司馬遼太郎「モンゴル紀行」(朝日文庫)

司馬遼太郎街道をゆく モンゴル紀行」(朝日文庫)を読了。

1974年発刊の本だから40年以上前のモンゴル。建国が1924年であり、世界で2番目の社会主義国だった。司馬節を楽しんだ。

ハバロフスクイルクーツク経由で、モンゴル人民共和国の首都・ウランバートル、そしてゴビ砂漠への旅行記。

街道をゆく 5 モンゴル紀行 (朝日文庫)

 ・匈奴は、モンゴル族チベット族の総称。

・モンゴル人は野菜を食べない

・モンゴル人は性格がおおらかで素朴。他民族(漢民族以外)を憎悪することが少ない。

遊牧民族は民族的自尊心が強い。

・日本人の先祖という意識がある。

・モンゴルの詩人の詩がいい。

・日本人より5センチほど身長が高い。

・「元朝秘史

ソ連は日本人捕虜をモンゴルに配給。13847人。2年間の抑留中、1割強の1684人が死んだ。国立オペラ劇場は日本人捕虜の労役でつくられた。

 

「副学長日誌・志塾の風」170523

研究室

・授業準備(学部・大学院)

ラウンジ

・今泉先生、彩藤先生:アマゾンのプライムビデオとミュージック

・杉本係長:戦略会議

・高野課長

総研

・松本先生:研究開発機構評議員会資料

 日本地域社会研究所にて打ち合わせ。

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  「名言との対話」。5月23日。サトウハチロー「母という字を書いてごらん。やさしいように見えてむずかしい字です。恰好のとれない字です。やせすぎたり、太りすぎたり、ゆがんだり、泣きくづれたり、、、笑ってしまったり」

サトウ ハチロー1903年明治36年)5月23日 - 1973年昭和48年)11月13日)は、日本詩人童謡作詞家作家

  サトウハチロー記念館は岩手県北上市にある。父の佐藤紅緑の出身地である青森と詩に出てくる母の出身地である仙台の中間地という理由で北上市に建てたという珍しい記念館である。落第3回、転校8回、勘当17回、中学中退というから、その素行は推して知るべしだ。「ビールは一日8−10本。ウイスキーが3日で1本、日本酒も同量ていど。タバコは一日100本、ほとんどアル中、ニコチン中毒に近い、、」と本人も書いているが、結果70歳まで(1973年)生きたから不思議である。ハチローは「ボクは日本一の個人的酒税納税者」と自慢していた。私はNHKの人気クイズ番組「話の泉」という番組で活躍する姿を覚えている。

この人の詩は歌になっているものが多い。以下、あげてみる。・「ちいさい秋みつけた」(誰かさんが 誰かさんが、、、)。1962年 日本レコード大賞童謡賞。・「ちいさい母のうた」。・「かわいいかくれんぼ」(ひよこがね お庭でぴょこぴょこ かくれんぼ、)。・「長崎の鐘」(こよなく晴れた 青空を、、)。・「うれしいひな祭り」(あかりをつけましょ ぼんぼりに、、)。・「うちの女房にゃ髭がある」(何か云おうと思っても 女房にゃ何だか、、)。・「二人は若い」(あなたと呼べば あなたと答える、、)。・「もしも月給が上がったら」(若しも月給が 上がったら 私はパラソル 買いたいわ ぼくは帽子と 洋服だ、、)。・「りんごの唄」(あかい林檎に くちびるよせて、、、)。・「悲しくてやりきれない」、、、、。

小学校時代の同級生で「姿三四郎」の著者である富田常雄が「ハチローは神武以来の不良少年」と語っている。あらゆる刑務所に入った縁で知り合った人たちと友人になっており、罪滅ぼしのつもりか、壮年以降は不良防止、犯罪撲滅、警察官互助運動にも参加しているのは愉快だ。

サトーハチローにはお母さんをうたった詩が多い。詩集「おかあさん」は180万部の売り上げを記録した。今でも詩集としては日本記録である。その「母」という字について述べた冒頭の言葉も味わい深い。天真爛漫なハチローと一緒に写っている人々はみんな心から笑っている。こちらも思わず笑がこみあげてくる、そんな人柄である。なんだかこちらも幸せな気分になって記念館をあとにした。