秋月の乱

日田を経由して経由で秋月へ。

秋月は、中学校、小学校は秋月城址の中に今なおある。
歴史の中で、子弟の教育を行おうとする意図を示している。


秋月郷土館で学ぶ。秋月の生んだ人。

秋月の乱
明治初期に政府の政策に反対する乱が各地で起こった。
まず明治9年10月24日に熊本で神風連の乱が起こった。
この乱に影響を受けて10月27日に、福岡の秋月で士族の半数の248名が挙兵した。
かねてから相談していた豊津藩は決起に対し曖昧な態度を取った。
その間に、小倉鎮台の乃木希典が近代兵器を携えて鎮圧、17名の死者を出し敗走。
10月31日みは4分の1に減り、戸村半九郎(300石)を含む幹部7名が、部下への寛大な処置を願う書を残し自刃。
12月3日、死罪、斬首。19名が懲役、124名が除族となった。

明治10年の薩摩の西郷隆盛西南戦争で士族の反乱は終了する。

秋月の乱、という名前は知っていたが、概要も知らなかった。
詳細は、葉室麟の「秋月記」を読んでみたい。

戸波半九郎。
今更に 言の葉も なかりけり
捨てて 甲斐なき 此の身なりとも



緒方春朔。1748-1810
秋月藩の藩医
1790年、緒方は我が国初の種痘に成功。天野甚左衛門が2人の我が子を差し出した。
1793年にジェンナーが牛による種痘に成功し、1100人余に実施。
種痘の始祖とよばれる。

土岐勝人。1906-
医師、満鉄病院勤務。
医師として活動する傍ら、美術品を収集。
350年住み続けてきた郷里の秋月に土岐コレクション250点を寄付。併設の美術館の主要美術品になっている。子供たちに本物を見せたいという気持ちから。
ロダンルノワール奥村土牛ピカソシャガール、東郷せいじ、小林古径、茂吉、栖鳳、観山、虚子、蓮月、、、、。


名言の暦

命日

生誕

  • 伊達政宗1567:大義の義は、人に談合せず、一心究めたるがよし
  • 棟方志功1903:わだばゴッホになる!
  • 利根川進1939:人生にとってもっとも大切なのは、重要なこと以外は、切り捨てること。