出版社社長、発明学会会長、哲学者、元校長、ボイストレーナー、弁護士、作家、編集者、定期借地借家推進機構副理事長、、。

夕刻から、日本地域社会研究所で企画・編集会議という名の飲み会。人が来たり、帰ったりで入れ替わる。発明学会会長、定期借地借家推進機構副理事長、哲学者、元校長、ボイストレーナー、弁護士、作家、出版社社長、編集者、、。

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 知的生産の技術研究会の例会セミナーの予定。メーリングリストで流すこと、HPに書き込むこと。

・1月26日:矢矧精一郎:会場は代々木。

・2月23日:鹿児島の女性。会場は代々木。

・3月16日:中沢(日経新聞)「私の履歴書」の書き方」。会場は荻窪の地研。

 

 「名言との対話」12月21日。松本清張「疑いだね。体制や学問を鵜呑みにしない。上から見ないで底辺から見上げる」

松本 清張(まつもと せいちょう、1909年明治42年)12月21日- 1992年平成4年)8月4日)は、日本小説家

北九州の小倉城脇に立つ地上2階、地下1階の松本清張記念館を訪ねる。床が磨きこまれていて、手入れの行き届いた素晴らしい記念館である。自宅を模した建物が一階と2階から見れるようになっている。放映しているビデオは、縁のあった編集者たちが語る松本清張を流していて興味深い。この作家の作品は映画化されたものが多いが、そのいくつかを上映もしている。読書コーナーも設けてある。作品もたくさん用意されており、好きなものを買うのに困らない。今までみた記念館でも最上の記念館のひとつである。

作家活動40年の間に書いた作品は長編・短編を含め実に1000編に及ぶ。著書は700冊。全著作がステンドグラスのように展示されている趣向にも感心した。42歳という遅い出発だったにもかかわらず、この量と質だから、常に時間との戦いということを意識していたのもうなずける。出来合いの分野の垣根を軽々と越えてあらゆるジャンルに関わりながら書き続けた。分類では、歴史・時代小説、自伝的小説、評伝的小説、推理小説、自伝・エッセイとなっていた。邪馬台国論争などにも関わり、歴史学者の心胆を寒からしめたり、とにかく守備範囲が広い。

清張の文学を「脱領域の文学」という評もある。主題によって小説の形式を決定し、表現方法を考えるという作風で、フィクション、ノンフィクション、評伝、古代史、現代史とあらゆる分野を跨いでいった国民作家である。堅固な構造のストーリー・スピード感のある展開・絶妙に語られる人間や風景の描写・これらの要素が織り成す小説的リアリティ。

松本清張は、昭和55年から日記をつけ始めた。清張71歳の時である。内容は旅の記録、人との交遊、歴史上の事件に対する懐疑、人物批評、などさまざまだが、清張らしい緻密な内容だ。この年齢での行動力に感心する

「小説も正式に勉強したことがないし、何をやっていいかわからない。ただし人の足跡のついていないところを歩いてみたい。」

「 疑問のところをとらえて、それを深く突っ込む。だから調べていく。探索していく。これがまた、自分の好奇心を満足させるわけです 。」

「歳をとって、よく人間が涸れるなどといい、それが尊いようにいわれるが、私はそういう道はとらない。それは間違っているとさえ思う。あくまで貪欲にして自由に、そして奔放に、この世をむさぼって生きていたい。仕事をする以外に私の涸れようなんてないんだな。」

北九州市小倉の松本清張記念館で「1909年生まれの作家たち」という企画展が行われており再訪。中島敦太宰治大岡昇平埴谷雄高、そして松本清張という並べれた作家たちの生きた時代に興味を持った。1909年という年は、伊藤博文が朝鮮で暗殺された年であり、文学誌スバルが創刊された年でもある。年譜をみると、彼らの少年時代は大正デモクラシーの時代で、自由主義教育、大正教養主義の盛んな時期で、教育の現場では「綴り方」が行われていた。この同年生まれの5人の作家の全集が並べてあった。中島は3巻、太宰は12巻、埴谷は19巻、大岡は23巻、そして清張は実に66巻と圧倒的な仕事量だった。(それそれ別巻がある)5人の年表を並べて掲示してあった。中島は33歳で「山月記」、34歳で没しているが、死後「李陵」が発表された。太宰は、35歳で「津軽」を刊行。大岡は39歳で「俘虜記」。埴谷は39歳で「死霊」。そして松本清張は44歳で「小倉日記伝」で芥川賞を受賞して世に出ている。清張はこの中でも遅咲きである。清張は83歳で亡くなるまで膨大な仕事をしたし、88歳で亡くなった埴谷はその直前まで作品を発表している。全体を眺めてみると、活躍した時代をずいぶんと違う。生年ではなく、没年が重要なのだ。

この松本清張記念館は第56回の菊池寛賞を受賞している。「水準の高い研究誌を刊行しつつ、多彩な企画展を催すなど、健闘しながら開館十年を迎えた」と評価されている。女性館長藤井康栄さんは「作家・松本清張らしく運営することにいたしました」と述べているように、仕事の鬼だった清張にならって年中無休で開いている。

 清張は「好奇心の根源とは?」との問いに、「疑いだね。体制や学問を鵜呑みにしない。上から見ないで底辺から見上げる」とビデオの中で語っている。体制、学問、権威、通説、大家、常識、こういうものに敢然と挑戦するこの作家の神髄を表す言葉だ。幅の広さと奥の深さと圧倒的な仕事量で時代に屹立した大小説家の姿勢に感心した。