多摩キャンパスで判定会議と授業。九段サテライトで戦略会議と大学運営会議。

ロシアのプーチン大統領の来日。

誰の見通しが正しかったか、検証。

 

「名言との対話」。12月16日。田中角栄

「私が田中角栄だ。小学校高等科卒である。諸君は日本中の秀才中の秀才代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。私は素人だが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきって、いささか仕事のコツを知っている。一緒に仕事をするのは互いによく知り合うことが大切だ。われと思わん者は誰でも遠慮なく大臣室に来てほしい。何でも言ってくれ。上司の許可を得る必要はない。できることはやる。できないことはやらない。しかしすべての責任は、この田中角栄が負う、以上」。

田中 1918年大正7年)5月4日 - 1993年平成5年)12月16日)は、日本政治家建築士衆議院議員(16期)、郵政大臣第12代)、大蔵大臣(第676869代)、通商産業大臣第33代)、内閣総理大臣(第6465代)等を歴任した。

「相手の目を見て大きな声できちんと話せ」「肝心なのは大事を任せられる人を見つけることだ」「大事なのは数字と事実だ」「名指しで批判はするな。叱るときはサシのときにしろ。ほめるときは大勢の前でほめてやれ」「グレーゾーンが一番広い。真理は常に「中間」にある」「賢者は聞き、愚者は語る。もっと若い連中の話を聞こう」「聞く人が「今日はよかったな」と思う話をする。それが本当の雄弁というもんだ」「戦争を知っている世代が社会の中核にある間はいいが、戦争を知らない世代ばかりになると日本は怖いことになる」「わが国の前途に思いをめぐらすとき、私は一夜、沛然として大地を打つ豪雨に心耳を澄ます思いであります」(退陣表明)。

「一番力があるときこそ、一番難しい問題に挑戦するんだ。」と言い、1972年の中国を回復交渉にあたった時、周恩来首相との交渉が難航し、大平外相以下が呻吟している姿を見て田中角栄首相は「大学出はだめだなぁ」と言って苦笑させ空気を和らげた。

冒頭の大蔵大臣就任時の短い挨拶は役人の心をわしづかみにし、後々までの語りぐさになった。ここにはリーダーの心得の全てが入っている。コンピュター付ブルドーザーと言われた仕事師田中角栄は実に魅力的だ。

 

「副学長日誌・志塾の風161216」

多摩キャンパス

  • 入試判定会議:栢原委員長ら入試関係委員に事務局長と私が加わる
  • 授業「立志論」12回目。パワーポイントンの使い方講座。

九段サテライト

  • 大学戦略会議:テーマ「国際交流」。現状報告。テーマへの取り組み。全体議論。「大中華圏とアセアン」「国際交流センターの方針」、、。
  • 大学運営会議:教員人事(経営情報学部の専任・非常勤)。副学長、志入試センター長、研究開発機構長、経営情報学部長、グローバルスタディーズ学部長の学長推薦。大学戦略会議報告。各セクション報告。平成28年度私立大学経常費補助金改革総合支援事業の結果。来年度事業計画。ファクトシート。学長報告「農水省の食農景勝地認定。国交省観光庁ノスーパーメガリージョン審議会。経産省のグローバルホテルチェーン。IR推進基本法の成立、実施法、シンガポールモデル。人材育成がテーマに。高度観光人材・ハイエンドリピーター。輪郭!、、、。
  • 大学院の徳岡研究科長と明日の大学院教授会の打ち合わせ

夜は新宿伊勢丹の「東京吉兆」で客員の渡辺さんと食事しながら本年度の総括と来年度の企画を語り合う。全学的ないいアイデアが生まれた。早速明日から仕込みに入る。

渡辺さんから吉兆の落合支配人、丸山料理長を紹介いただく。