川口湖美術館の「吉田博展」。河口湖ミューズ館「 与勇輝 館」。

川口湖美術館の「吉田博展」。吉田博(1876-1950年)は木版画による風景画の第一人者。「絵の鬼」「山の画家」「世界百景」の夢。図録と安永幸一「大和水の画家 吉田博」を購入。

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河口湖ミューズ館「 与勇輝 館」。楠本正明展も。

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与勇輝

・ 立たないということは、人形として生きていないのです。

・人形を作るのはたいてい深夜です。雑念を払い全神経を集中させて己を興に乗せ一気に仕事をするように心がけています。

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「名言との対話」12月2日。はしだのりひこ僕はいつも、人がアッと思うようなことを考えている」

はしだ のりひこ(本名:端田 宣彦、1945年1月7日 - 2017年12月2日)は、日本のシンガーソングライターフォークシンガー

ザ・フォーク・クルセダーズの元メンバーで、解散後は「風」「花嫁」などのヒット曲で知られるフォーク歌手
ザ・フォーク・クルセダーズの元メンバーで、解散後は「風」「花嫁」などのヒット曲で知られるフォーク歌手

 同志社大学神学部在学中から、フォークグループで活動。1967年、加藤和彦きたやまおさむのザ・フォーク・クレセイダーズに参加し、「帰ってきたヨッパライ」「悲しくてやりきれない」「イムジン河」などのヒットを飛ばした。22歳だった。1968年の解散後は、はしだのりひことシューベルツを結成し、「風」がヒットする。1971年に「はしだのりひことクライマックス」の「花嫁」がヒットする。

 私はこの「風」という歌が好きだった。「人は誰もただ一人旅に出て 人はだれもふるさとをふり返る ちょっぴりさみしくてふり返っても そこにはただ風が吹いているだけ 人は誰も人生につまづいて 人は誰やぶれふり返る、、、、何かをもとめてもふり返っても そこにはただ風が吹いているだけ」。

同志社大在学中からフォークグループで活動。67年に故・加藤和彦さん、きたやまおさむさん(71)のザ・フォーク・クルセダーズに参加した。「帰って来たヨッパライ」「悲しくてやりきれない」などで人気を博した。

 68年の解散後、杉田二郎さん(71)らと「はしだのりひことシューベルツ」を結成し、「風」をヒットさせたほか、71年には「はしだのりひことクライマックス」で発表した「花嫁」が大ヒット。同

 27歳で父親になった小柄で童顔のミュージシャンは、旅から旅への10数年間の風来坊生活を反省し、妻と10歳の息子、5歳の娘を呼び寄せ、37歳で東京に家を建てる。その5か月後に妻が倒れ、主夫生活に入る。今までの生き方を根底から変えることになった。1986年には41歳で『お父さんゴハンまーだ』(教育資料出版会)を出している。主夫生活での子育てを自然なタッチで書いた。長男は14歳、長女は9歳だろうか。

今回読んだ『親父たたかう』(文化出版局)は、1991年の発刊だ。この本では家族のあり方についての記述が参考になった。この本のサブタイトルは「息子よ、語り合いたいこの時を」だ。子育ては戦いだ。情熱と明るさをと涙の三点セットでの子育て実践記である。長男は19歳、長女は14歳。この本では思春期を迎えた息子との日々がつづられている。語り合う親子の姿がある。成長を見守る父親の愛情がある。息子は父の母校に入った。はしだのりひこは家族のだれもが気兼ねなくしゃべり合う、快適な家庭を築いた。誤診であり元気になった妻は、死んだら、この人は私の「骨をしばらく机の上に置いて置くよっ」て言っていたと語っている。「私の人生、それだけでいいかな」が妻の言葉だ。はしだのりひこの巣作り改造計画は成功したようである。

僕はいつも、人がアッと思うようなことを考えている」というはしだのりひこは、2017年に「京都フォーク・デイズ ライブ~きたやまおさむ~と京都フォークの世界」にゲスト出演し、約10年ぶりに表舞台に姿を現した。パーキンソン病であり、車いすで登場した。享年72。早かったなあ。

ザ・フォーク・クルセダーズの元メンバーで、解散後は「風」「花嫁」などのヒット曲で知られるフォーク歌手