富田勲先生と秩父で小池蕎麦と大吟醸を楽しむ会の番外編。

富田勲先生と秩父で小池蕎麦と大吟醸を楽しむ会の番外編。
20年以上にわたって続けてきたこの会も今回で終了。
偉大なる富田先生を偲びながら、小池蕎麦を食べる最後の会も終わった。


「44年の歴史に幕…秩父のそば名店、閉店で行列 “伝説のそば”別れ」(埼玉新聞:9月15日)
http://www.saitama-np.co.jp/news/2016/09/15/08.html

秩父を代表するそばの名店「こいけ」が、高齢などを理由に9月末で店じまいをする。
 創業44年。店主の小池重雄さん(71)は、名店「一茶庵」(栃木県足利市)を創業した故・片倉康雄さんの弟子として知られ、江戸風の洗練された手打ちそばを打ってきた。現在のそばブームの源流をつくった一人だ。
 6月末にお知らせを掲示してからは連日行列ができており、常連客からも「圧倒的な存在だっただけに残念。閉店で秩父そば界は厚みとレベルの二つを失うことになる」などと、惜しむ声が絶えない。
 銀行をやめた小池さんが、店を出したのは27歳の時。当時の秩父は玄そばを粗くひき、殻を練り込む田舎風のそばが好まれたこともあって、10年ほどははやらなかった。
 ただ、片倉さんの下で修行して実力を付け、客足が増えた。同じ弟子で、そば名人といわれる高橋邦弘さんと石臼の自家製粉機を開発したことも、名前を広めるきっかけになった。
 「すぐ売れてたらてんぐになっていたかな。いろんなことが勉強になったよ」と当時を振り返る。30年前、旧荒川村で叔父が育てた秩父在来産のそばは、ゆでるとピーナツバターの香りが漂う“伝説のそば”として、うまさが今も常連に語り継がれるほどだ。

■いい材料を使う
 心掛けてきたのは「いい材料を使うこと」。農家に直接出向き、肥料も相談しながら、常にいいそばを作ってもらってきた。つゆにも妥協せず、砂糖は一切使わない。材料でいいものがあれば、いつでも新しいものに変えてきた。
 食事は1日4回。開店前の午前11時、必ずそばの試食を行う。天候や気分に合わせ、1秒単位でゆで時間を変えるためだ。
 引退を間近に控えた今は、技に円熟味が増してきた。「自分がうまいものを作りたい。うまいと思われないものは出したくない。そば打ちは今、少しずつうまくなっている。最後にいい仕事ができるのは幸せだね」と話す。

■心からの感謝
 やめてからやりたいことの一つは麺棒磨きだ。ホイップクリームを付け、1本につき3カ月をかけてゆっくり仕上げていく。そんな手作りのものが100本近くあり、趣味の酒、キノコ狩り、温泉旅行など時間はいくらあっても足りない。引退を決めてからは「寂しさもなく、むしろすがすがしい思い」という。
 ひっそりやめようと思っていたが、最後はできるだけ多くのお客さんに感謝の気持ちを伝えようと決めた。
 「今まで来られたのは、いろいろな人にお世話になったから。最後は、来てくれたお客さんに心から『ありがとうございました』とお礼を言いたい」。小池さんは充実した表情で語った。
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「名言との対話」9月25日。奥村土牛

  • 「芸術に完成はありえない。夢はどこまで大きく、未完成で終わるかである。」
    • 1889年生まれ。16歳、梶田半古に入門。23歳、逓信省為替貯金局統計課に勤務。5年間。28歳、父より土牛の号をもらう。31歳、2年間小林古径の画室に住みこむ。34歳、関東大震災で自宅消失。38歳、院展に初入選。40歳、古径の媒酌により結婚。43歳、日本美術員同人。55歳、東京美術学校講師。59歳、武蔵野美大講師。60歳、女子美術大学教授。62歳、武蔵野美大教授。64歳、多摩美大教授。70歳、日本美術院理事。73歳文化勲章。89歳、日本美術院理事長。101歳、日本美術院名誉理事長、長野県に奥村土牛記念美術館。101歳で永眠。
    • 父が土牛という名前をつけた。奥深い村で、牛が土を耕す風景。1889年生まれ、1990年没。101才の長寿。「石ころの多い荒地を根気よく耕し、やがては美田に変えるように、お前もたゆまず画業に精進しなさいとの意味がこめられていたのだと思う」
    • 「今日私の座右の銘としている−−絵のことは一時間でも忘れては駄目だ−−という言葉は、その頃先生(小林古径)からいただいたものです。」
    • 日本美術院院展への初入選が38才。代表作の多くは還暦後という遅さである。85才で書いた自伝のタイトルは「牛の歩み」というから徹底して、名前そのものの人生を歩んだ人だ。大器晩成とはこの人のためにあるような言葉だ。永遠の未完成のまま生涯を終わる。大いなる未完成、それが理想ではないか。

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今日のオーディブル。
池波正太郎鬼平犯科帳「老盗の夢」
池波正太郎鬼平犯科帳埋蔵金千両」