「化学工学会」の経営ゼミナールで行った講演のアンケート

朝の散歩で。

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11月30日の公益社団法人「化学工学会」の経営ゼミナールで行った講演のアンケートが届いた。講演テーマは「人生100年時代を迎え撃つ、アタマとココロの革命を!」。

http://k-hisatune.hatenablog.com/entry/2019/11/30/000000
・ 図解での表現は報告資料でも実感していることであり、よく理解できた。特に鳥瞰図の良さを知り、活用したいと思った。
・改めて図解を用いて仕事したいという気持ちになりました。人生100年と考えて、仕事だけでなく、個人的なライフワークを探索しようと思いました。
・図を描くためには、その中のものが論理的につながっていなければならず、それらを明確にすることが要諦だとよく理解できました。また、鳥瞰図は参考になりました。
・図解による思考の整理と、意識の共有は、これからますます多様化していく社会の中で非常に有効な手段であると感じた。
・図を使うことの重要性を再認識した。1枚の戦略図という点は非常に興味深く、どこかで活用してみたいと思った。

・非常に興味深い内容でした。文章がいかに曖昧で、人によって受け取り方が変わるのか、改めて痛感させられました。確かに自分も誤解がないようにと意識はしており、そのため、文章がどんどん長くなる傾向がありました。自身も子供が苦手な算数の文章題に、「図を描くとわかりやすい」と教えており、自分もわかっていたはずにもかかわらずです。重要なポイントを絞り、シンプルに理解することの重要性が改めていい気させられました。
・ 図形を使った理解は目から鱗の感じがした。それに絞っていただければと思った。
・「図解で考え、文章にする。」と言う提言は,納得できるものでした。文章では,直ぐに理解出来ないことがありますが,洗練された図解は、分かり易い経験を業務の中で日常的に経験しています。図解で考えることを習慣化して行きます。

・図解化することでより深く理解できることが良くわかりました。文章を1次元とすれば2、3次元が図面、更に時間を加えて動画(4次元)になれば更に強い伝達力を持つことになる。今のネット時代が発達するのも当然だと感じます。技術伝承、マニュアルを動画にするのも面白い
・ 図での説明が有用である点はその通りであり、今後気を付けて活用していきたいと感じた。後半の偉人の名言集のところは、少しポイントが不明確で把握しづらかった。
・図解することで文章では伝わらないことが正確に伝えることができることが非常に良く理解できました。実践していきたいと思います。また、人生を100年という長いタームで考えていかなければならないことも痛感したので、キャリアプランの見直しも進めたいと考えます。
・「文章」は人によって理解・解釈が異なってしまうが、「図解」はそれを防ぐことができる。今後の業務にて図解コミュニケーションを心掛けたい。
・独自の仕事・生き方で地位を築いている方で、且つ大学の先生らしい緻密な考えを持たれていて興味深い講演でした。

・【感銘を受けた言葉】人生は豊かさ(自由拡大)への旅である.。≪少壮老死≫・少にて学べば、壮にして為すことあり・壮にして学べば、老いて衰えず・老にして学べば、死して朽ちず
・より一層、図を活用していきたいと考えます。
・箇条書きは駄目という事が凄く頭に残っています。
・非常に落ち着いたご講演で、印象に残りました。頭の中や、今後の進むべき方向を考える際に、まず図で表して関係性をつないでいくことの重要性が理解できました。

・図示することの効果を改めて感じた。図で考えること、思考を整理することを意識していきたい。
・図解法で纏めることにより、説得性のあるプレゼンを試みる
・図解の有効性が分かった。今後に活かそうと思う。
・文章を図解にする事で、自身の理解を整理する事や他者に伝えやすくする事が大変参考になりました。
・図解の大切さは確かにと思わせた。通常数枚にわたる資料を、どうやってわかりやすくまとめるかのヒントになったが、おそらく時間がかかる。ただ、時間をかけるだけの価値がおそらくあるのだろうと思った。

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ジム:ストレッチ、ウオーキング30分3キロ、ストレッチ。スイミング400m。バス。

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「名言との対話」12月22日。川谷拓三「きっとある。おもしろいとこ、楽しいとこってのは、どんな仕事にでも」

川谷 拓三(かわたに たくぞう、1941年7月21日 - 1995年12月22日)は、日本俳優である。

 旧満州生まれ。敗戦とともに高知県安芸市へ引き揚げる。1960年東映京都撮影所に入社。通行人や殺され役などの大部屋生活を15年という長きにわたって経験する。失敗したら明日はないという過酷な時代だ。悔いのないようにやろう、そういう心構えで、ようやく映画「仁義なき戦い」シリーズで見い出される。1974年「史上最大のヒモ・濡れた砂丘」で映画初主演。1975年大部屋仲間の室田日出男志賀勝らと脇役集団・ピラニア軍団を結成。同年テレビドラマ「前略おふくろ様」で脚光を浴びる。1976年CM「日清きつねどん兵衛」が評判となる。1978年NHK大河ドラマ「黄金の日々」に出演。ほかの代表作に「鉄砲玉の美学」「愛の亡霊」「薄化粧」「仔鹿物語」など。喜怒哀楽を体当たりで表現し、主役を食う演技で人々を魅了した。

 「川谷拓三しかできな役、芝居」というものを目指してきた。時間はかかったが、殺られ役の中に、自分の演ずべき役を発見したのだ。全出演作品の7割近くが「殺された」役だった。3000回死んだから、3000人の男の生き様を演じたことになる。一人ひとりの男の一生を表現しようと死んできたのだ。

川谷は出演した作品の台本をすべて持っていると言う。メモで真っ黒になった台本は、役者としての成長の記録だ。自分独自のデータベースをコツコツとつくってきたということになる。本人にとっては財産、宝物だ。そういった着眼と努力、心掛けが川谷拓三という独特の名優をつくりあげたのである。

「役者とは「役」という他人の人生を掠めとりながら、新しい自分を発見する職業である」「役者はアーチストだから、常になにか新しいものに挑戦し続けるのが使命だ。その使命とは観客の期待、イメージを快く裏切ることだ」。川谷拓三は新しい「川谷拓三」を追い求めた。

1991年刊行の「3000回殺された男」というタイトルの半生記を読んだ。そこには、あと10年でこの映画の世界の中で「川谷拓三にしかできない世界」というポジションを作りたい、今僕は必至だと語っている。それから亡くなる1995年までは5年余しかなかったのは惜しまれる。

NHK「あの人に会いたい」では、「きっとある。おもしろいとこ、楽しいとこってのは、どんな仕事にでも」と語り、自分の職業を早く好きになる人の勝ちだとも言っている。誰かが必ず見ている。この言葉には大いに共感する。どの世界でも同じだ。 

3000回殺された男―拓ボンの体当たり映画人生

3000回殺された男―拓ボンの体当たり映画人生