朝鮮通信使のフィールドワーク;松波濤園

新幹線で博多から広島。この間にブログを書く。

多摩大学のインターゼミのアジア班のフィールドワークの参加中。

在来線で広。
バスで松波濤園・朝鮮通信使資料館。
幕府からどこの藩の接待が良かったかと聞かれて、全行程に付き添った対馬藩が、「安芸蒲刈御馳走一番」だったといったことから、御馳走壱番館ともいう。
朝は七五三。昼は五五三。
2年続けて通信使が来たら藩が潰れるとm地元の人が心配しているという記録も残っている。それほど豪華だった。

富山県など全国から古民家を移築した和風住宅が三棟立っていて、その一つが朝鮮通信使資料館になっている。

大船の十分の一の模型。
本物は長さ30m、幅12m、高さ10m。
外務大臣クラスの正使と次官クラスの乗る大船2隻、従事官の乗る中船2隻、小舟2隻。騎船と卜船。
1711年のデータによると、合計569人が乗船していた。

通信使を描いた人物図鑑が面白い。正使48歳。副使55歳。

服装も決まっていて、将軍にまみえる時は赤、藩主クラスの場合は緑、普段は薄い青。

この施設をつくったのは竹内弘之といいう町長だ。
朝鮮通信使琉球慶賀使・謝恩使の江戸上がり、オランダ商館使節、そして西国大名の参勤交代でこの下蒲刈の海駅に滞在した。その特徴を打ち出そうとした。
この町長が偉い。

長雁木。

朝鮮通信使宿館跡。

本陣井戸。

丸本家住宅。

三之瀬本陣芸術文化館。須田国太郎常設展示館。


「庭園の島」という言い方がぴったりくる美しい島だ。

帰りは呉線で瀬戸内海を見ながら。

夜は福山で食事会。