リレー講座。
藤原帰一東大教授「国際秩序の現状 アメリカの後退と国際紛争」。
アメリカ大統領選。
- 共和党の弱体化。分裂とオウンゴール(クリントン勝利)へ。
- 冷戦後の世界
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「名言との対話」5月12日。澤田美喜。
- 「どんな子どもでも、人間として生を受けた以上、立派に育っていかなければなりません。」
- 三菱財閥の基礎を築いた岩崎弥太郎の息子・岩崎久弥の娘であった美喜はお転婆で家族を困らせ、令嬢にあるまじき行為で見合いを破綻させていたが、澤田廉三(外務次官)、後に初代国連大使となる澤田廉三と結婚する。若い頃はアルゼンチン、中国、イギリス、フランス、アメリカと夫について世界をまわるが、イギリスのドクター・バーナーズ・ホームでのボランティアが、美喜の運命を変える。5月12日、スペイン旅行中に天に召される。78歳。
- 戦後、進駐軍と日本女性の間に生まれた混血児の孤児院を創立した澤田美喜の記念館は、神奈川県大磯の駅前の深い緑の中にある。美喜のことは、東京上野の旧・岩崎家住宅見学の時に知り、大磯にある記念館を訪ねた。澤田美喜は大磯のエリザベスサンダースホームでの世話に後半生を捧げる。日本で長く暮らしたエリザベス・サンダーズ女史の遺産がこの孤児院に贈られ、この名前になった。2000人を超える孤児を育て、仲立ちとなってアメリカへ養子を出した子どもは500人を超える。美喜の息子の澤田久雄(ソプラノ歌手)は由紀さおりの姉の安田祥子の夫である。
- 澤田美喜が救った孤児達は、敵国の兵士と日本女性との混血児といういくつもの不幸を背負った子供たちだった。差別、圧迫、羨望、偏見、憎悪などと戦う、想像を絶する困難な日々であった。その原動力は、この言葉にあるように、まっとうな人道主義であった。美喜はこの天命に命を捧げ、2000人の母となった。尊い人生である。