T-Studioで収録「水木しげる」「花森安治」

T-Studioで収録「水木しげる」「花森安治

「副学長日誌・志塾の風170301」

  • T-Studioにて「名言との対話」の収録。NHK朝の連続小説で取り上げられた人物が対象。14回目は「ゲゲゲの女房」の水木しげる、15回目は「とと姉ちゃん」の花森安治

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  • 森島入試課長:どこまで採るか。
  • 高野課長:SGSの非常勤の件など。
  • 知研・八木会長来訪
  • 大学院・瀧川課長:入学者の状況を電話で聞く
  • 桑山さん:デジタルライフの指南を受ける
  • JALから電話
  • 金・杉田・趙先生:済州島フォーラム

「名言との対話」3月1日。原安三郎「いつでも平常心を持って急迫の事態にも冷静に対応し、判断せよ」

原 安三郎(はら やすさぶろう、1884年3月10日 - 1982年10月21日)は日本実業家日本化薬会長、東洋火災海上保険株式会社(現・セコム損害保険)初代会長、日本化学工業協会会長、政府税制調査会会長などを歴任し、日本財界の重鎮として活躍した。

1909年早稲田大学商科を最優秀で卒業。肢体不自由のため就職がうまくいかない。当時三井物産常務の山本条太郎(衆議院議員。政友会幹事長。貴族院議員)の知遇を得て、日本火薬(株)に入社。1935年日本化薬社長(51歳)に。70余の企業群の総帥。軍用火薬を製造せず、産業用に徹するなど、軍部の圧力に抗す。不屈の精神を示すエピソードが多い。戦後、公職追放を免れ経済の復興と再建に尽くす。東京放送(TBS)の設立にも関与。教科書専門大手の出版社・金港堂の再建など幾多の経営不振の会社再建に手腕を発揮することとなり「会社更生の名医」と賞賛された。1973年(89歳)、38年間の社長を経て会長。1982年会長在籍のまま98歳の天寿を全う。

原は浮世絵収集に力を入れた。揃い物が多く、また保存状態がよい。2005年に初公開されるまで秘蔵されていた。北斎や広重の名所絵は質・量ともに抜きんでている。江戸の彫摺技術が最上の状態で仕上げた時期のものなので、秀逸の作品群である。

原安三郎の「長寿十ヵ条」:「時間は短くてもよく眠れ。」「食事は少なくせよー朝はパンとオートミールと野菜と牛乳。昼はヌキ。夕食は米を一碗。」「酒、タバコは呑まない。」「物事をすべてその場で処理せよ。」「心配はしても心痛はするな。」「決して物にとらわれるな、物に支配されるな。」「六十歳過ぎると義理や見栄、メンツで頭や身体を便わぬこと。少しでも気にそわぬこと、いやだと思うことをあえてするな。」「会合や人の依頼も気特ちにそわぬことはドシドシ断れ。」「物事を正直に、いつも良心に照らして遺憾のないように。」「思いついたことは遠慮しないでドシドシしゃべれ。」

いかなる場合でも平常心を維持し、常に冷静な判断ができる。それはよほど人物ができていないとむずかしい。人生に処す原理原則、座右の銘、プリンシプル、そういうもので自らを常に磨き上げていく、それが大人物への道であろう。