野村正樹さん逝去

野村正樹さんが亡くなった。
昨年から体調を崩されていたと聞いていた。たぶん重い病気だろうと推察していた。
野村さんは1944年生まれ。慶応義塾大経済学部を出てサントリーに入社。宣伝部に15年つとめたあとマーケッティング部門で活躍。42歳のときに「殺意のバカンス」で推理作家としてデビューする。46歳、「シンデレラの朝」で日本文芸大賞現代文学賞を受賞。サントリーミュージアム天保山」設立に関わり、50歳で開館に伴い広報部長。翌年の1995年に50歳で選択定年制でサントリー退社し、独立活動に入る。56歳、著書50冊。57歳、慶応義塾大学講師。60歳、「嫌なことがあったら鉄道に乗ろう」で第30回交通図書賞を受賞。62歳、著書100冊を突破。
本人による仕事(守備範囲・得意分野)の分野は、ノベルズ(推理小説、鉄道ミステリー、、)、マーケッティング(トレンド、顧客満足、、)、ライフデザイン(時間術、二足のわらき、セカンドライフ、、、)の3つだった。
知的生産の技術研究会で再三にわたって講師としてお招きし、私も親交があった。
「鉄道紀行の異才・内田百けん、を継いだ阿川弘之は、早くから宮脇俊三に「衣鉢を」「譲る」と言っており、宮脇はその評価にふさわしい活躍をした。その宮脇も鬼籍に入った今、誰がその衣鉢を引き継ぐのだろうか。」という文章を私も書いたこともある。そのとき頭にあったので野村正樹さんだった。
ご冥福をお祈りします。

午前中は大学で仕事。午後から停電が予定されていたため自宅に戻る。
夕刻に私のゼミ生の4年生で卒業する学生と3年生も混じって食事会。その前に多摩センターの書店に入ったら、「図解でよくわかる ドラッカー」(アスペク)という文庫本が並んでいたので手に取ってみたら、私の顔写真があったのでびっくりした。「インタビュー ドラッカーの本には、いつも新しい発見がある」。そういえば以前ムック版のドラッカー特集があったことを思い出した。それが文庫本になった。連絡も来ていたように思う。3月11日発行。

震災の克服のために、関東大震災時の帝都復興院にならった東北復興院を設置し、無利子国債を百兆円規模で発行し国民に買うことを依頼し、今後の大規模な公共工事で東北を一変させて、これを旗印に日本の大いなる復興を期したらどうだろうか。http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20110313