対馬:日露戦争の日本海海戦の記念の地

7時12分の新幹線で、新大阪から博多へ。

10時半のANA4933便のボンバルディア機で福岡空港から対馬空港へ。
機内誌「翼の王国」のANA社長の挨拶がいい。出張した中国の話題、2代目社長だった日中友好に功績のあった岡崎嘉太の名前を冠した奨学財団のPRをしていた。

対馬空港は、対馬やまねこ空港という名前がついている。
五島つばき空港、高知龍馬空港、米子鬼太郎空港、徳島阿波踊り空港、たんちょう釧路空港などと並ぶ特色のある名前だが、国境の島を意識した名称の方がいいのではないか。

先に着いていたインターゼミの宮崎君と三好君が出迎え。
オリックスレンタカーで車を借りて、2時間ほどかかるという対馬最北端の韓国展望所へ向かう。

畑作のできる耕地が極端に少ない。途中に店や家屋もわずか。
安部首相のポスターが定期的に、等間隔で現れてくるのが目だつ。

秀吉の朝鮮出兵の出港基地となった港もみた。

深い山に沿って造られた道路をひたはしり、1時間半で韓国展望所へ横着。
青い海が美しい。
朝鮮国譯官並従者殉難之碑が目に入る。1703年に対馬へ行こうとして沖で遭難した一行100名を哀悼した碑。国家使節。譯官使。

この場所から、韓国釜山まで50キロ。逆に博多までは145キロだから、この対馬は韓国にかなり近い。肉眼でもうっすらと釜山の山らしき影が見える。
展望所の先の小さな島には、航空自衛隊第19警戒群という施設が立っている。

韓国人の団体をみかけた。

望遠鏡は二つとも故障中。地図のボタンを押すと光るボタンも壊れている。英語、日本語、韓国語で案内が流れる機械も壊れていて聞けない。この案内は平成19年の長崎県21世紀まちづくり推進総合支援事業の一つとあるが、観光という観点からは落第だ。
ドライブ途中でも看板の案内がほとんどなく、この点も改善して欲しいものだ。

次に日韓の連絡船が出ている国際ターミナルに向かう。
1時間半で来られるので、韓国人を多く見かける。

次に「日露友好の丘」へ。

日本海海戦記念碑。

日露慰霊の碑。

対馬沖海戦ロシア兵上陸地。
1905年5月27ー28日の日本海海戦で負けたロシア水平143名が上陸。見ていた農婦は泉に案内し、夜は西泊の民家へ分宿させた。
この美談に感激した東郷は「恩海義きょう」。めぐみのうみ、義はたかし。
トレッキングで300m歩くが、ここも整備不良だった。


日本一の巨大レリーフ
重傷を負ったロシアのロジェスト・ウェンスキー提督を佐世保海軍病院に見舞った東郷平八郎提督を描いたレリーフ

接敵艦見之警報連合艦隊欲直出動撃滅本日天気晴朗波高。
皇国荒廃在此一戦各員一層奮励努力。
いずれも平八郎というサインがある。

対馬は、遣隋使、遣唐使、遣唐新羅使、朝鮮出兵朝鮮通信使日露戦争、、、など大陸と半島に対する外交と防衛の最前線の島だ。今日も北部の港には海上保安庁の警備船を2隻みかけた。

夜7時から同僚の大森映子先生と宮崎、三好君とで志まもとで食事会。
大森先生は日本史が専門なので、勉強になった。

対馬の外交の場所となっていた西山荘を見学。宮崎くんと三好君が泊まっている。