大学院の授業ごのフェイスブックへの感想の書き込みから。
今日も16名と出席率は高かった。
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現代文で、文と文の関係を学んだ学生時代。多様な人物が多様な文体で多様に表現する文章の世界。無尽蔵な世界。多様な文体と多様な作者の思考が交差する文書を解読し図として表現することとはを考えてみた。全体の構造や部分間を表し、鳥の目で対象を観察し素直に文書に起こすのが図解であり、大きな着眼と構造のもとで細かな部分から書き始めることが重要。自然に物事の関係を考慮し文書の書き方や社会の意思決定のあり方の変化も考えられ、高い視点から鳥瞰でできるところに頭の回路の柔軟性が求められます。五体の動きは神経を通して脳に影響を与えるが、手の動作と連動することにより描きながら考えが浮かび描きながら、手と脳がコラボレーションすのも図解。また、文を読み込み理解し要約する基本的能力の育成の必要性は必須である。講義の回を重ねるごとに深く学びの重要性と継続の重要性が大切かと痛感した。
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「この人、怒っているね」「怒りは論理性を甘くする」by図解尊師。今回の演習は「日本の論点」私の担当は「エコカー」自分の「図解力」にわずかな進歩を実感。いつもの様にアンダーラインを引きキーワード抽出。よく見ると、文章の冒頭と最後の部分だけにラインを引いていました。残りの2/3は自動車評論家の技術ウンチク。例えば…ハイブリットと言ってもシステムの内容は様々。ホンダが新システムでトヨタ式を猛追した結果、この2車の燃費性能は世界トップクラスに。21世紀に入って劇的に進化したディーゼルエンジンは過去のマイナスイメージを完全に払拭。この文章の副題は「期待の新産業」
「このウンチク必要か?」「自慢話も論理を甘くする」by図解生徒。ということで、文章の2/3をカット。この時点で、図解が頭に浮かび、文章の本筋が見え、論理展開に不要なもの、足りないものまで見えてきました。立派な評論家の文章にケチをつけるなんて、わずか5ヶ月前には考えられないことです。以前に新聞の社説を図解した時には、ただの「要約」でした。今回は不足している要素を頭の引き出しから引っぱり出し、自分の主張として組み立て直してしまいました。これ以上の自己満足は論理が崩壊するのでやめておきます。でも、今日も楽しかった。
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多摩大学大学院の図解授業は、論理的な「図脳」を自らで鍛えた後、クラス全体で、共に「図脳」を育てることができ学びの有意義な「時間」を過ごせます。さらに、本日は、クラスメンバーの社会人院生が学んだ図解を活かして、仕事の「新たな契約」が受注できた「前向きな話題」が広がりました。多摩大学大学院で「図解鳥瞰法」を身につけた後の、ビジネスでの「リターン」が大きいことを確認。今日の授業における小生の学びは、「文章の全体像」を図解することで小論文における「論理の矛盾」を
浮き彫りにすることができる。文章から、図解の全体像を鳥瞰する。図解から、文章を書下ろして鳥瞰する。この双方の「反復のプロセス」を通して図解てきないものは、ロジックが組み立てられていない本質が見えました。図解の論理とは、何か。その問いを、今、静かに見つめています。
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何事もえいっと直感で動いて行動力!というのが私で、直感が殆ど外れないのは良いところなのですが、図解はその直感をキーワードの絞り込みに活かしつつ、「文章をじっくり解読→全体像をイメージ→順序立てて図に落としていく」静かな思考の流れが、小気味よくさくさくと自分の中に育ってきました。「そもそも」という考え方や、二手先三手先の道筋を読む戦略的思考も好きなので、図解にハマっています。まだ途中の孫正義さんの図解もプレジデントを買って、完成を目指します。ご講義の最中に、皆さんの発表をお聴きしながら(ごめんなさい)ふと閃いて、先日来からじわじわと修士論文について考えていたことを、一瞬で図解してみました。頭の中で散文的に離れ離れになっていたことが、ジグソーパズルのピースがパチンとはまった感覚になり、スカッとしました(^_^)。皆さんの図解でインスパイアされたのだと思い、ありがたく思っています。この調子で動き出します。秋学期にご講義がないのが寂しく、まだまだ図解を学びたいです。図解を思考のクセの様に日常的に使いながら磨いて、また春学期に学ばせ頂きたいと思います。
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発表した図解は重複する省庁が出てきてしまい、まだまだ改善できる場所が多く、反省です。
総決算の私の仕事は、初期に書いた図から自分がどれくらい成長できているかをかみしめながら励みたいと思います。