」「芽を伸ばさせる」ことを重視し、見学、座談という体験学習にも力を入れた。

吉祥寺の家では、家族と仕事場を隔てるシャッターつき階段も用意したのも興味深い。

戯曲「米・百俵」では、小林虎三郎を題材に「人物さえ出てきたら、人物さえ養成しておいたら、どんな衰えた国でも、必ず盛り返せるに相違ない」ことをテーマとしている。

国語改革についても功績がある。GHQが日本語のローマ字化を目指す案を持っていたが、山本有三に「日本語の問題は自分たち日本人の手で解決するから口を出さないでもらいたい」と拒絶している。「国民の国語運動連盟」は、日本国憲法の口語化を実現した。国語審議会の「常用漢字表」の主査委員長となり、「当用漢字表」案を提出する。当用とは「当面使用すべきもの」という意味である。参議院議員に出馬したのは「国語研究所」をつるためだった。。「新しい国家を築きあげてゆこうとする時、文化人みずからが引っ込んでいて、どうして、本当の文化国家を建設する事ができましょう」。参院では「緑風会」を田中耕太郎らと結成している。有三命名のこの名前は、参院を理性の場にしたいという念願ならであった。仮名交じり文ではなく、漢字交じり文を主張し、耳で聞いてもわかる文章、文体を作りあげようとした。また山本有三は国語教科書を責任編集している。山本有三は文壇的存在よりも、社会的存在になっていく。

「今ここで死んでたまるか七日くる」が辞世となった。猛烈な仕事師であった山本有三らしい。

山本有三は幅の広い活動を生涯行ったが、私の見るところ、この人は教育者であった。教育者的資質が、様々な方面に生かされたと思う。

 

 

知研岡山のお二人を野田先生に紹介。

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 昼食は、赤坂プリンスのクラシックハウスにて。

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 「名言との対話」3月23日。川上哲治「中途半端だと、愚痴が出る。いい加減だと、言い訳がでる。真剣にやれば、知恵が出る」

「リーダーは人をリードできるだけの人物に早くならなくてはいけないと思う」

「チームの目標にどうやっていくかと考える選手たちをうまく育てていくことですね。だからものの考え方の基本というものが相当大きな問題になってくるような気がします」

「チームのためにやることがおれのプラスになるというようなことをかぶらせながら率いていくリーダーでなければ、なかなか選手をうまく働かすことができないという時代になっていくんじゃないでしょうか。根底はデータ、セオリーだと思いますけどね」

プロ野球では監督が代わるのは弱い時なんです。新しい監督というのは経験もないうえに弱いチームを引き受けなければいけないんですから非常に過酷なんですね」

「“勝負”の二字には、文字通り“勝ち”と“負け”しかない」

「勝負に強いか弱いかは、執念の差」

「組織のリーダーは、自らが良く思われたいという我執、とらわれの気持ちを捨てねばなりません」

「ときに部下や周囲の不興を買うことがあったとしても、大義を表現するために成すべきことを成す。そういう強い信念を持った人間でなければ、リーダーは務まりません」

「周囲からどう評価されるか、という不安や心配から自らを解き放って、自分の想念を「無の境地」に置けば、問題の所在が良く見えるようになります。あとは、その問題を淡々と解決していく。こうすると自分も楽になるし、不思議なもので、だんだんと勘も冴えてくる」

「成功する人とは、この冷や飯を上手に食べた人であるといってよい」

「疲れるまで練習するのは普通の人。倒れるまで練習しても並のプロ。疲れたとか、このままでは倒れるというレベルを超え、我を忘れて練習する、つまり三昧境(さんまいきょう=無我の境地)に入った人が本当のプロだ」

巨人軍の4番打者のとき「ボールがとまって見える」という境地にまで達した川上哲治は、日本一9連覇という空前絶技の偉業を成し遂げ、監督としてもその境地に達した。ここにあげた言葉を眺めると、人間集団を率いるマネジメントの大家であったとの感を深くする。