自動車技術会で「情報の『鳥瞰図絵師』になれ」というタイトルで講演

一橋・如水会館にて、会員数5万人を擁する日本最大の学会である公益社団法人「自動車技術会」関東支部で講演。関東支部でも2万人近い会員がいる。会員数2万人の機械学会と並んで日本の双璧。

この関東支部の総会と功労者表彰、フェロー認定式などの終了後に、特別講演会として私の講演。
タイトルは「情報の『鳥瞰図絵師』になれ」。

鳥瞰図絵・図解コミュニケーション・簡単な実習・世界鳥瞰図ツアー・多摩大・自動車文明の課題と提言。以上で70分。

終了後の懇親会では、会員の多くの方々と交流ができた。

以下、名刺交換した方々。
本田技術研究所社友。日産自動車社友。早稲田大学次世代自動車研究機構長。自動車技術会名誉会員。防衛省防衛装備庁航空装備研究所長。防衛装備庁先進技術推進センター特別研究官。東京大学工学研究科教授。日本大学理工学部教授。自動車技術会事務局長。東京工大特任教授・タイ拠点長。自動車技術会関東支部長。明専会(九州工大後援組織)会長(いすず自動車)。日立オートモティブシステムズ理事。日立オートモティブシステムズ国際標準化推進部長。エクセディ専務。小野測器取締役。

「よくわかりました、ただ一点疑問があります」という形の反応が多かった。
技術屋なので、自分のこだわり、やり方があり、そこから疑問点を確かめようとする人が多いのが特徴だった。

学生組織の代表は、横浜国立大学修士課程と日本大学修士課程の院生だった。技術の人脈が引き継がれている。

アンケートから
「最後のご指摘にあったルールづくりを目指せという点はまさに当自動車技術会が一番考えて行動すべき点であると思う。大変有り難いヒントをいただいたと感謝します」

この自動車技術会は、技術立国・日本を支える人的インフラであるという印象を持った。
日本の自動車技術を切磋琢磨しながら発展させている人たちだ。
「世界自動車戦争」を戦う戦士たち。
普段は接触しない人たちであり、愉快な時間を過ごすことができた。
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「名言との対話」6月2日。織田信長

  • 「臆病者の目には、敵はつねに大軍に見える。」
    • 安土桃山時代の武将。右大臣。6月2日、天下統一を前にして本能寺の変で斃れる。
    • 徳富蘇峰は「近世日本国民史」で、明治時代を書き遺すために織田信長(1534-1582年)の時代から始めて西郷の西南戦争(士農と農商の戦い)と大久保利通の暗殺までを書いている。日本の近世を切り開いたのは信長という見立てである。
    • 織田信長は1534年生れ。秀吉より3歳年上だった。秀吉は家康より5歳年上だった。信長49歳、秀吉62歳、家康75歳、とうように死去した年齢を並べてみると、なかなか興味深い。「織田がつき蛺柴がこねし天下餅すわりしままに食うは徳川」という川柳があるが、一つの真実を言いあてているように思う。
    • 「総じて、人は心と気を働かすをもってよしとするなり」「物毎にかくこそ念を入るべきことなれ」。こういう言葉を記したエピソード、そして秀吉など家来の妻たちへの手紙の文面をみると、信長は案外気配りができる人のようである。
    • 戦いが間近に迫ると、臆病者にはおびえがでてくる。戦う前から妄想がわき上がってくる。その妄想の広がりの中で敵の姿がしだいに大きくなってくる。臆病者というか、悲観論者は、ここという大事なときに判断を誤ることが多い。戦況が五分五分のとき、悲観論者は負けていると感じ、楽観論者は勝っていると考える。リーダーの性格が勝負を決めることがよくある。信長はもちろん臆病者ではないが、気働きができたから慎重でもあった。大胆にして細心というタイプだったのではないか。そうでなければ天下をうかがうことはできないはずだ。